そヾろ神の物につきて心をくるはせ……
なんと、わけもなく人の心をそそのかす神がいるという。
そんな神にとり憑かれたように、白河の関を越えたいと旅を思い立ったのは、俳人の松尾芭蕉だった。
年の瀬のいま、ぼくもまた、ひとつ関を越えなければならない思いが強くしている。
おまえも越えよという、そヾろ神の声に急かされている。
ひとは同じようなことを考え、同じようなことを繰り返すのだろうか。
1年という時のサイクルの速さに驚きながら、過去の年末はどうだっただろうかと振り返って、ブログなどの記事を読み返してみたら、やはり今と同じようなことを考えていたようだ。
過去の自分は、すでに他人になっている。それでも、すこしだけ振り返って近づいてみたいと思ったりする。
なかなか旅を思い立つこともできないままでいると、旅のように思わぬところで、自分で書いた古い詩に出会い、振り返って言葉の旅をしてしまうことがある。
そしてまた、そヾろ神の声を聞きたいと思い、もういちどまた、言葉をたどる小さな旅をしてしまう。
サーカス
そこに
風の道はなかったけれど
風を運ぶものはあった
見えない軌跡を引きながら
空のブランコが近づいてくる
宙を満たしているのは闇で
伸びてくる手だけに光がある
指と指をからめ
その一瞬に風景がかわる
生きることのバランスを
ひとは危うい遊戯とみるだろう
近づいたり離れたり
手と手が触れ合うのは一瞬だけど
その一瞬にかけて
ひとは遠心力を生きる
ひとつになろうとする重力がある
終わりから始まる
大きく風景は反転して
空のざわめきが近づいてくる
その緩やかな速度で
風にのり風になる
読んでいただき、ありがとうございます。
人にとってはいろいろと、都合のいい神さまがいるようですね。
慌ただしい年末になるとなぜか、
来ては去る年もまた旅人のようなものだという、
芭蕉の言葉が頭をかすめます。
月日も人も、旅をしているようなものかもしれませんね。
「サーカス」の詩は、だいぶ改編しました。
詩をまとめてお載せになったなかに、
ありましたね、サーカス。
人さまの詩を毎月載せていたことを忘れていました。