【お母さんが子どもで、娘がお母さんさせられる例は多い】
周りを見ていると、だいたい母子関係に問題がある(傷ついている)人というのは、
お母さんが未成熟で子どもで、娘が強制的にお母さんの役割を押し付けられている
ことが多いな思います。
「お前なんかなんにもできないくせに!!」
と娘に過干渉、そこまでじゃなければ過保護になっている母親ですが、実は精神的にとっても娘に甘えているんですよね。
なんでもしていいし、ヒステリックに感情ぶつけていいし、気をひくために泣いてみたり、意のままに動かすために不機嫌アピールしたりする。
そういうお母さんと一緒にいると、娘さんは世話を焼かれながらも、精神的に“娘の立場”でいられなくなるのです。
子どもなのに、娘が大人にならなきゃいられないわけですね。
お母さんを庇う人はだいたいコレ。
「母も苦労したんです」
「悪気はないんです」
とかばう。
そこには
「私が物分りよければ、お母さんを責めなくていい」
「私が大人になれば、問題にならない」
というあきらめっていうか自己犠牲精神があるように思います。
子どもは保護者なしには生きていけないので、生きるためには仕方ないことな気もする。
【未熟なお母さんは、女性性にアレルギー反応している?!】
よくある母親から娘への虐待で、
「ブラジャーを買ってくれない」
「生理用ナプキンを買ってくれない」
「おしゃれするのを断固拒否」
というものがあります。
最後のやつで、私が今まで聞いた中で一番ひいたのは、
・娘に一切の脱毛をさせない→だから眉毛も腕もワキもマングローブ状態
・日焼け止め以外のコスメをスキンケア含め一切使わせない→おかげで毛穴という毛穴がひらいて脂ギトギト…
・美容室に行かせない→母親が切るので、めちゃくちゃ変な腰までロング
・服も下着も、自分で買ったことが一度もない→変な母親セレクトの服…
という
「うわぁあああ~~~!!!
」
なものでした
そんな娘さんは、出会い系アプリで見知らぬ男と1回だけ〇り捨てされるのを繰り返しているそうです…でも自分では
「元彼は100人
」
って思っているんだって。
お~い

