風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

我はうたえども破れかぶれ

2022年04月22日 | 「詩エッセイ集2022」



クジラのコロの大根煮 大鍋にいっぱいのおでん 叔母が作る料理は どんなものでも美味しかった 誰かがそのことを言うと 料理には美味しくなる 手いうもんがあんねん などと応えていたのを なにげなく耳にして そんな手で調理すれば なんでも美味しくなるのかと あらためて叔母の手をじっと 見つめたことがあった そんなことを今でも 憶えているのは そのとき そんな話を納得したからか そばで関わりもなく ただ耳に入ってきただけなのに なぜか耳の奥に残ってしまう いつかのどこかの道端で 赤ん坊に排便させている人がいて そばに立っていた人が おしっこが出たら もう大便は終わりよと言った ぼくはただ通りすがりの人 だったのに そのことで耳たぶが痒くて 今でもおしっこが出たら 便座のおしりボタンを押し 気分も軽くトイレから出る ぼくの中の真実とは そんな些細なことばかりで 食べたり出したりの 普通の生き物の生き方を のんべんだらりと繰り返して あとはこのままずるずると どこまで行けるのか行けないのか 耳だけでなく 手や足なども働かし 歩き続けるつもりだが 移り変わり更新されるのは まわりの風景ばかりで きょうも公園を歩いたら 池のカモは大半が水を離れたが 水が落ちる堰の上では これからはカメの出番と 重なりあって甲羅干し 春の嵐は桜を脱ぎ捨て 辛夷の花に衣替え 駆け足してるのはそちらさんで 抜きつ抜かれつ 息ととのえながら 見上げるは霞か雲か 睦月如月ありあけの月 古い言葉や古い歌など いつか憶えていつか忘れる さらば故郷ふるさとさらば 黴が生えても懐かしくても ひそかに繕いしてみても 新たな言葉で書き直しても 傷みがあれば痛さはのこり クジラの舌はサエズリ 痛い旨いと書いてしまう 詩のモードと散文モード そんな性向もあるかもと 詩人が語っていたけれど 何を書いても韻文に なってしまうときや散文に なってしまうときがあり モードの流れに逆らって 右や左にハンドルきって ジグザグな落書きをしてみても 混迷の跡が残るだけ それでも試行錯誤は止められなくて ブログ日記など徘徊すれば 同じ日付でも南と北と 西と東と花や鳥など 有象無象万物流転 わくら葉が突如ハラハラと 若いみどり葉にふり落とされたか 中空にはハナミズキ 地上にはシャガの花群れ ぶんぶんと密のあわれ われはうたえどもやぶれかぶれ 










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