敦賀 気比の松原。
スタンプラリーの当選品で「美浜町内民宿宿泊補助券」を頂いたので、一泊二日で福井県の敦賀と美浜町を巡ってきました。
ノープランでなく、テーマを決めて行程も立てました。
(後半疲れてきて字が汚くなってますが・・・)
天気予報は曇のち晴、
さてカミさん、ぼちぼち行くかい!
北陸自動車道を走ります。
今庄ICで下り365号線から山岳地を走り、木の芽峠下のトンネルを抜け敦賀市の新保の集落に到着です。
山の斜面にある村。
この小さな集落に歴史的な建物が残っています。
これがそうで、水戸天狗党の最後の陣屋であります。
もう少し大きいかと思っていたが・・・、
武田耕雲斎本陣とあります。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」でも、おそらく描かれる水戸天狗党の乱。
幕末の頃、水戸藩の尊王攘夷強硬派の天狗党は、家老武田耕雲斎を首領に上洛し一橋慶喜を通じて朝廷へ尊皇攘夷の志を訴えることを決した。
11月1日に出発し京都を目標に下野、上野、信濃、美濃と中山道を通って進軍を続ける。11月16日上州下仁田において高崎藩兵200人と交戦(下仁田戦争)。
11月20日には信州諏訪湖近くの和田峠において高島藩・松本藩兵と交戦(和田峠の戦い)。天狗党一行は伊那谷から木曾谷へ抜ける東山道を進み美濃の鵜沼宿(岐阜県各務原市)付近まで到達するが、彦根藩・大垣藩・桑名藩・尾張藩・犬山藩などが街道の封鎖を開始したため、中山道を外れ北方に迂回して京都へ向って進軍を続けた。
頼みの綱とした一橋慶喜であったが、慶喜は自ら朝廷に願い出て、加賀藩・会津藩・桑名藩の4000人の兵を従えて天狗党の討伐に向った。揖斐宿(岐阜県揖斐川町)に至った天狗党は、警備の厳重な琵琶湖畔を通って京都に至る事は不可能と判断し、北上し越前に入り大きく迂回して京都を目指すルートを選んだ。越前の諸藩のうち大野藩は天狗党をやり過ごす方針を採ったが、鯖江藩と福井藩は天狗党を殲滅する方針を固め、敦賀方面へ進む天狗党の追撃に入った。
12月11日天狗党一行は越前国新保宿(福井県敦賀市)に至る。天狗党は慶喜が自分たちの声を聞き届けてくれるものと期待していたが、その慶喜が京都から来た幕府軍を率いていることを知り、また他の追討軍も徐々に包囲網を狭めつつある状況下でこれ以上の進軍は無理と判断した。前方を封鎖していた加賀藩に嘆願書・始末書を提出して慶喜への取次ぎを乞い12月17日ついに投降して武装解除し一連の争乱は鎮圧された。
ふむ、
もちろん入ります。
つまり水戸天狗党800余名の降伏の地になります。
ここで武田耕雲斎は加賀藩と投降にあたっての交渉を行ったんですね。
天狗党の道のりが掲げられていた。
投降した天狗党は、のちに悲惨な結果が待っているのです・・・。
山岳地から下ってくると、旧北陸本線跡のトンネルがありました。
その近くに北陸新幹線の工事現場、
すでに廃れた線路、新たに始まる線路、まさに新旧鉄道の移り変わりを感じることができます。
港まで来ました。
海上保安庁と福井県警の船が係留されています。
かっての敦賀は、大陸への国際玄関口でした。
旧敦賀港駅舎。
1912年(明治45年)東京-ベルリンをひと綴りの切符で渡航できる直通列車「欧亜国際連絡列車」が開業。
東京から鉄道で敦賀まで、敦賀から船に乗りウラジオストク、そしてシベリア鉄道でベルリンまで。
そしてリニューアルされた敦賀ムゼウムへ、
※ムゼウムとはポーランド語で資料館という意味。
1940年代ナチスに迫害を受けていた多くのユダヤ難民が杉原千畝の命のビザによって救われこの敦賀港に上陸したのです。
おや、
それでは、
てへへ、でも本気で思っています。
正しい事を貫き通す杉原千畝さんのような強い人間になりたいと思う。
次いで、オイラのお気に入りの場所へ
敦賀赤レンガ倉庫。
ここのジオラマ館がまた凄いのです。
昭和20年ころの敦賀の町並みを再現しています。
リカちゃん展も開催中でした。
町にあるそば屋さんでお昼を食べて、
天ぷら旨かった
そのあと、この場所へ、
松原神社。
新保の陣屋で投降した武田耕雲斎含む800名余命の天狗党が加賀藩より幕府軍に引き渡されたのち、
狭いニシン倉に監禁され、極寒と酷い衛生環境のもと多くの者が亡くなりました。
そして・・・、
この地で353名を斬首。
どれほど無念であっただろうか。
武田耕雲斎の像。
「青天を衝け」でも武田耕雲斎役の方がいるので、この無念のシーンが描かれるかもしれません。
このあと、気比の松原に寄って、
これより向こうに見える敦賀半島に向かいます。
おっ!
