出発して帰ってくる日が頻繁になった。世の中で一番嫌いなものの1番目と2番目は病院へ行くことと飛行機に乗ることだと躊躇なく言えるだろう。空港の搭乗待合室の椅子に座って、この上なく嫌なこと、なぜ毎年法事をいくつもするのかと自問したりした。それは私には愛とは何か、そうして現実とは何かと問うもののように、どうしても解答をさがすことができないものだった。黙々と何も答えず搭乗待合室の椅子に座っているように、いつからか飛行中の習慣のようにやってくる自覚症状があった。それは話すのがどうにもきまり悪いのだが、泣くことだった。泣いたと言わず「泣くこと」というしか仕方のない理由が外にあった。モンゴルからシベリアを過ぎる時だった。私は泣いていたということを、目から涙が流れていたということに気が付いた。高さが1万2千メートル、窓の外は零下50℃、機内のガラスに霜が溜まっていた。機内のスクリーンも消えて、人々はそれぞれ目隠しをつけ、毛布を首まで引き上げてうとうとしたり、眠ったりしていた。暗い空間に私一人が目覚めているという孤立感が原始の恐怖のように襲ってきた。今ここはどこか。なぜ私だけが起きているのか。私はなぜ泣いているのか。私は誰なのか。モンゴルからシベリアを通って行く空の道。一つの映像が狐狸病(狐か狸に騙された)にはまって出てきた煙のように闇の中からもどってきた。映像は手鏡より小さいが周囲の深い闇のせいか、現実なのか、見分けがつかないほど生生しかった。白い喪服を着た女が地面の穴の中へ入って行こうと身悶えしていた。喪服を着た女が穴の中へ入ることができないようにつかんでいる家族、そしてそれ以外の他の人々はすべて穴を取り囲んで立っていた。女の身悶えによって穴の中から赤い土が向かい側まで飛び散った。喪服を着た女の顔に見覚えがあった。穴を取り囲む人々の顔も見覚えがあった。彼らは一様に罪を犯した人のようにおびえた表情で穴に向かって首を垂れていた。彼らの中でただ一人だけが喪服を着た女を正面から眺めていた。その人はどんな表情もつくらなかった。石のようだった。喪服を着た女は誰の顔も見なかった。ひたすら泣くことに熱中していた。映像はそこで止まったりした。泣こうと夢中になって暴れている喪服を着た女と彼女を眺めている石のような男。彼らは誰なのか。私は以前から彼らをよく知っているようだが、まったく彼らの名前を思い出さなかった。親戚のように近しいようでありながらも他人のように見慣れないのだった。彼らはモンゴルからシベリア、シベリアからモンゴルに至る広大な空の道に生きていた。いつもその姿で冷たいシベリア平原と暗いモンゴル草原に立って私を待っていた。私は、闇の中でただ自分だけの手鏡を見るように、はっきりと彼らを見た。搭乗客が目隠しを片付け毛布を畳んで背伸びをするとき、私は手鏡をしまうようにたっぷりと湿った掌を握った。そしてとても長い時間泣いていたことに気付いた。ひょっとしたらそのように1回声を殺して泣くために毎年飛行機に乗ったのか。去年の夏、東ヨーロッパ路線の最終都市のブタペストを出発し、2種類の相反する感情の虜になった。これ以上手鏡のようなものをのぞき見るまい。いや、手鏡でほかの姿を見ることもできないだろうか。<o:p></o:p>
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