中川昭一氏 哀惜の会 “盟友”が弔辞 2009年10月16日 14時19分
各界から著名人多数参列
16日に帯広市内で開かれた故・中川昭一氏の「哀惜の会」には、故人の存在の大きさを示すかのように、各界・各層から多くの著名人が参列した。麻生太郎前首相、安倍晋三元首相、河村建夫前内閣官房長官も駆け付け、在りし日の中川氏の姿に思いをはせた。
麻生太郎前首相
保守理念を引き継ぐ
昭ちゃん。まさかあなたの弔辞を13歳も年上の私が読むことになろうとは。100年に1度という世界同時不況時に、財務・金融担当大臣という要職を兼務し今回の総選挙で自民党が政権与党の座を失ったことが、今回の悲劇を生んだ一端ではないかと、大変心苦しく申し訳なく思っている。
「政治家はわが身無念と思えども、国のためなら本懐なり」。あなたにこの言葉を贈りたい。自民党は保守理念の再構築を果たさねばならない。中核を担うと期待していた中川先生を失い、われわれの気力がなえたことも事実だが、われわれは中川先生の遺志を継ぐ義務と責任がある。
「死せる中川生ける保守を走らす」。これがあなたが最も望んでいることだろう。残されたわれわれは歯を食いしばって頑張る。
安倍晋三元首相
命削って国益守った
中川先生は、こよなく愛した十勝の大地に帰って行かれた。日本のため、私たちのため、何事にも全力で打ち込んだ56年の人生だった。経産大臣、農水大臣時代、海外出張は43回に及び、どの出張も国益を守るための厳しい交渉、まさに自らの体と命を削るような仕事ぶりだった。拉致問題、憲法の問題、教科書問題でも、私たちの最前線に立って先駆けていく、リーダーぶりを発揮してもらった。
もっと生きてもらい先頭に立ってもらいたかった。吉田松陰の残した書簡に「人の一生は長さによって計ることはできない」という言葉がある。中川昭一さんの56年は人間として、政治家として、立派に生き抜いた人生だった。私たちは中川さんの残した種を育て、誇りある日本を残すために全力を尽くすことを誓う。
河村建夫前内閣官房長官
凛とした政治家だった
亡くなる1週間前に電話した際には「再起を期して頑張る」と元気よく言っていただけに、急逝の報は信じたくない思いで真っ白になった。経済産業大臣の当時、官僚がつくった答弁書に目もくれずよどみない答弁には感嘆させられた。いずれ日本を背負って立つ1人になってほしい、常にそう思っていた。国益を最優先に考え、凛(りん)とした政治家だっただけでなく、ふるさと北海道への強い思いも強く感じた。自民党が真の保守政党として再生を目指す上でキーパーソンだっただけに、わが党にとって大きな損失。きっとあなたは今、千の風になって大きな北海道の大地を、日本の空を吹き渡っていることだろう。昭一先生どうか、最愛の郁子夫人をはじめご家族、北海道、日本、自民党をお守り下さい。 (十勝毎日新聞)