常宮神社。
国宝とな!
では、
フムフム
神功皇后が三韓征戦前にここに寄ったとある!
しだれ梅も綺麗に咲いてます。
まずは御朱印ゲッツ
それからこれこれ
いざ!
朝鮮鐘の撮影はNGでしたが、丁寧な説明を受けました。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の戦利品らしく、若狭藩主であった大谷刑部によりこの神社に奉納されたということです。
1300年前に作られたとても古い鐘で、九州の宇佐八幡宮にある鐘より五十年古いとされています。
たしか同じ福井県の剣神社にも国宝の鐘がありましたよね。
いいもの見せていただけました。
またこの拝殿もすごいのよ、
鳥居の向こうに拝殿、そのまた向こうに海。
ここはいい場所ですね。
さて今回は、敦賀の歴史ロマンを存分に感じた一日となりました。
幕末の動乱終焉の地、鉄道や港の歴史、国宝がある神社
いろいろ勉強になり楽しかったです。
ひきつづき原発編に続きます。
スタンプラリーの当選品で「美浜町内民宿宿泊補助券」を頂いたので、一泊二日で福井県の敦賀と美浜町を巡ってきました。
ノープランでなく、テーマを決めて行程も立てました。
(後半疲れてきて字が汚くなってますが・・・)
天気予報は曇のち晴、
さてカミさん、ぼちぼち行くかい!
北陸自動車道を走ります。
今庄ICで下り365号線から山岳地を走り、木の芽峠下のトンネルを抜け敦賀市の新保の集落に到着です。
山の斜面にある村。
この小さな集落に歴史的な建物が残っています。
これがそうで、水戸天狗党の最後の陣屋であります。
もう少し大きいかと思っていたが・・・、
武田耕雲斎本陣とあります。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」でも、おそらく描かれる水戸天狗党の乱。
幕末の頃、水戸藩の尊王攘夷強硬派の天狗党は、家老武田耕雲斎を首領に上洛し一橋慶喜を通じて朝廷へ尊皇攘夷の志を訴えることを決した。
11月1日に出発し京都を目標に下野、上野、信濃、美濃と中山道を通って進軍を続ける。11月16日上州下仁田において高崎藩兵200人と交戦(下仁田戦争)。
11月20日には信州諏訪湖近くの和田峠において高島藩・松本藩兵と交戦(和田峠の戦い)。天狗党一行は伊那谷から木曾谷へ抜ける東山道を進み美濃の鵜沼宿(岐阜県各務原市)付近まで到達するが、彦根藩・大垣藩・桑名藩・尾張藩・犬山藩などが街道の封鎖を開始したため、中山道を外れ北方に迂回して京都へ向って進軍を続けた。
頼みの綱とした一橋慶喜であったが、慶喜は自ら朝廷に願い出て、加賀藩・会津藩・桑名藩の4000人の兵を従えて天狗党の討伐に向った。揖斐宿(岐阜県揖斐川町)に至った天狗党は、警備の厳重な琵琶湖畔を通って京都に至る事は不可能と判断し、北上し越前に入り大きく迂回して京都を目指すルートを選んだ。越前の諸藩のうち大野藩は天狗党をやり過ごす方針を採ったが、鯖江藩と福井藩は天狗党を殲滅する方針を固め、敦賀方面へ進む天狗党の追撃に入った。
12月11日天狗党一行は越前国新保宿(福井県敦賀市)に至る。天狗党は慶喜が自分たちの声を聞き届けてくれるものと期待していたが、その慶喜が京都から来た幕府軍を率いていることを知り、また他の追討軍も徐々に包囲網を狭めつつある状況下でこれ以上の進軍は無理と判断した。前方を封鎖していた加賀藩に嘆願書・始末書を提出して慶喜への取次ぎを乞い12月17日ついに投降して武装解除し一連の争乱は鎮圧された。
ふむ、
もちろん入ります。
つまり水戸天狗党800余名の降伏の地になります。
ここで武田耕雲斎は加賀藩と投降にあたっての交渉を行ったんですね。
天狗党の道のりが掲げられていた。
投降した天狗党は、のちに悲惨な結果が待っているのです・・・。
山岳地から下ってくると、旧北陸本線跡のトンネルがありました。
その近くに北陸新幹線の工事現場、
