ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

心の歌を、、、いい一日でした

2020年09月08日 01時16分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
こんばんは−!!

今日は、新潟から東京へ戻ってくる、という日😊

いつも時間があるような?ないような、、、やたらと頑張って走るって感じなので、今日は心も楽しむように帰って来ましたよーん。

台風の影響が心配されてたけど、新潟の海側は、逆の作用なのか、ほんとに天気が素晴らしく良くて、、、

今日の表紙の写真は、あまりにキレイだったから、車をオリャーっと止めて(車が着てないかもちろんチェックしたぜー!)、それで撮れたのー。ほんとにずーっと、わーキレイを連呼しました。

で、十日町から塩沢に降りる途中のトンネル。こりゃチャンス!!



いえーい!!


んで、心の中にカヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲が流れてたので、

心からそれを外の世界に話すように出してみました。。。


ノーアップ(音出しナシ)だったけど、めっちゃ心の音楽が出せました。

ああー、ひっさしぶりの感覚。

これだよなー、この感覚。

これなら、トランペットを学ぼうとする人、あるいは何か楽器がやりたいなーという人に、「トランペット楽しいよー」と心から言えるなー。

ときどき、音楽やトランペットがやりたいって人は、何が楽しいんだろう???などと思ってしまい、いや、もちろんやりたいって人は自分がやりたいんだから、何も問題ないわけだけど、わざわざ「トランペットやりなよー」などとは誘う気全くおきませーんって思ってたんだよね。

自分でやってるモノを心からお勧めできないってのは、何かと言って寂しいものだ。。。

でも、じゃー何でやってるんだ???(笑)

一時期は、自分からトランペットを取ったら、もうガラクタみたいなもんだな、というくらい依存してたというか、存在価値であったトランペットが、、、あはは。


とはいえ、自分の存在価値をそういうなにか技とかに頼ってしまうのは、本当はよろしくないな、と今は思ってる。

自分が生きてるってことソノモノに価値を見出すことができれば、他人に対してもそういう目で見れるでしょ??

そうじゃないと、何かができる人は素晴らしいけど、下手くそな人は価値がない、みたいに見ることになる。。。

人は何かができるから価値があるわけじゃない。


だから、そういう存在価値とかじゃなくて、


単に「好きだから」とか「楽しいから」とか「やりたいから」という、自分の人生のお供として、

自分の思いを楽器に乗せて奏でたい。



それでいいんじゃないか?

おい!!それじゃー、仕事にならんじゃろ?と言われるかも知れないけど、


知らんがな(笑)


そういうモノを求める人はそういう人に仕事を依頼するだろうからね。


何でもちゃんとできる人もいるし、そうじゃなくピンポイントなことしかできないけど、それがとても良いって人もいる。


ついつい、何でも素晴らしくできる人と自分を比較して、あれこれ迷って、結局自分の良いところもなくしちゃうとしたら、それこそポンコツ。

自分の心の中の音を人に伝えようとしたときには、自然と音が言葉のように出てくる。

「これを譜面通りにやらなきゃ」「間違えずに吹かないと」「普通これくらいできるよね」「これじゃダメだ」

そんなことを思ってトランペットを吹いていると、だんだんすり減って、吹くことの楽しさとかがなくなって、義務感とか時には恐怖感とか、無力感とか、そういうモノにがんじがらめになって、そうすると体が動きたがらないから、結果が良くならず、そこで困ったループに。。。


もっと、根元に戻ろう。技術に偏らず、義務感じゃなく、、、


心が乗った演奏ができて、めっちゃハッピーだったので、


記念写真撮りました(笑)


今日はいっぱいキレイな写真も撮れたし、楽しかったですー。

その他の道中の写真はTwitterに!!

それでは、みなさんまた明日ー😊

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