どの例からもなんとなく感じるのは、
「お母さんが、“女の子”(幼女ではない)“女性”というものにとんでもなく嫌悪感を覚えているんだな」
ということ。
生理が始まる前の男女というのは、それぞれ特徴はあれどとっても中性的で“子ども”っていう生き物な感じ。
でも、やがて幼女は体つきも成長して生理も始まって“女の子”になり、成熟を重ねて“女性”になる。
それって女性として健康に生きているってことで、本来はとても喜ばしいこと。
なのにそれを許さないのは、これを悪いことだって決めてかかってるような。
(無意識か、自覚してんのかは知らんけど)
娘にやるってことは、自分の女性性もすごく否定しているんだよね。
だからこういう女性は多くが、中年以降になっても幼児園児みたいだったり、逆に男みたいになったりする。
女性として健康的に幸せに成熟している母親が娘を苦しめてる例は見たことがないです。
今のところですけど。
だいたいやりすぎたり、男っぽくなったり、子どもっぽかったり、不自然
(このことは日本が戦後継承し続けてる歪んだ家父長社会システムが大きく関わってることでもあるので、くわしく知りたい方はこの本読むといいかもしれません。
↓
※『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』上野千鶴子・田房永子 著 )
【娘に女性性の否定が受け継がれるパターン】
この女性性の否定が娘に受け継がれてしまうパターンでありがちなのはふたつ。
ひとつは、母親を見て
「女って嫌だなぁ…」
と嫌悪して、自分の女性性も嫌がるようになるパターン。
もうひとつは、母親の
「女になるな!!」
というメッセージを素直に受け入れてしまって
「女は良くないことなんだ」
と学習してしまうパターン。
一番多いのは複合型だと思いますが…。
「女性になることは、お母さんへの裏切りだ」
と思い込んでしまうことも。
【「女って嫌だなぁ」「女は辛いことばっかり」って思ってると本当にそうなる】
人の無意識…わからない人は
「心の中で喋ってる言葉」
と受け止めてください。
無意識というのはとっても恐ろしくて、無意識は現実に必ず影響するものです。
“引き寄せの法則”とか“鏡の法則”とか“自分原因説”とかいろんな言葉に変えて作家さんが使ったり、スピリチュアル商法に利用されてきたりしていますが、古来からいわれる“因果律”ってやつ
「女って嫌だな」
「女は辛いことばっかりだ」
「女でいたくない」
と思ってると、その通りになりやすいのです…。
キャ~
何事も結びつけて考えてしまうと、不幸の種を現実から拾い上げるようになる。
そうするとその通りになってしまう。
「女である自分が嫌」
という話、いつも高校時代のとある女の子を思い出します。
毎日毎日痴漢されていて、学校のあらゆるタダ働きを一身に引き受け、ストレスと疲労でいつも頭がおかしくなっていた。
そりゃそうなるよねと今なら思うけど。
この女の子は
「男の子が欲しかったのに、女の子なんかいらないのに」
とお母さんにいじめられていました。
本当にイジメだよ。
だって弟は生まれているんだもん。
「女の子なんかに生まれて!」
っていじめれば、彼女が泣いて嫌がるからわざと言うの。
嫌な話だけど、こういうとんでもない親って実在するんだよ。
この家ではお母さんとおばあちゃんがタッグ組んで彼女をいじめていたそうだから、先祖代々こうやっていじめてるんだと思う。
「一番若い性別女を女同士でいじめる」
というスタイルを。
「女、女」
っていうけど女だけでは子孫ができませんから、もとを辿れば男女関係の不和やトラブルがあるはずで、
「女だけのせい」
ではないはずなのだ。
だけど男(おじいちゃん・お父さん)は彼女へのやまない加害が存在している家庭で
「存在していない」
かのように扱われる。
きっと意識的に男たちも逃げている。
これが恐ろしい。
…というところまで考えができる余裕はもちろん被害者たる彼女にはなくて、
「女の子に生まれちゃったから、ダメなんだ。
女の子でいるのは辛い」
という思いがだだ漏れていた。
毎日痴漢されるという悪夢のような現実さえ変わらない。
家族が、学校が、社会が
「加害行為なんてない」
と一番弱い立場の彼女を黙らせる。
つらい…。
風の噂では彼女は電車嫌いになって、会社に歩いていけるマンションに住むようになったらしい。
でも、今度は何度部署移動させてもらっても必ずセクハラする人が会社に出現するんだって。
辛すぎるよね。
私は
「彼女が悪い」
なんてぜったいに言いたくない。
ぜったいにぜったいに加害行為をするおばあちゃん・お母さん、見て見ぬふりして加害行為を継続させるおじいちゃん・お父さん(あと子どもだけど弟も)が悪い。
痴漢やセクハラをゆるす社会が間違ってる。
だけど、まずは彼女が
「ぜったい嫌だ!!!」
って思わないかぎり彼女の世界は変わらないんだよ。
無抵抗な者を残念ながら踏みにじる地獄が彼女の現実なのだから、黙ってて相手が変わることは辛いけれどない。
だから
「セクハラゆるさん!」
ってまずは決めて助けを求めないといけないんだよね。
辛いけれど…。
【日本は健全な女性性が育ちにくいのか?と思ったりする】
この国って健全な女性性が育ちにくい風土なのか?
と感じたりする。
女性性に関して私が
「象徴的だな~…」
といっつも思うのが、女性スポーツ選手。
とある競技は、美しい選手が多いことで世界的に有名でね。
競技中(オリンピックとか)の外国の選手は、長い髪をポニーテールにしたりアレンジしたり、アクセサリーも小さめのものをつけて、汗かいても大丈夫な程度のメイクをして自分を着飾ってる。
またそれが、凜としたカッコよさがあってステキなのよ…

