「学びの森」の四季と   楽しい各務原

「学びの森」
 住  所 各務原市那加雲雀町15
 駐車場 学びの森駐車場利用
と 楽しい各務原の見どころ

承久の乱激戦地と13人の鎌倉衆

2022-01-29 13:06:56 | 各務原の史跡
NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まっていますね。
それに合わせて、市内でパネル展が開催されていました。
(23日で展示終了しています。)







「承久の乱」は大河ドラマでは後半で
描かれるようです。


岐阜県内の「承久の乱」ゆかりの地




市内の前渡で木曽川をはさんでの戦いで討ち死にした武士の
「承久の乱合戦供養塔」が、不動山中腹にあります。


供養塔


赤い所がこの地域での戦い


不動山(木曽川沿いにある浄水公園から)
山頂には、前渡不動山仏眼院 本堂があります。


不動山から、手前に木曽川、左奥に小牧山と城です。



ご訪問ありがとうございます。




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桜・炉畑遺跡

2016-03-31 15:07:10 | 各務原の史跡
縄文時代の集落遺跡で咲く桜(ソメイヨシノ)が
満開で綺麗でした。(31日)

炉畑遺跡公園・・・縄文時代の堅穴住居跡が10基発見され、
当時の生活に使用された縄文土器や石器が数多く出土され、
縄文集落を身近に触れることができるよう住居や掘立柱建物などを復元し、
遺跡公園として公開しています。








ご訪問ありがとうござます。
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桜・桜・・・炉畑遺跡

2015-03-31 16:08:29 | 各務原の史跡
市内にある炉畑遺跡の桜にも
綺麗な花が咲き、縄文集落が春爛漫です。







ご訪問ありがとうございます。
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各務原の戦時遺跡探訪

2014-10-13 15:56:47 | 各務原の史跡
先月26日に「各務原野外セミナー『各務原の戦時遺跡探訪』」が開催されたので
各務原で生まれ育っても戦後生まれの桜ヨッシー、戦時遺跡など知らないことばかり
戦争遺跡をバスで巡ってきました。


ライト兄弟が初飛行して14年後の大正6年に、市内に「各務原飛行場」が開設され、
現存する国内最古の飛行場(現在は航空自衛隊岐阜基地)がある市、
大正時代から飛行場の周りには軍需工場が立ち並び、
第二次世界大戦に係るたくさんの戦争遺跡や遺物が残っているようです。
今回はその一部を知ることができました。

長根山掩(えん)体壕…現存する2基の一つ
掩体壕の作りがすべてコンクリート製になっています。
間口22m・奥行き22m・高さ6mのかまぼこ型
上には土を被せてあり、ここには戦闘機があったと言われています。
今は会社の倉庫として利用。




矢熊山掩体壕
各務原飛行場の近くには、戦時中、敵弾から飛行機を守るために掩体壕がたくさん造られ、
終戦で未完成ながらここも完全な姿で残った貴重な遺跡です。
間口19m・奥行き29m・高さ7m






東西飛行場連絡橋
誘導路の下に造られた通路用のトンネルで
県道の上に建設された。
今は基地に隣接したところになっています。




高射砲陣地陣営具庫
基地の境界付近にあり、陣営具庫は四方がコンクリート壁の穴倉式で窓はなく
屋根の部分を覆った蓋で出入りし、中には陣営具庫のほか多くの官給品が収納されていました。


連絡橋を通り抜けていくと基地が見える場所に
カメラを持った人が数人いました。


蘇原八幡神社
爆弾で破損した石灯籠や石碑が数多く残っている神社
いまも隣接して航空機産業の工場が建っています。


蘇原八幡神社境内の爆撃で破壊された記念碑 


弾痕のある民家の倉庫




丸子格納庫
今は周囲が畑で、格納庫のコンクリートの基礎部分の一部が残っています。
格納庫が未完成のまま終戦を迎えましたが、基礎には鉄筋もなく
コンクリートを節約するため河原の石を入れる粗雑な作りです。



飛行第二連隊所属の二棟の薬品庫
連隊医務室前にあったコンクリート製の薬品庫で屋根は後に補修され、
今は農機具庫として利用。
薬品庫の向こう側に段差1mの高台が東西に延び当時弾薬庫がありました。








ご訪問ありがとうございます。
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桜・桜・・・炉畑遺跡公園

2014-04-01 08:01:07 | 各務原の史跡
市内にある炉端遺跡、公園には大きな桜の木が植栽されていて
遺跡を囲むように桜が綺麗に咲いています。(31日)
















ご訪問ありがとうございます。
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桜と炉畑遺跡

2012-04-08 10:39:00 | 各務原の史跡
各務原市の炉畑遺跡には、
桜の名所の新境川と同じ立派な桜に並木があります。









ご訪問ありがとうございます。
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ねずみ小僧次郎吉の碑

2012-01-18 20:14:12 | 各務原の史跡
ねずみ小僧次郎吉は知っていますよね。江戸時代後期の義賊として大名・武家屋敷で盗みを繰り返し、貧しい庶民に施したという歌舞伎や芝居などで有名な。
その「ねずみ小僧次郎吉の碑」と呼ばれる六十六部の供養塔が、春の桜で有名な新境川近くに静かに建っています。(名鉄・市民公園前の北側・高山本線との間に)