すでに廃れた線路、新たに始まる線路、まさに新旧鉄道の移り変わりを感じることができます。
港まで来ました。
海上保安庁と福井県警の船が係留されています。
かっての敦賀は、大陸への国際玄関口でした。
旧敦賀港駅舎。
1912年(明治45年)東京-ベルリンをひと綴りの切符で渡航できる直通列車「欧亜国際連絡列車」が開業。
東京から鉄道で敦賀まで、敦賀から船に乗りウラジオストク、そしてシベリア鉄道でベルリンまで。
そしてリニューアルされた敦賀ムゼウムへ、
※ムゼウムとはポーランド語で資料館という意味。
1940年代ナチスに迫害を受けていた多くのユダヤ難民が杉原千畝の命のビザによって救われこの敦賀港に上陸したのです。
おや、
それでは、
てへへ、でも本気で思っています。
正しい事を貫き通す杉原千畝さんのような強い人間になりたいと思う。
次いで、オイラのお気に入りの場所へ
敦賀赤レンガ倉庫。
ここのジオラマ館がまた凄いのです。
昭和20年ころの敦賀の町並みを再現しています。
リカちゃん展も開催中でした。
町にあるそば屋さんでお昼を食べて、
天ぷら旨かった
そのあと、この場所へ、
松原神社。
新保の陣屋で投降した武田耕雲斎含む800名余命の天狗党が加賀藩より幕府軍に引き渡されたのち、
狭いニシン倉に監禁され、極寒と酷い衛生環境のもと多くの者が亡くなりました。
そして・・・、
この地で353名を斬首。
どれほど無念であっただろうか。
武田耕雲斎の像。
「青天を衝け」でも武田耕雲斎役の方がいるので、この無念のシーンが描かれるかもしれません。
このあと、気比の松原に寄って、
これより向こうに見える敦賀半島に向かいます。
おっ!
常宮神社。
国宝とな!
では、
フムフム
神功皇后が三韓征戦前にここに寄ったとある!
しだれ梅も綺麗に咲いてます。
まずは御朱印ゲッツ
それからこれこれ
いざ!
朝鮮鐘の撮影はNGでしたが、丁寧な説明を受けました。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の戦利品らしく、若狭藩主であった大谷刑部によりこの神社に奉納されたということです。
1300年前に作られたとても古い鐘で、九州の宇佐八幡宮にある鐘より五十年古いとされています。
たしか同じ福井県の剣神社にも国宝の鐘がありましたよね。
いいもの見せていただけました。
またこの拝殿もすごいのよ、
鳥居の向こうに拝殿、そのまた向こうに海。
ここはいい場所ですね。
さて今回は、敦賀の歴史ロマンを存分に感じた一日となりました。
幕末の動乱終焉の地、鉄道や港の歴史、国宝がある神社
いろいろ勉強になり楽しかったです。
ひきつづき原発編に続きます。
ムービープラスで、唐沢寿明主演の「杉原千畝 スギハラチウネ」を観たばかりだったので、日本のシンドラーに感激しました。
また、松原神社の鰊蔵(水戸烈士記念館)や常宮神社も20年以上前に参拝し、その後、常神半島の民宿で蟹尽くしの料理を味わいました。
ムービープラスで、唐沢寿明主演の「杉原千畝 スギハラチウネ」を観たばかりだったので、日本のシンドラーに感激しました。
また、松原神社の鰊蔵(水戸烈士記念館)や常宮神社も20年以上前に参拝し、その後、常神半島の民宿で蟹尽くしの料理を味わいました。
水戸天狗党、800人もいたんですね!で、353人ざん首って・・何時間、何人かけてやったんだよって思います・・こわ。🌀ヒゲおやじさまがちうね好きだってこともわかったし👍✨次回もめっちゃ・たのしみ🎵
オイラも唐沢さんの杉原千畝の映画観ました。
感動しましたよね、なかなかできないことで、ああいう方は本当に素晴らしいと思うのです。蟹尽くし料理でしたか、オイラはふぐ尽くし料理を堪能しました。
長い記事になっちゃいました。ブラオイラはあれもこれも書き残したくてついついこうなってしまいます。
青天を衝けでの水戸天狗党注目ですぞ~。
郷土の偉人八田与一さんも尊敬していますが、杉原千畝さんも素晴らしくて尊敬しているのです。