そういう選手が、金メダルとったり世界女王になったりしていて、国の人気者らしい。
で、日本の選手はどうかっていうと…今はだいぶ変わったかもしれないけど、ちょっと前まで
・スポーツ刈りのような短髪
(髪が重いとかひっかかるとかで、強制的に切らせられる)
・アクセサリーは一切禁止
・メイクも一切禁止(だから日焼けジミがひどい)
が、スタンダードだった。
でも入賞すらできない。
すっごい私、こういうのから
「女はダメだ、劣等だ、男になれ」
って刷り込みを感じるんだよね。
去勢されたみたいな外見に見えるから。
私は常々、メイクもファッションもやりたい人がやればいいんであって、やりたくない人はしなくていいと言ってますけど、
やりたくない、の根っこに女性性の否定があるなら苦しいだとうなと思います。
だって、女の体と心で生まれているなら、それは
「私は私が憎くて嫌いだ」
と思っていることだから。
「すっぴんで、適当な服着てる私が大好き
」
なら、すっぴんジャージでも素敵なオーラが出ます。
人とはそういうものです。
日本だと“セクシー”も“女らしさ”も、嫌うか、社会的強者がむさぼるためのもの、なんだもん。
「私が幸せ」
なそれが少ない!
…と思う。
だから女性として成熟するのが息苦しくなりやすいのかな~って。
私は、
「自分のことは考えずに、他人のためだけに生きる」
「自己犠牲が美しく素晴らしい」
「無私の心が絶対的にいい」
という考えに賛同できないんですよ
結局、なりきれなくてどこかで破たんしてしまうことが、あまりに多いから。
私は
「自分が幸せになれば、その幸せが周りに溢れだす」
「自分がまず自分を大切にしていれば、その大切オーラが周りにも伝わって大切にされる確率が上がる」
(ただし、自分だけが好き勝手やって快楽をむさぼればいい、って意味ではない。
まずは自分を守って幸せにしようよってこと)
と思ってるのでね。
「自分を愛する」
って言葉にキーッとなる人たちは
「自分を愛する=他者を侵害して自分の養分にする」
って思っている気がする。
それはきちんとした自分への愛ではないよ~。
ともあれ、まず自分を大切にするのが第一段階。
これを抜かして人のためになることができる人を私は見たことがない(笑)。
「自分だけが、他者の命や心を侵害しながら快楽をむさぼる」のも「自分のことだけはぜったいに大切にしないで粗末に扱う」も正しい中庸の道ではないでしょうよ。
自分のひずみってもれなく次の世代に持ち越されるからね。
幸せを願うなら自分から始めるしかないと、私は考えています。
それには、女性なら女性性…っていうか
「自分では変えられないもの」
を嫌いすぎない方がいい。
ただ、そうである。
そんな落ち着いた心で受け止めればいいんじゃないかな。
※毒親問題について書いた、その1はコチラです。
※対面カウンセリングのページはコチラです。
周りを見ていると、だいたい母子関係に問題がある(傷ついている)人というのは、
お母さんが未成熟で子どもで、娘が強制的にお母さんの役割を押し付けられている
ことが多いな思います。
「お前なんかなんにもできないくせに!!」
と娘に過干渉、そこまでじゃなければ過保護になっている母親ですが、実は精神的にとっても娘に甘えているんですよね。
なんでもしていいし、ヒステリックに感情ぶつけていいし、気をひくために泣いてみたり、意のままに動かすために不機嫌アピールしたりする。
そういうお母さんと一緒にいると、娘さんは世話を焼かれながらも、精神的に“娘の立場”でいられなくなるのです。
子どもなのに、娘が大人にならなきゃいられないわけですね。
お母さんを庇う人はだいたいコレ。
「母も苦労したんです」
「悪気はないんです」
とかばう。
そこには
「私が物分りよければ、お母さんを責めなくていい」
「私が大人になれば、問題にならない」
というあきらめっていうか自己犠牲精神があるように思います。
子どもは保護者なしには生きていけないので、生きるためには仕方ないことな気もする。
【未熟なお母さんは、女性性にアレルギー反応している?!】
よくある母親から娘への虐待で、
「ブラジャーを買ってくれない」
「生理用ナプキンを買ってくれない」
「おしゃれするのを断固拒否」
というものがあります。
最後のやつで、私が今まで聞いた中で一番ひいたのは、
・娘に一切の脱毛をさせない→だから眉毛も腕もワキもマングローブ状態
・日焼け止め以外のコスメをスキンケア含め一切使わせない→おかげで毛穴という毛穴がひらいて脂ギトギト…
・美容室に行かせない→母親が切るので、めちゃくちゃ変な腰までロング
・服も下着も、自分で買ったことが一度もない→変な母親セレクトの服…
という
「うわぁあああ~~~!!!

