『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳  朴ワンソの「裸木」63

2014-04-16 00:47:55 | 翻訳

 

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翻訳  朴ワンソの「裸木」63

 

219頁~223

 

「僕が入隊するから、お兄さんはお母さんを大事にして。長男は体を大切にしてください」

 

 彼らはスポーツで鍛えた前腕を空に向けて振り回して跳ねた。

 

「チンイは生きていただろうか。国軍も傷ついたと言っていたけど」

 

 長男の声に母は本家の長孫であるチンイ兄さんのことを考えたようだった。

 

「お母さんたら、チンイ兄さんは兵卒ではないんです。少佐だから、そんなにおいそれと銃に当るわけがないです」

 

 彼らは少佐の階級章を方牌(昔の身分証)として知っている様だった。

 

「それはそうと、本家はどこへ行ったら良いのやら。その日ミンイでも捕まえておけばよかったのに」

 

 優しい母はよくそのことでため息をついた。避難していてそのまま帰ってきた日、ミンイは家が気がかりだとすぐさま家へ帰ってしまった。それからの便りがないか、私が行ってみた。本家はなぜか民庁の看板が付設されていて、近くに行くこともできず、隣家におおよそのことを聞いてみると、軍人家族の中で以前から怖がっていた家族が、逃げたようだった。幸いにも誰も彼らに捕まってはいないようだった。

 

 爆撃が一層頻繁になって、砲声が常に聞こえ始めた。仁川が艦砲射撃を受けているというニュースを兄達が浮かれて伝えた。

 

 世の中が再び変わろうという断末魔のあがきで、巨大な都市が息苦しくじたばたしていた。

 

 私達も、人民班長や町の人民委員会から避難した家族という憎悪を、だんだん尋常でなく受け入れてマポ川で防空壕を掘ることにも、動員され、深夜に、所属も階級もはっきりしない軍服が乱入して至る所に泥の足跡を残して、隅々を隈なく探されるのも経験しなければならなかった。彼らが探すものが穀物なのか人なのかさえ明らかにならないまま、私達は穀物も人もばれることはなかった。

 

 しかし、こんな厄介ぐらいは、生みの苦しみと同じだろうか、切迫しているけれど、希望にあふれた陣痛で、少しだけ我慢したらと互いに慰めながら、むしろ彼らの暴虐が増せば増すほど、陣痛からの解放も近いはずだという期待で耐えられた。

 

 そんなある晩、私達がまるっきり消息のわからなかった本家の伯父とミンイ兄さんの訪問を受けた。

 

 彼らは見分けがつかないほどやつれて、身なりは間違いなく乞食だった。田舎の妻の実家を転々としていて、世相が険しくなるので、そこもままならなく、女達だけ残して、こちらへ来たようだ。軍人家族―これが彼らがどこでも頼る所がない罪名だった。

 

 彼らは母が急に作った、麦がちらほら混じったご飯を一杯ずつ蟹の目が隠すようにして空にした。口がうるさく横柄だった姿は見つけることはできなかった。

 

 彼らを通じて私達はようやく荒波の立っている世間を肌で感じた。

 

 どのくらい無辜の多くの人々が引っ張られて行って、死んで行ったかを、どれくらい残酷な飢えを経験しているかを聞いて、私達は奇跡のように、無慈悲な厄病神からそっぽを向かれていることがわかった。

 

 伯父が知らせようとしてくれた、死に直面して、あるいは引っ張られて行って、あるいは変化した世の中の同調者になることも、だいたいの若い人達は、私達が知っている家の中の臭いのほとんどすべてが若い人を含んでいるから、世の中でまともに生き残った若い男は、ウキ兄さんとヒョキ兄さんの二人以外にいないように感じられた。

 

 母が静かに合掌して厳粛に言った。

 

「お前たちのお父様がお世話することなのだよ」

 

 私達は勿論伯父とミンイを隠すことは当たり前のこととしてわかっていた。母は彼らの惨憺たる格好を見て、前もって我が家に来なかったことを繰り返しとても寂しがった。ここまでの私の回想には〈私〉がいない。〈私達〉がいるだけだ。特に私という個体が必要ではない家族という〈私達〉を通して思考し、私達の哀歓がすなわち私の哀歓だった。

 

 その晩、彼らを同じ家に泊めて、私はとても不安だった。私はどういうことか、その不安を誰にも見せなかった。

 

 砲声があまりにも大きく近かった。戦争がやって来ていた。米国に押されて頭の上を通るだろう。

 

 家族を傷つけずに通り過ぎていかせてやってください。私は母が厳粛に父がお世話することだと言ったことを考えて、内心心強くなった。私は父の一人娘で、父は生前も私の願いであれば拒絶することがなく、今の父は少なくとも人間以上のものだ。神? 仙人? 幽霊? 何と言っても関係ない。とにかく彼は、神秘な力で私達を助けることができる、ひときわ高い所にいることに間違いないのだから。

 

 私は夜中に砲声で眠れなくて、父と対話を交わし、切実に家族の無事を祈った。

 

 それでも日が昇ると不安だった。今まで私達家族だけが安穏と満腹を享受したことが、心に引っかかって耐えられなかった。

 

