こんにちはー!!!
なにやら朝からAmazonプライムビデオで映画を見たり、NHK杯の将棋を見たりしています。いや、映画の途中で豊島竜王がテレビに出てたもんだから、一瞬にしてそっちに乗り換えたもんだから、感動に泣きながら見てた映画の続きをこれから見なくてはw
見てたのはねー、これ!!!
たまらん。。。
はーい、ところで「もしも病」なー。
勝手に命名しましたw
いやさ、昨日の投稿にTwitterでコメントくださった方とかね、そういうのを見るにつけ、
何だか我々って、
「もしも・・・」っていうワードに踊らされ過ぎて、現実を見てないのではないかー?!って。
だってさー、
実際に人との触れあいを絶つことによって、本来よりも短くなってしまう命があっても、
「会いに行ったりして『もしも』感染が広がったらどうするの?」
の方を優先してしまう。どうやったら「実現」できるか、よりも「もしも」の方が勝つ。やる方法を考えるってのはないのか???
「もしかしたら、ガンになるかもしれないから」
「もしも大学に入れなかったら」
「勉強しないと、将来どうなるか?」
「もしもここで感染が広まったら、トンデモないことになる!!!」
みたいに、まだ起きてないことを見て、今起きてることより優先するのって、
「失敗しない」生き方 かもしれないけど、
「幸せ」で「楽しい」「充実した」生き方ではない。
「失敗しない」という失敗になることもあるしね。
傍目に何不自由ないだろうよ?才能に溢れてて、人気もあって!!ってなっても、死んでしまいたくなるってこともあるし。
今は「リスクを取らない」ことで、大きなリスクを背負ってるようにも思える。
子どもにマスクをさせることで、見た目には感染予防をしているようだけど、マスクが常に清潔かもわからん中で、酸素の取り込みが不十分になったり、表情の読み取りが甘くなったり、意思を伝えるってのも大きな声を出すことを制限される中で悪いことのようになったり・・・
それが、身心の成長にどのくらいのリスクがあるのか?とか、思っちゃう。
マスクをしても息苦しくない程度の活動量になっちゃうと、本気を出すという魂を燃やす活動もなんか中途半端・・・
もしも感染者がいたら・・・・
って心配して、今健康な人たちみんなが不健康になるってのもなぁ・・・
罹って良いってことじゃない。できることはした方がいい。
で、何となくの責任逃れ的に「感染対策してますよぉー」っていう雰囲気じゃなくて、本当にどうやったらいいのかをちゃんと調査して、それをやりたい。
病気は罹れば辛いしキツイ。だから罹らない方が良いに決まってる。
でも、ずーっと怯えて暮らすなんてことも出来ないわけで、どうしたらその中で幸せに楽しく暮らせるかが大事じゃんか。
だから、「もしも」を広げ過ぎて、そんなことまで??ってことを想像して怯えるんじゃなくて、今起きてることをよく見る。
お医者さんは、感染予防のスペシャリストではない場合もあるからね。
自動車修理のプロが、自動車の設計とか開発できるかって言ったら、みんながみんなできる訳じゃないってのと一緒。
そりゃなんでもそうさ。
テレビに出てる人が言ったからって、そりゃー聞かれたから保険掛けるようなこと言ったり、あるいは世間をマウントしようと、ヤバそうなことを言ってるだけってこともあるから、、、
どうしたら良いか、どうなったらハッピーか、そっちにフォーカスする。
こうなったらどうしよう、、、こうしないと大変なことになる・・・そっちじゃない。
やることは、どっちから考えても同じことになるかもしれない。
でもね、結果は絶対違うよ。
それを見誤っちゃいけないって思う。
タバコを吸うと肺がんになる。
これ、現実のグラフとはまったく合ってないから。
健康に暮らすためにはどうしたらいいか?
この中に、もしかしたらタバコをやめる、が入ってても良いじゃない?
ご飯が美味しくなるよ!!で良いじゃない?
そしたら、タバコを吸う人に対して、世間が目くじら立てることもないじゃない?
コロナ禍でも楽しく飲食するにはどうしたら良いか?
コロナ禍でも家族と会うにはどうしたら良いか?
コロナ禍でも、日本の産業を衰退させないためにはどうしたら良いか?
コロナ禍でも、病院が上手く機能するにはどうしたら良いか?
そういう方向から考えても良いじゃない?
