田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

曲がり角にある経済学

2008年12月03日 01時09分38秒 | 時評
                     山代勁二

  そういうことを考えるとき、技術や知識の豊富な日本は、人々が幸せに暮らせる秩序を作っているとは言えなくとも、技術や知識を地球の隅々の光の当たらないところに送り届けることが使命になるのではないでしょうか。

 経済学とはどういう学問なのだろうと、私はずっと考えてきました。色々な人の学説に共通していることは、どうも経済の成長は福祉の増し分に等しいという「公理」です。公理とは、自明の事実ということです。人類が幸せになる、福祉は経済の成長に依存する、という考えは本当に正しいのでしょうか。

 経済の成長は、競争に勝って(廃業者や失業者を生産して)起こるものですから、敗北者はその瞬間難民化し、新しい経済の成長のための仕事を求めて行きます。それがすぐに見つかれば幸いですが、敗北者を吸収する新しい仕事(産業)はなかなか見つからないのです。一方では、成長し続ける産業はいずれ限界に来ます。一挙にビッグバーンとなってバラバラになることも たびたびあります。アメリカのエンロン社やワールドコム社などの巨大企業の崩壊は貿易センタービルの崩壊と匹敵する事件です。このように勝っているものも難民化します。
 日本に当てはめてみますと、敗北した代表的な産業は農業です。今の農業技術では、世界競争に勝てるコストや品質の農産物を供給することが出来ません。農業の敗北は貴重な環境材の破壊を伴いつつありますし、産業の空洞化といわれる現象は、農業から逃げてその産業(大部分は中小企業)に移転していた人々を再び難民化するものでした。

 競争に勝つ→成長する…福祉の増分を得るという方程式は、裏で進行していた競争に負ける→仕事を辞める…福祉の需要の増大というマイナスを吸収するものでなければなりませんが、その原資はありません。原資とは投資資本という意味と環境材(自然や緑、水、空気、海洋など生活の原資)という意味と2つあります。日本は何が何でも経済成長ということで成長を無差別に求める政策をやってきました。
 しかし、その結末は、勝者の不安定、敗者の増加、環境材の大量廃棄、産業の再生障害となって、ますます高い失業率とその増加に悩むことになりました。その経済は敗者の減少分を吸収する高度成長を起こす資本を見つけることが出来ず、国の財政に依存してこれを壊しはじめました。IT産業とかバイオ産業とか華々しい産業分野があるかのように描かれていますが、成長=福祉という図式の採用、すなわち成長する産業を拾い、成長しない産業に置き換えていくという方針の下では、今抱えている矛盾を拡大するものしかないと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