 たまたま厄病神の目が私達をかすめて行っただけ、縛ってもまず迎える人がましで、もっと恐ろしい報復が待っているような予感がした。

 

 砲声は更に近く、兄達は浮かれてにこにことしょっちゅう天井と食糧貯蔵部屋の間を上がったり下りたりした。

 

 私はそんな彼らが私よりはるかに年下の無分別な人と感じた。意地悪な厄病神の目につくだろう。私は彼をもう少し奥まった所に密かに隠したかった。

 

「まあ、伯父様とミンイの寝る所を用意すればいいんじゃない?」

 

「そうですね。台所の板の間の上はあまりに狭いし」

 

「広くても一緒に居るようにすることが…」

 

「どうですか。伯父様もこの戦乱のせいでそれぐらいの苦労を覚悟しているでしょう」

 

「誰が苦労するものか、そうじゃない?」

 

「そう?」

 

「食糧も何か所かに分けて隠さない? ひょっとしたら、何かあっても一緒に根こそぎやられないじゃない?」

 

 私はあちこちまた一つの隠れ場所を思い巡らしながら、狡猾にももう少し安全な場所をウキ兄さんやヒョキ兄さんの居場所にしようと決心した。

 

「表門の脇部屋の押し入れはどうですか?」

 

「あまりにも離れてへんぴで…」

 

「そうだけれど今まで誰も表門の脇部屋を開けてみた人はいなかったでしょう? 誰もそちらに視線を向けても見ないから」

 

「もともと長く空けておいたし、また崩れ落ちるから」

 

「だからいいんです、そうします」

 

「さあね」

 

 母も乗り気になって言った。幾重にも閉ざされた表門の脇部屋は、私が物心ついてから一度も開けられるとか、片付けるのを見たことがない。灰色に変色した障子紙が破けたまま垂れ下がった窓は固く閉じられたまま、特に錠がかかっていることもないけれど、また特に開けてみる理由もなかった。

 

 表門の脇部屋制度がなくなるや、自然に忘れられた一部分に過ぎなかった。賃貸しするほど家の中が貧窮してもいなかったし、少ない家族にはその外にも空き部屋が多いので、表門の脇部屋という卑しい名称がついて伝わった部屋を、借りて使う理由もなかった。

 

「お兄さん達をそちらへ移します」

 

「どうして?」

 

「そこがもっと安全でしょう」

 

「あら、まあ…」

 

 母はちょっと肩をすくめて、心苦しそうにしたが、黙認しようという素振りだった。この状況にもう少し自分に近い肉親をいっそう大切にみなそうというのは当然のことだった。

 

 私は表門の押し入れを片づけ始めた。蜘蛛の巣を片付けて、ほこりをはたき、雑巾がけをしてござを敷いた。清潔を好む母は汚らしい壁にすっきりしない素振りだったが、今がいかなる時かと私は母をあらかじめやりこめていた。それでも母はぴかぴかになるまで仕上げた場所に、全部ござを敷いて座布団を敷いた。

 

 兄達は素直に移動した。私は引っ越しの荷物を運んだ。

 

「わしらがそこへ行こうか? いたずらに釜山湾が揺れるように言って…」

 

 伯父が恐縮するように言った。

 

「まあ伯父様をどうしてあの汚い表門の脇部屋でお世話することが…」

 

 母はもっともらしく白を切るほど平然としていた。

 

 まずぴょんと跳びあがったウキ兄さんがだしぬけに、

 

「よく片付けてあるけど、間違いなくごわごわした内部だね」

 

「まあ…お兄さんも不吉な気がするようで冷たく感じる」

 

 私は不意に胸の動悸が激しくなりドキドキし始めた。

 

「お前も女の子で仕方ないね。もう迷信を持ち出すのを見ると」

 

 彼らがぱたっと横になると、押し入れの中がいっぱいだった。

 

「狭すぎない? もう少し広い所にする」

 

「大丈夫だから、引っ越しはここを最後にしよう」

 

 砲声が近くに聞こえて通り過ぎて、もう頭の上を飛び始めた。砲弾と空気がかする音が鋭く神経を触った。それは耐えられないやっかいな音だった。〈シェーエン〉という音が長く語尾を引きずって行き、必ずごろごろどんどいう破壊音で終わりをふさいだ。

 

 砲撃は昼夜関係なく続き、ついに地上の炎が空まで赤く染めた。しかしまだこの都市は赤い統治下にあった。戦争が625の時のように簡単に頭の上を過ぎずに、長く長く頭の上に止まりながら、その狂気を極めていた。

 

 月がもの悲しくなるほど明るい晩だった。私は、明け方頃寝られずに月の悄然とした静寂と戦争の狂乱した騒音を、同時に受け入れていた。

 

 食い止めることができない不安恐怖を、真心込めた祈りでもって紛らわそうと、必死の努力をした。私は父を数えきれないほど呼んだ。

 

「平和が来れば一番にまず…」

 

 隣に横たわっていた母も今になっても寝られなかったようで、きれいな声で話かけてきた。

 

「第一にまず?」

 

 私は反問しながら、平和が来ればという平凡な前口上が、私が鳥になればといった、不可能を前提にする仮定法として聞こえた。

 

「お前、嫁入りするみたいだ」

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