詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

道はあるか。

2022-06-01 12:14:46 | 千駄記

写真は記念に撮るものから記録として撮るものとなった。

 

被写体は水槽のホタルイカ。

イカの足は10本ではなくて8本、手が2本。

ホタルイカの発光は有名ですが、原則として

この画像の手の先の青っぽいところが光ります。

 

6/1(水) 晴

 

今日は「写真の日」だそうです。

「写真」にはいろいろの定義がありそうですが

被写体がないと成立しないもので、存在するモノを

写し取ることであることは間違いないでしょう。

達人ならば存在しないものや、目に見えないものも撮れそうです。

 

私は、私の行く先が存在するのか否かもわからない。

つまり行方が定まらず、右往左往している現状を思う。

行方知れずになりたきあした・・・なのであーる。

 

この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ

危ぶめば 道はなし…

 

アントニオ猪木から教わった「道」の一節ですが、

1966年の清沢哲夫の『無常断章』に収載されていて

さらにその十数年前に発表された詩だそうです。

私は、猪木さんが引退の日に「道」を暗唱しなければ

この詩を知ることはなかったでしょう。

語り継がれることの重要性を知ったことです。

「道」の作者はアントニオ猪木だと思い込んでいましたが

出典があったということは知られるべきでしょう。

 

この道を行けばどうなるものか。

選ぶべき道があるということの意味を知ります。

この道か、あの道か、その道か。

 

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

 

と、高村光太郎は「道程」に表現しました。

 

「道」と「道程」ふたつの道の思想を比較すると

わが歩む道はあるのか、ないのか。

わからなくなってきますよ。

 

 

おしまーい。