ひょっとしたら今と同じ方法が出てくるかもしれない。でも方法は一緒でも、向かってる先がすべて幸せとか楽しいのためだったら、結果は楽しい幸せな方に行くじゃない?
このままでは医療が崩壊する、クラスターが発生したら、感染爆発してしまったら、重症者が増えたら・・・
それを心配して、縮こまってろ!!動くな!!!っていろんな宣言を出したとしても、その先に見えるのが希望じゃなくて、起きたらヤなことを見てるだけだったら、我慢することに意義を見出せない。そしたら結果、守られずに今度は法律だの、監視だの、そういうのがどんどん増えるばっかりで、そうしながら実際に医療が崩壊するとか、触れ合いを失った人たちが亡くなったりするんじゃ、バカ臭くてたまらん!!!
見てる方向を「もしも・・・」「こうなっちゃったら・・・」って心配の方に向けるんじゃなくて、「こうするためには」「もっとこうなりたいから、そのために」を考えて行こう!!!
こう書いてるワタシも、「石橋を叩いて『壊す』」・・・もはや「渡ること能わずw」ってこと、たくさんしてきた。
今、こうやって東京で生きて行けてるのは、石橋を叩かず全く疑わず飛んで渡ったおかげだ。
しばらくすっかり守りに入る癖が付き、おかげでいっぱいの「もしも・・・」という不安に襲われ、いっぱい起きてほしくない「もしも」に会った。
その「もしも」が頻発すると、もっともっと心配になって、もっともっと「もしも」を発動し、その不安で石橋を渡ることが出来なくなって、もっとヤバい「もしも」が起きて、「ほら!!!やっぱりそうなった・・・」と、その不安があたかも「的中」したかのように、思って来た。
でも、それ違うよ!!!!
「もしも」の不安を、避けてるつもりで、「向かって」来てたんだよ、自ら。
「もしも、もしも・・・」って思いすぎて、それを見すぎて、そこに注目しすぎて、そこに吸い寄せられてただけ。
予感が当たったんじゃない。自分でその予感に「向かって」行ってたんだ。
だから、ホントに今言いたいよ!!!
ホントはどうなりたいか、
どうなったら幸せなのか、
どうなったら楽しいのか、
そこにフォーカスして、そうなるために行動したら良いんだよ!!
どうしたら良いか分かんなくても良いの。
こうなりたいんだー!!!!!ってことの方へ、脳みそを向けたらそれで準備オッケー!!!
だから、今の日本の「もしも病」は、ハッピーには向かってない。もしもを思い続ければ、その通りのことが起き、「ほら!!ワタシたちの警告した通りでしょ??」と専門家と言われてる人たちが、また1段、力を増すだけ。
それで何か解決しましたか??ってなったら、何もしてないってことに気が付かなきゃいけないの。
「もしも」は解決策でもなけりゃ、幸せへの道でもない。
こんなこと続けてちゃいけない。
私も、いっぱいそういう「もしも病」で動いてるとこが、気づいてないけどまだまだある。
気付いてないことがヤバい。
あれ???どうしてこういう風に思ってるんだろう????うわぁ!!!
って、気づいて、それを一つずつ「どうなりたいの?」「どうなったらいい?」に変えるってことをして行こうって思う。
もー、みんなでそれやろうよ!!!ホントに、せっかくの素晴らしい日本っていう国が、もしも病でダメになるのじゃなくて、目がキラッキラした人たちだらけの国になるように!!!(国ってのが大きく出すぎかwまずは自分だ!!!一人ひとりの集まりが国だからね!)
そんな壮大なことを書いてみましたぜー!!
一緒にやろうー!!!
子供の1年は大きいです。定演やらせてあげたかった。
キラキラだらけの日本に、世界になるように、一緒にやります!
とりあえず一人でも。
まずは自分だ!に強く共感してしまいました。
一報を受け取ってから、かなり時間が空いたので、ひょっとして中止を中止したりしないかな?なんて密かに期待しちゃいましたけど、やっぱりね、、、うーん。
でも私たち(猫の名前のチーム)はまだあきらめてないです(笑)まだねー、このコンサートはできなくてもまだ何かの形でやれないかなーって!
ひとまず、オンライン卒団式とかそういうのでもやれないかってマエストロと話してて!!
こういう輪をいっぱいにしたら、きっとちょっとずつ動くかと!!
協力募りますーヾ(≧▽≦)ノ