風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

リンゴの気持ち

2020年12月20日 | 「新エッセイ集2020」

 

岩手のリンゴが送られてきた。
しっかり歯ごたえがあり蜜もたっぷり入っている。
カミさんは北国の出身なので、庭にもリンゴの木があったという。子どもの頃に、リンゴをいちどに7個食べたと言って自慢する。りんごを食べるたびに言うし、信じがたいが数まで正確に覚えているので、つい納得せざるをえない。
だが今では、いくら美味しくても、いちどに1個も食べられない。

子どもの頃、リンゴは歌の中だけにあった。赤いリンゴだった。
   赤いリンゴに 口びるよせて
   だまってみている 青い空
リンゴは、南国の九州では珍しい果物だった。
細かく賽の目に切って、砂糖をふりかけて食べた。よほど不味いリンゴしかなかったのだろう。
1年にいちどくらいは、たしか青森からだったと記憶するが、リンゴ売りがトラックでやってきた。行ったこともない雪国の、とても遠くから運ばれてくるらしい。そんなリンゴが珍しかった。
記憶が遠すぎて、いまでは信じられないようなことだ。

送られてきたリンゴのダンボールの底に、古い新聞が入っていた。
「岩手日報」の1月10日版となっている。ほぼ1年前の新聞だ。
さまざまなニュースが盛られている中で、新型コロナの記事が小さく報じられている。中国武漢で原因不明の肺炎が発生し、検査の結果、新型のコロナウイルスが確認されたという。まだほんの、ほだ火のような記事だ。
このウイルスが今年1年をかけて、世界中に蔓延して人々を苦しめることになろうとは、この1年の始めと終わりで、世の中の様相は一変してしまった。

古い新聞はいい。つかの間タイムスリップできる。
その中では、恐ろしい疫病も海の向こうの話にすぎない。
そこから広がる諸々の悪いニュースを、できれば一気に消し去ってしまいたい、などと思いながらリンゴを齧る。
ああこれが本物のリンゴかと、甘くて酸っぱい果汁にしびれる。記憶の遠くから古い歌の続きが蘇ってくる。
   リンゴはなんにも いわないけれど
   リンゴの気持ちは よくわかる
作詞はサトウハチロー。
お母さんの詩をいっぱい書く詩人だったと記憶する。




リンゴはなんにも いわないけれど



 

 

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