解決を迫られている7つの難問
日本に目を向けてみると、今、解決をしなければならない課題がいくつもあります。
神奈川大学の松岡紀雄教授によれば、氷山にぶつかり沈没を開始しているタイタニック号の上で甲板の椅子を並びそろえる愚を職責と思ってまじめに遂行している勤勉な人たちが日本人と重なるということです。(学士会報2006-4)。同氏によるとタイタニック号はまさに日本丸であるといいます。そして日本丸は、次のような氷山に激突し、沈没中であるというのです。
第一の氷山は世界最大のスピードで進む少子高齢化です。もうこんな環境の日本には生まれたくないという生物的本能がなせるDNAの集団自殺が起こっているとしています。
第二の氷山は超借金大国です。先代が浪費したものを子孫は弁済できないという社会の赤字を子孫が背負わされることです。
第三が、教育、勤勉、モラルの崩壊現象です。教育では基礎学力の低下が止まらない、それにもまして基礎体力の低下も顕著になってきている、引きこもり100万人、ニート100万人、フリーター400万人といわれる青年たちの社会的存在はそれ自身、凄惨な断裂である。これは救いようのない格差社会への一直線化と次世代への格差の再生産を進めるであろう。モラルについては改めて説明を要さないほどであり、政界、官界、産業界、教育界、スポーツ界など社会のあらゆる階層で、「だまされる方が悪い」といった風潮すら存在する偽装社会になっている。
第五の氷山が大震災で、これに対しては十分な備えがない。第六の氷山は、これが最大だが、地球環境問題である。これは、日本ばかりではなく世界の問題だが、日本に関係深いところで言えば、食料とエネルギーがほしいだけ手に入る時代が過ぎ去ったことである。いずれ熾烈な国家間、民族間の熾烈な奪い合いのウズに巻き込まれるだろう。
第七の氷山は戦争とテロの危険である。
日本を救う技術
しかし、カールベッカー氏(京都大学大学院人間・環境学研究科の教授)によりますと、日本は世界に先んじて危機を体験中であるのでその分だけ知恵や技術を持っているし、それを世界に教えて上げるという行動を取ればよいと言います。つまり日本は偉大な技術国だから、この技術を世界のニーズに合わせて売っていくが出来るというのです。
その見識には、脱帽します。松岡教授の指摘を待つまでもなく、日本国はその構造ががたがたになり、今にも崩壊しそうだが、世界から期待されている生き残りのすべを、知財として持っているし、世界に適応するすべも十分心得ている、だからその面での国際貢献はビジネスとしても大きな展望を描くことが出来る、といいます。
同氏によると、日本が誇る大型液晶テレビの技術は、日本を支えるような技術ではない、それは世界にそんなデマンドが起こりえないからだと言います。説明を加えますと、地上デジタルテレビ放送網などは、中国やアメリカなどの大国ではマーケット化出来ない、品質への満足感は日本の消費者の敏感な色感とほど遠いといいます。
それよりもソーラエネルギーや地熱開発、電気で動く農機具、トラクター、非化学肥料、塩水を真水に変える技術、リサイクル技術であると言い切ります。
地域事業というコンセプト
結論を先に言えば、産業技術だけでは、先に述べた氷山にぶつかった日本丸、いや地球号を救うことは出来ません。
出来るとすれば、国連、各国政府、各地域自治体、産業(企業)、NPO・NGOなどの市民組織、個人の6つのセクターが、同じ方向を向いて、同じ戦略を持って、技術を出し合いながら、地域ごとに問題に立ち向かう処方箋をつくり、同時的に問題解決に当たっていくことではじめてうまく行くと思います。
すなわち地球市民レベルの共同がなければならないでしょう。石油ほしさの戦争や戦争準備をやっていたら、とてもそんなことは出来ません。私は、グローバルに考え、地域で行動するという大原則の下で、各地域がマスタープランをつくり、地域事業として、壮大な取り組みを開始していくべきだと思いますし、またそうなるに違いないと信じております。
その地域事業は、いわゆる公共事業をいったん解体し、再統合するので地域経済を活性化するビジネスモデルを多数生み出すでしょうし、新しい市場経済を生んでいくものと確信しています。それでは地域事業とは何でしょうか?
