海の水と涙の成分は同じらしい。
海はいつもそこにある。だが涙というものは、悲しいからといって必ずしも出てくるものではないと思う。
また、苦しいから辛いからといって、涙がでてくるとはかぎらないだろう。
だが予期せずに、自然に涙がでてくるときがある。それは心が激しく揺さぶられたときの涙ではないだろうか。
心でじかに、なにか大きなものを受け止めることがある。波のように押し寄せてくるものに、知らない自分が溺れてしまう。
何事が起きたのかを認識する前に涙が出てくる。それが物事の真実に触れたときの、感激とか感動といわれるものなのかもしれない。
涙はときに、心の動揺を推し測るバロメーターになる。
なみだは
にんげんのつくることのできる
一ばん小さな
海です
(寺山修司『一ばんみじかい抒情詩』)
涙だから、小さな海だからすぐに消えてしまう。
この海を、言葉で書き留めておくことができたらと、いつも思う。だがすくい取る前に蒸発してしまう。心の衝動だけを残して、それはそれで心地いいのだけれど、もやもやとしたものだけが残されて、あとは水のように消えてしまう。
消えてしまったものは何だったのか。
「琴線に触れる」という言葉があるけれど、心の糸に触れたなにかが確かにあったのだ。それをなんとかして記録に残そうとして、記憶の海を泳ぎながら言葉を探しつづけたりする。
小さな海にも、とてつもなく大きな忘れものがありそうだ。
(ふわふわ。り)
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