練習しながら、ついついいろいろ思い付いてしまい、それがどこかにアウトプットしたくなる藤井です(笑)
「やり方」って言葉に、ついつい何かマジック的なモノを感じてたことにふと気づかされたので、書いておこうと思います。
生徒に「こういう風にやるといいよー!」って言ったときに、2通りのリアクションがあって、
●ああ、なるほど!そうやればいいのか!!練習して身に着けよう!
●そうか!そうやればできるんだ。早速、、、あれ??できないじゃん?え?あ??なんだ、、できないじゃん!!シクシク、、、
で、前者のときは、めでたしめでたしで、じゃーまたね!で終わるんだけど、後者の場合に、まずそこで軽いパニックがあって、それからできないこと教えるなんて酷いや!的なリアクションと、軽い敗北感みたいな、、、それを何とかいい方に持って行こうとこっちも焦って、「そうじゃないよ、もっとこう、、」とか、「そんなすぐにはできないさーw」と言うとか、、、
そういう風になりやすくて、こりゃーどうしたもんかなぁ?もっとすぐに分かるような言い方や方法はないのか??と試行錯誤してみる、、、すると毎回なんか軸がしっかりしないような内容になったりする、、、
んで、今度はこっちが凹む、、
みたいなね!!
何かしらもっといい「やり方」があるはずで、そしたらもっと一発で変わるのでは?とだんだんそんな気持ちになっていく、、、
それが、今ふと自分もそうなってる???ってことに気が付いたんですよ。
何をやるにも「知った」という段階と、「できる」というのと、「めっちゃ身についてる」ってのは全然レベルが違いますよね。
なのに「やり方」にすがり過ぎて、「できる」で安心してしまう自分ってのが、見えたのです。
そうすると、生徒に対して「身に着くってのはもっと練習していくやつだよ」などと言っていながら、どこか自分にそらぞらしさがあるな、、と思ったのは、そういうことか!!って。
何かしら「やり方」ってのはあるけど、それを無意識のレベルにまで落とし込む、、、それが日々の練習かなっと、思ってやってきていたつもりが、
「やり方」を発見するだけで安心してしまうんじゃー、子どもに文句なんぞ言えないな!!
「やり方」を追究していくということ自体は、大切。
研ぎ澄ますとか、洗練するとか、そういう意味で。
また、もっと工夫があるのではないか?など、探求する意味で。
でもそれはそのやり方を「実践」していく中にあるのであって、「見つけた」だけで、OKとかNGとかしてたら、洗練じゃないもんね!
と、そんなことを思ったもんだから、自戒の意味も込めて書いときます。
それじゃー!!またねー!