機械と火の文明から命と水の文明へ壮大な転換
中村桂子さん(JT生命館長)によれば20世紀までは機械と火の文明でした。しかし21世紀からは生命と水の文明に変わると言うことでした。人類(西洋文明が支配しているこの200年、特に最後の50年には、化石燃料をふんだんに使い、機械を動かし、自然をその暴力によって産業のためのインフラを作るために気ままに変えました。日本の工業地帯の海浜の人工化率はほとんど100%ですし、都市の緑地率は数%です。また都市の河川はほとんど水泳禁止ですし、地下水は飲用不適です。
今日の文明は巨大な都市(建物)を造り、大量の物資を運搬し、そして、炭酸ガス、廃熱、排水、産業廃棄物、一般廃棄物を吐き出し、ゴミ処理地、廃棄した農地、砂漠を生みました。
こうして得られた富は、壊した自然と生存環境や健康の破壊などと秤にかけられ、今では、それが大変な赤字になっていることに気づきました。この赤字が続いていては、富を得ることも出来なくなると言うことになりました。もはや機械モデル、火のモデルは有効性はなくなり、代わって新しい産業モデルを作らなければならないのです。
地域事業は、発想の原点は、機械と火ではありません。水です。水は命、緑、土、太陽光、風と哲学的には共通の概念で経済学的には環境材という概念です。生命を生産する産業、生命系、農系の産業哲学の基本です。水を使い捨てない、水を汚さない、水を繰り返して使う、水を食料に最優先して使う、水害を流域で管理、分配する、水に親しむ、リサイクルで水をつくる・・という一連の日本に定着してきた文化が産業技術になり、生活技術に進化するという、平凡な社会つくる考えです。機械と火の産業で生命を創造できません。無機物からは有機物は作れません。有機物(すなわち生命体)は有機物が生産するものですから、農林漁業がどうしても基本になります。農林漁業をすてては、7つのどの氷山も克服できません。
わらってしまう・・・炭酸ガス封じ込め論
現在、巨大文明がはき出した廃棄物は、自然の隅々までを浸食し、生態系を脅かしています。生体系の中には人類も入るのは当然です。
炭酸ガス問題は、わかりやすい形で産業界、企業の姿勢を伝えてくれます。やがて、企業ごとに炭酸ガスの削減割り当てが示されるようになるか、炭素税で大きなお金を払わなくなるでしょうが、今この対策として、産業界はなるべく今の産業システムや体質を変えないで、儲けながら乗り切ろうとしています。
一言で言えば横着で無責任は舵取りをしています。
炭酸ガスが邪魔だ、仕方がないから、穴を掘って埋めよう、それは出来そうだと言うことで、新しい商売が出来ると喜色満々の企業もでています。これは生ゴミは燃やせ、下水汚泥は埋め立てよ・・・という過去手法の選択は、すべて既往の産業システムの絶対的擁護(無反省)の思想を背景としており、当然その思想は驚くほど単純です。これが国際世論に歓迎され、国連でパスするようなCDM事業であるとは考えにくいからです。
温暖化ガス問題は、人間の生存場の不具合、すなわち地球が煩う糖尿病の一病理形態で、対症療法で解決しません。エントロピーの捨て場を探すという観点から、人間活動の諸相である経済、環境(自然との交渉)、土地利用(都市、農村)、海洋利用のすべてを見渡し、国際的な(地球市民的な)受益を図る政策提案と技術提案こそ求められている。繰り返しますが経済も環境も地球のサブシステムであるから。
私見ではCO2固定を唯一の使命とすることは、ことの本質を見損なっています。命とは水と炭酸ガスを使う、光エネルギーの転換構造体です。炭酸ガスは重要な(大切な)資源なのです。
エントロピーの捨て場に苦しむ現在の産業の再建の道は「火」からではなく「水」という切り口から、炭酸ガスを利用する産業(一次産業)の配列を組み立ててみることが必要です。農業の持つ意味を感じ取って頂ければ幸甚です。
そして日本は、海も、陸も、みずみずしく、水を上手に、美しく、使ってきた水と命の大国であるということを想起すべきです。
日本に目を向けてみると、今、解決をしなければならない課題がいくつもあります。