なものでした

そんな娘さんは、出会い系アプリで見知らぬ男と1回だけ〇り捨てされるのを繰り返しているそうです…でも自分では
「元彼は100人

って思っているんだって。
お~い


どの例からもなんとなく感じるのは、
「お母さんが、“女の子”(幼女ではない)“女性”というものにとんでもなく嫌悪感を覚えているんだな」
ということ。
生理が始まる前の男女というのは、それぞれ特徴はあれどとっても中性的で“子ども”っていう生き物な感じ。
でも、やがて幼女は体つきも成長して生理も始まって“女の子”になり、成熟を重ねて“女性”になる。
それって女性として健康に生きているってことで、本来はとても喜ばしいこと。
なのにそれを許さないのは、これを悪いことだって決めてかかってるような。
(無意識か、自覚してんのかは知らんけど)
娘にやるってことは、自分の女性性もすごく否定しているんだよね。
だからこういう女性は多くが、中年以降になっても幼児園児みたいだったり、逆に男みたいになったりする。
女性として健康的に幸せに成熟している母親が娘を苦しめてる例は見たことがないです。
今のところですけど。
だいたいやりすぎたり、男っぽくなったり、子どもっぽかったり、不自然

(このことは日本が戦後継承し続けてる歪んだ家父長社会システムが大きく関わってることでもあるので、くわしく知りたい方はこの本読むといいかもしれません。
↓
※『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』上野千鶴子・田房永子 著 )
【娘に女性性の否定が受け継がれるパターン】
この女性性の否定が娘に受け継がれてしまうパターンでありがちなのはふたつ。
ひとつは、母親を見て
「女って嫌だなぁ…」
と嫌悪して、自分の女性性も嫌がるようになるパターン。
もうひとつは、母親の
「女になるな!!」
というメッセージを素直に受け入れてしまって
「女は良くないことなんだ」
と学習してしまうパターン。
一番多いのは複合型だと思いますが…。
「女性になることは、お母さんへの裏切りだ」
と思い込んでしまうことも。
【「女って嫌だなぁ」「女は辛いことばっかり」って思ってると本当にそうなる】
人の無意識…わからない人は
「心の中で喋ってる言葉」
と受け止めてください。
無意識というのはとっても恐ろしくて、無意識は現実に必ず影響するものです。
“引き寄せの法則”とか“鏡の法則”とか“自分原因説”とかいろんな言葉に変えて作家さんが使ったり、スピリチュアル商法に利用されてきたりしていますが、古来からいわれる“因果律”ってやつ

「女って嫌だな」
「女は辛いことばっかりだ」
「女でいたくない」
と思ってると、その通りになりやすいのです…。
キャ~

何事も結びつけて考えてしまうと、不幸の種を現実から拾い上げるようになる。
そうするとその通りになってしまう。
「女である自分が嫌」
という話、いつも高校時代のとある女の子を思い出します。
毎日毎日痴漢されていて、学校のあらゆるタダ働きを一身に引き受け、ストレスと疲労でいつも頭がおかしくなっていた。
そりゃそうなるよねと今なら思うけど。
この女の子は
「男の子が欲しかったのに、女の子なんかいらないのに」
とお母さんにいじめられていました。
本当にイジメだよ。
だって弟は生まれているんだもん。
「女の子なんかに生まれて!」
っていじめれば、彼女が泣いて嫌がるからわざと言うの。
嫌な話だけど、こういうとんでもない親って実在するんだよ。
この家ではお母さんとおばあちゃんがタッグ組んで彼女をいじめていたそうだから、先祖代々こうやっていじめてるんだと思う。
「一番若い性別女を女同士でいじめる」
というスタイルを。
「女、女」
っていうけど女だけでは子孫ができませんから、もとを辿れば男女関係の不和やトラブルがあるはずで、
「女だけのせい」
ではないはずなのだ。
だけど男(おじいちゃん・お父さん)は彼女へのやまない加害が存在している家庭で
「存在していない」
かのように扱われる。
きっと意識的に男たちも逃げている。
これが恐ろしい。
…というところまで考えができる余裕はもちろん被害者たる彼女にはなくて、
「女の子に生まれちゃったから、ダメなんだ。
女の子でいるのは辛い」
という思いがだだ漏れていた。
毎日痴漢されるという悪夢のような現実さえ変わらない。
家族が、学校が、社会が
「加害行為なんてない」
と一番弱い立場の彼女を黙らせる。
つらい…。
風の噂では彼女は電車嫌いになって、会社に歩いていけるマンションに住むようになったらしい。
でも、今度は何度部署移動させてもらっても必ずセクハラする人が会社に出現するんだって。
辛すぎるよね。
私は
「彼女が悪い」
なんてぜったいに言いたくない。
ぜったいにぜったいに加害行為をするおばあちゃん・お母さん、見て見ぬふりして加害行為を継続させるおじいちゃん・お父さん(あと子どもだけど弟も)が悪い。
痴漢やセクハラをゆるす社会が間違ってる。
だけど、まずは彼女が
「ぜったい嫌だ!!!」
って思わないかぎり彼女の世界は変わらないんだよ。
無抵抗な者を残念ながら踏みにじる地獄が彼女の現実なのだから、黙ってて相手が変わることは辛いけれどない。
だから
「セクハラゆるさん!」
ってまずは決めて助けを求めないといけないんだよね。
辛いけれど…。
【日本は健全な女性性が育ちにくいのか?と思ったりする】
この国って健全な女性性が育ちにくい風土なのか?
と感じたりする。
女性性に関して私が
「象徴的だな~…」
といっつも思うのが、女性スポーツ選手。
とある競技は、美しい選手が多いことで世界的に有名でね。
競技中(オリンピックとか)の外国の選手は、長い髪をポニーテールにしたりアレンジしたり、アクセサリーも小さめのものをつけて、汗かいても大丈夫な程度のメイクをして自分を着飾ってる。
またそれが、凜としたカッコよさがあってステキなのよ…


