摩川散歩でわかった。毎日、決まった時間に、顔だけは知っているが住所も名前も知らない同士が親しく体操し、会話する・・・なんて。それも1年、2年、いや、5年、6年、中には30年の人もいるらしい。これは、人と人との上下もない、経済で結ばれた関係もない、階級も身分もない。これこそ自由社会の人間関係、市民社会というべきか?とはいえ会話の中身は決して上滑りの挨拶に終始しているわけでもない、今の社会の様々な問題を、おとなしく、礼儀正しく、それぞれのコトバで、控えめに交わし合って、笑ったり、眉をひそめたり、鋭く怒ったりしている。そこを支配しているのは道理だ。
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