神奈川大学の松岡紀雄教授によれば、氷山にぶつかり沈没を開始しているタイタニック号の上で甲板の椅子を並びそろえる愚を職責と思ってまじめに遂行している勤勉な人たちが日本人と重なるということです。(学士会報2006-4)。同氏によるとタイタニック号はまさに日本丸であるといいます。そして日本丸は、次のような氷山に激突し、沈没中であるというのです。
第一の氷山は世界最大のスピードで進む少子高齢化です。もうこんな環境の日本には生まれたくないという生物的本能がなせるDNAの集団自殺が起こっているとしています。
第二の氷山は超借金大国です。先代が浪費したものを子孫は弁済できないという社会の赤字を子孫が背負わされることです。
第三が、教育、勤勉、モラルの崩壊現象です。教育では基礎学力の低下が止まらない、それにもまして基礎体力の低下も顕著になってきている、引きこもり100万人、ニート100万人、フリーター400万人といわれる青年たちの社会的存在はそれ自身、凄惨な断裂である。これは救いようのない格差社会への一直線化と次世代への格差の再生産を進めるであろう。モラルについては改めて説明を要さないほどであり、政界、官界、産業界、教育界、スポーツ界など社会のあらゆる階層で、「だまされる方が悪い」といった風潮すら存在する偽装社会になっている。
第五の氷山が大震災で、これに対しては十分な備えがない。第六の氷山は、これが最大だが、地球環境問題である。これは、日本ばかりではなく世界の問題だが、日本に関係深いところで言えば、食料とエネルギーがほしいだけ手に入る時代が過ぎ去ったことである。いずれ熾烈な国家間、民族間の熾烈な奪い合いのウズに巻き込まれるだろう。
第七の氷山は戦争とテロの危険である。
日本を救う技術
しかし、カールベッカー氏(京都大学大学院人間・環境学研究科の教授)によりますと、日本は世界に先んじて危機を体験中であるのでその分だけ知恵や技術を持っているし、それを世界に教えて上げるという行動を取ればよいと言います。つまり日本は偉大な技術国だから、この技術を世界のニーズに合わせて売っていくが出来るというのです。
その見識には、脱帽します。松岡教授の指摘を待つまでもなく、日本国はその構造ががたがたになり、今にも崩壊しそうだが、世界から期待されている生き残りのすべを、知財として持っているし、世界に適応するすべも十分心得ている、だからその面での国際貢献はビジネスとしても大きな展望を描くことが出来る、といいます。
同氏によると、日本が誇る大型液晶テレビの技術は、日本を支えるような技術ではない、それは世界にそんなデマンドが起こりえないからだと言います。説明を加えますと、地上デジタルテレビ放送網などは、中国やアメリカなどの大国ではマーケット化出来ない、品質への満足感は日本の消費者の敏感な色感とほど遠いといいます。
それよりもソーラエネルギーや地熱開発、電気で動く農機具、トラクター、非化学肥料、塩水を真水に変える技術、リサイクル技術であると言い切ります。
地域事業というコンセプト
結論を先に言えば、産業技術だけでは、先に述べた氷山にぶつかった日本丸、いや地球号を救うことは出来ません。
出来るとすれば、国連、各国政府、各地域自治体、産業(企業)、NPO・NGOなどの市民組織、個人の6つのセクターが、同じ方向を向いて、同じ戦略を持って、技術を出し合いながら、地域ごとに問題に立ち向かう処方箋をつくり、同時的に問題解決に当たっていくことではじめてうまく行くと思います。
すなわち地球市民レベルの共同がなければならないでしょう。石油ほしさの戦争や戦争準備をやっていたら、とてもそんなことは出来ません。私は、グローバルに考え、地域で行動するという大原則の下で、各地域がマスタープランをつくり、地域事業として、壮大な取り組みを開始していくべきだと思いますし、またそうなるに違いないと信じております。
その地域事業は、いわゆる公共事業をいったん解体し、再統合するので地域経済を活性化するビジネスモデルを多数生み出すでしょうし、新しい市場経済を生んでいくものと確信しています。それでは地域事業とは何でしょうか?