そういう選手が、金メダルとったり世界女王になったりしていて、国の人気者らしい。
で、日本の選手はどうかっていうと…今はだいぶ変わったかもしれないけど、ちょっと前まで
・スポーツ刈りのような短髪
(髪が重いとかひっかかるとかで、強制的に切らせられる)
・アクセサリーは一切禁止
・メイクも一切禁止(だから日焼けジミがひどい)
が、スタンダードだった。
でも入賞すらできない。
すっごい私、こういうのから
「女はダメだ、劣等だ、男になれ」
って刷り込みを感じるんだよね。
去勢されたみたいな外見に見えるから。
私は常々、メイクもファッションもやりたい人がやればいいんであって、やりたくない人はしなくていいと言ってますけど、
やりたくない、の根っこに女性性の否定があるなら苦しいだとうなと思います。
だって、女の体と心で生まれているなら、それは
「私は私が憎くて嫌いだ」
と思っていることだから。
「すっぴんで、適当な服着てる私が大好き

なら、すっぴんジャージでも素敵なオーラが出ます。
人とはそういうものです。
日本だと“セクシー”も“女らしさ”も、嫌うか、社会的強者がむさぼるためのもの、なんだもん。
「私が幸せ」
なそれが少ない!
…と思う。
だから女性として成熟するのが息苦しくなりやすいのかな~って。
私は、
「自分のことは考えずに、他人のためだけに生きる」
「自己犠牲が美しく素晴らしい」
「無私の心が絶対的にいい」
という考えに賛同できないんですよ

結局、なりきれなくてどこかで破たんしてしまうことが、あまりに多いから。
私は
「自分が幸せになれば、その幸せが周りに溢れだす」
「自分がまず自分を大切にしていれば、その大切オーラが周りにも伝わって大切にされる確率が上がる」
(ただし、自分だけが好き勝手やって快楽をむさぼればいい、って意味ではない。
まずは自分を守って幸せにしようよってこと)
と思ってるのでね。
「自分を愛する」
って言葉にキーッとなる人たちは
「自分を愛する=他者を侵害して自分の養分にする」
って思っている気がする。
それはきちんとした自分への愛ではないよ~。
ともあれ、まず自分を大切にするのが第一段階。
これを抜かして人のためになることができる人を私は見たことがない(笑)。
「自分だけが、他者の命や心を侵害しながら快楽をむさぼる」のも「自分のことだけはぜったいに大切にしないで粗末に扱う」も正しい中庸の道ではないでしょうよ。
自分のひずみってもれなく次の世代に持ち越されるからね。
幸せを願うなら自分から始めるしかないと、私は考えています。
それには、女性なら女性性…っていうか
「自分では変えられないもの」
を嫌いすぎない方がいい。
ただ、そうである。
そんな落ち着いた心で受け止めればいいんじゃないかな。
※毒親問題について書いた、その1はコチラです。
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