田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

150927 朝日新聞投稿欄 沖縄の「辺野古埋め立て承認取り消しを再考を」について

2015年09月27日 13時31分55秒 | 時評

 

その全文は、『沖縄県の翁長雄志知事が米軍普天間飛行場の移設予定値である名護市辺野古の埋立承認を取り消す手続きに入った。翁長知事は移設反対の民意を得て当選したのだから当然と思われる。だがもう一度よく考えてもらいたい。もし移設計画が頓挫し、その間に「世界一危険」とも言われる普天間での事故が発生して、犠牲者が出れば誰が責任を取るのか?確かに、永年にわたる基地負担は、沖縄にとって大変なことだと思う。しかし本州にも少なからず米軍基地がある。基地を抱える自治体はどこも、周辺住民の生命と日米安全保障条約との板挟みに遭って苦悩している。国がこれからも辺野古移設を進めていくだろう。翁長知事がこ今以上の抵抗を見せれば最後は司法判断という方向に進む。そうなれば、また何年もの年月がかかり、結果として沖縄県民に命が危険にさらされるだろう。普天間の固定化だけは避けねばならない。しかし現在の日本を取り巻く環境や抑止力の維持、地理的条件を考えても、沖縄に海兵隊の基地は必要だと思う。翁長知事の再検討を期待する』 である。

普天間で事故が発生したら誰が責任を負うか?。これは米軍は責任を負わないという前提の設問である。

安保条約と基地周辺の住民の苦しみはどこも一緒。だから、住民の苦しみは薄く分散させるべきである。辺野古は苦考の上の『お上』の結論である。

これに抵抗し、司法判断となれば普天間の苦しみが延びるだけ。お上に従うのが妥当だ。

翁長氏の公約の実行(移設反対の民意に従う)は当然とはいえ、その公約は間違っていると思い直し、公約は破りなさい。

 

論旨に帰ると、まず前提として、第一、抑止力は沖縄・米軍の海兵隊に依存している。第二。住民の危険があるので(慎重に調査して)辺野古に移動させることに決した。故に第三、この政府方針に異を唱えるべきではない、という三段論法である。

第一の前提は、国民のコンセンサスになっているのだろうか?第二の前提は、少なくとも沖縄住民は不同意である。だから第三の結論は導くことはできない。翁長氏の知事選挙における公約は辺野古に基地を作らせないというのが最大かつ唯一の公約だった。総選挙で勝利した4誌の公約もそうだった。つまり民意は第三と真反対のところにある。

。もし論者のような主張が辺野古移設派の代表的な論理だとすればなんともお粗末な論理の運びではないか。

日本を取り巻く環境(の悪化)故に抑止力(の強化の必要)、抑止力=アメリカ海兵隊という論理の運び、安保条約で住民の苦しみがあっても米軍基地は受け、沖縄反対でも国は工事を強行するから抗しがたいではないかといった投稿男性の見解は、『お上のやることには、選挙で選ばれたのだから、国民は従うべき』という思想が透けて見える。基地移設問題を国民に理解させるためにこの程度の立論しかできないところに、この問題の無茶な推進があることがわかる。この無茶は、立憲主義、主権在民を確認しようとして民主主義の学校に通い始めた国民が増えている流れの中で、条理を保つことができないことをもうすぐ知ることとなろう。


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