機械と火の文明から命と水の文明へ壮大な転換
中村桂子さん(JT生命館長)によれば20世紀までは機械と火の文明でした。しかし21世紀からは生命と水の文明に変わると言うことでした。人類(西洋文明が支配しているこの200年、特に最後の50年には、化石燃料をふんだんに使い、機械を動かし、自然をその暴力によって産業のためのインフラを作るために気ままに変えました。日本の工業地帯の海浜の人工化率はほとんど100%ですし、都市の緑地率は数%です。また都市の河川はほとんど水泳禁止ですし、地下水は飲用不適です。
今日の文明は巨大な都市(建物)を造り、大量の物資を運搬し、そして、炭酸ガス、廃熱、排水、産業廃棄物、一般廃棄物を吐き出し、ゴミ処理地、廃棄した農地、砂漠を生みました。
こうして得られた富は、壊した自然と生存環境や健康の破壊などと秤にかけられ、今では、それが大変な赤字になっていることに気づきました。この赤字が続いていては、富を得ることも出来なくなると言うことになりました。もはや機械モデル、火のモデルは有効性はなくなり、代わって新しい産業モデルを作らなければならないのです。
地域事業は、発想の原点は、機械と火ではありません。水です。水は命、緑、土、太陽光、風と哲学的には共通の概念で経済学的には環境材という概念です。生命を生産する産業、生命系、農系の産業哲学の基本です。水を使い捨てない、水を汚さない、水を繰り返して使う、水を食料に最優先して使う、水害を流域で管理、分配する、水に親しむ、リサイクルで水をつくる・・という一連の日本に定着してきた文化が産業技術になり、生活技術に進化するという、平凡な社会つくる考えです。機械と火の産業で生命を創造できません。無機物からは有機物は作れません。有機物(すなわち生命体)は有機物が生産するものですから、農林漁業がどうしても基本になります。農林漁業をすてては、7つのどの氷山も克服できません。
わらってしまう・・・炭酸ガス封じ込め論
現在、巨大文明がはき出した廃棄物は、自然の隅々までを浸食し、生態系を脅かしています。生体系の中には人類も入るのは当然です。
炭酸ガス問題は、わかりやすい形で産業界、企業の姿勢を伝えてくれます。やがて、企業ごとに炭酸ガスの削減割り当てが示されるようになるか、炭素税で大きなお金を払わなくなるでしょうが、今この対策として、産業界はなるべく今の産業システムや体質を変えないで、儲けながら乗り切ろうとしています。
一言で言えば横着で無責任は舵取りをしています。
炭酸ガスが邪魔だ、仕方がないから、穴を掘って埋めよう、それは出来そうだと言うことで、新しい商売が出来ると喜色満々の企業もでています。これは生ゴミは燃やせ、下水汚泥は埋め立てよ・・・という過去手法の選択は、すべて既往の産業システムの絶対的擁護(無反省)の思想を背景としており、当然その思想は驚くほど単純です。これが国際世論に歓迎され、国連でパスするようなCDM事業であるとは考えにくいからです。
温暖化ガス問題は、人間の生存場の不具合、すなわち地球が煩う糖尿病の一病理形態で、対症療法で解決しません。エントロピーの捨て場を探すという観点から、人間活動の諸相である経済、環境(自然との交渉)、土地利用(都市、農村)、海洋利用のすべてを見渡し、国際的な(地球市民的な)受益を図る政策提案と技術提案こそ求められている。繰り返しますが経済も環境も地球のサブシステムであるから。
私見ではCO2固定を唯一の使命とすることは、ことの本質を見損なっています。命とは水と炭酸ガスを使う、光エネルギーの転換構造体です。炭酸ガスは重要な(大切な)資源なのです。
エントロピーの捨て場に苦しむ現在の産業の再建の道は「火」からではなく「水」という切り口から、炭酸ガスを利用する産業(一次産業)の配列を組み立ててみることが必要です。農業の持つ意味を感じ取って頂ければ幸甚です。
そして日本は、海も、陸も、みずみずしく、水を上手に、美しく、使ってきた水と命の大国であるということを想起すべきです。
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