写真は記念に撮るものから記録として撮るものとなった。
被写体は水槽のホタルイカ。
イカの足は10本ではなくて8本、手が2本。
ホタルイカの発光は有名ですが、原則として
この画像の手の先の青っぽいところが光ります。
6/1(水) 晴
今日は「写真の日」だそうです。
「写真」にはいろいろの定義がありそうですが
被写体がないと成立しないもので、存在するモノを
写し取ることであることは間違いないでしょう。
達人ならば存在しないものや、目に見えないものも撮れそうです。
私は、私の行く先が存在するのか否かもわからない。
つまり行方が定まらず、右往左往している現状を思う。
行方知れずになりたきあした・・・なのであーる。
この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ
危ぶめば 道はなし…
アントニオ猪木から教わった「道」の一節ですが、
1966年の清沢哲夫の『無常断章』に収載されていて
さらにその十数年前に発表された詩だそうです。
私は、猪木さんが引退の日に「道」を暗唱しなければ
この詩を知ることはなかったでしょう。
語り継がれることの重要性を知ったことです。
「道」の作者はアントニオ猪木だと思い込んでいましたが
出典があったということは知られるべきでしょう。
この道を行けばどうなるものか。
選ぶべき道があるということの意味を知ります。
この道か、あの道か、その道か。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
と、高村光太郎は「道程」に表現しました。
「道」と「道程」ふたつの道の思想を比較すると
わが歩む道はあるのか、ないのか。
わからなくなってきますよ。
おしまーい。