神明神社




神社の境内の中にひっそりと。元々は旧中山道沿いにあったもので、今は市民公園になっている、旧岐阜高等農林学校(岐阜大学農学部の前身)の敷地造成(大正末年)にともなって現在地に移されました。


石碑に六十六部と読み取れますね。



江戸から遠く離れた各務原にねずみ小僧次郎吉の石碑があることについて、一つの昔話が伝わっています。昔々、中山道が通る各務野は見渡すかぎり草原で寂しい場所でした。あるとき旅の若い娘が各務野で日没で困っていると一軒の灯りが、娘はその家に泊めてもらいますが、実はそこは旅人から金品を奪う悪人の家、たまたま六十六部の修行者が泊まっていて悪人を懲らしめたので娘は無事に旅を続けられました。六十六部とは日本全国六六か国を巡礼する宗教者のことで江戸時代が最も盛んでした。
娘を助けた六十六部は実は義賊のねずみ小僧次郎吉の仮の姿で、江戸で処刑されたという話が各務原に伝わると、ねずみ小僧次郎吉の各務原での行いを後世に伝えるために石碑が建てられたそうです。(木曽川学歴史ガイドブックより引用)


ご訪問ありがとうございました。
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承久の乱激戦地

2012-01-16 23:25:01 | 各務原の史跡
承久の乱合戦
各務原市の木曽川近くにそびえる矢熊山、山腹の南斜面に、歴史の授業で習った、鎌倉時代の承久の乱で戦死した武士たちの供養塔が多数祀られています。
久しぶりに、各務原浄化センターに駐車して矢熊山から木曽川まで散策して来ました。(12日)



承久三年(1221年)、鎌倉幕府の源氏が3代で絶えた後、後鳥羽上皇は朝廷の権威回復のため北条義時討伐の院宣を下しました。この争乱を「承久の乱」といい、美濃の武士の多くは上皇方に加わり木曽川に幕府の大軍を迎え撃ちました。この激戦地で戦死した武士を供養するためこの一帯にあったものを集めてこの地に移したものです。
(木曽川学歴史ガイドブックより引用)


木曽川浄水公園から眺めた矢熊山、山頂にはお不動さんが祀られています。


矢熊山登山道の途中にある「承久の乱の供養塔」




承久の乱 両軍対陣図
 摩免戸と書いてある付近が、矢熊山になります。





激戦地があった木曽川、橋は愛岐大橋。かっては大雨が降ると矢熊山の麓まで木曽川の流れが来ていたのが、河川改修や堤防の整備で今では500mも南に寄り、工場等が建っています。木曽川の向こうは愛知県江南市で、写っていませんが名古屋駅のツインタワーも見ることができましたよ。


激戦地付近??



前渡猿尾堤
 矢熊山の付近から各務原浄化センターにかけて、「前渡猿尾堤」という石積みの堤が残っています。猿尾堤は洪水のときに本堤を守るため、木曽川に向かって弓なりに突き出すように伸び、水流をさえぎって水勢を弱める「出し」と呼ばれ猿の尻尾に似ているから猿尾堤と呼ばれました。



ご訪問ありがとうございます。
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古墳見学会・・・後半

2011-12-09 10:18:01 | 各務原の史跡
木曽川学研究協議会 野外活動事業 バスでめぐる木曽川流域遺跡探検ツアー 「各務原の古墳見学会」の後半です。

鵜沼地区
 坊の塚古墳
  全長120mの前方後円墳





古墳の周囲を散策すると写真正面あたりが窪んでいて、前方後円墳の姿が感じられる。


石積み付近までが古墳の領域だと考えることができるようです。



衣装塚古墳
 直径52mの円墳で美濃に所在する円墳としては最大規模の古墳です。




隣接する空安寺の鐘楼、基礎が高い位置にある珍しいもので、古墳の一部だったことも考えられるそうです。



二ノ宮神社境内古墳






古墳の上部


大牧1号墳
 陵南小学校の校庭にあり、前方後円墳で築造された年代は六世紀後半と推定されています。中には岐阜県下最大の家形石棺が納められ、普段は石棺を見ることができないところです。




大きな石棺が納められています。(幅1.2m 長さ2.4m)






ご訪問ありがとうございます。
市内には約150基が現存しているそうなので今回はまだ一部、
機会があったらゆっくり見に行きたいですね。
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古墳見学会

2011-12-07 12:29:15 | 各務原の史跡
木曽川学研究協議会 野外活動事業 バスでめぐる木曽川流域遺跡探検ツアー 「各務原の古墳見学会」の募集があったので参加してきました。(12月2日)
このツアーは南山大学名誉教授の伊藤秋男先生のご案内での現地見学会でした。



濃尾平野の木曽川流域には古代の遺跡が多くあり、なかでも3世紀から7世紀にかけての古墳時代には、木曽川中流域には大型の前方後円墳や特徴のある古墳が出現し、高度な古墳文化が栄えていたことがうかがわれる。(案内リーフレットより引用)

那加地域の柄山古墳は沖積地のなかの独立丘陵につくられた前方後円墳です。




階段を登ると円墳のような形が見ることができました。


手力雄神社境内古墳
神社に参拝しても本殿の後ろにある古墳は初めて、身近なところにあったんですね。




東にある二つ目の古墳


須衛地区の船山北古墳群
公園として整備されていて好い所です。














ご訪問ありがとうございます。
二回に分けて紹介しますので後半は鵜沼地区の古墳になります。
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