休日の午前中は、興味のあるところをブラついて、
午後はゆっくりビールとつまみでブログを打つのがオイラの楽しみのパターンになっている。
(チンしたたこ焼きでビール)
今日は、朝早くに金沢城に行って来た。
金沢城は石垣の博物館と言われているので、以前よりじっくりと石垣巡りでもしたかったのだ。
ところが、帰って撮った写真を整理すると写真が多すぎたので
この金沢城編は2回に分けて報告します。
Ⅰは金沢城は大きいぞ編、Ⅱは石垣の博物館編です。
さて、金沢城の大きさは日本の城の中で何番目の大きさなんだろうか?
そういう疑問が昔からあった。
加賀百万石前田家の居城だけにそれなりの大きなお城のはずだが、
ネットで検索しても、天守閣の大きさランキングだとか、人気度ランキングはあるが、
お城の大きさランキングというのは見当たらなかった。
そもそも大きさといっても比較は難しいのかもしれない、
城の面積で考えるとしても、内堀までなのか、外堀までなのか、惣構まで入れるのかなど大きさの定義が難しいのかもしれない。
いずれにしても、江戸城や大阪城、名古屋城などは別格の大きさであろうが、
金沢城はそれらに次ぐ大きさなのかそれとも・・・、
知りたいなぁ。
大きさはともかく、金沢城は相当強かったはずである。
二代目の前田利長は一時本気で徳川との決戦を覚悟していたのだから。
金沢城の守りは堅固で、
金沢の町は城を守るために二重の惣構と出丸を兼ねた三つの寺院群を配し、
城下町の道をクランクやできるだけ複雑にして城への侵入を少しでも困難にしていた。
着いたね。
石川門。石川郡方向に向いているからこの名前だ。ちなみにここは裏門である。
今日の午前中は晴れの予報です。
白壁が眩しい。
石川門をくぐると、河北門が見えてくる。
ここが本来の正門である。
菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が
ド~ン!
今くぐってきた石川門に入ることができるようです。
オイラはじめて入ります。
ほぉ
石川門をくぐる人を眼下に見る。
あそこが先端。
あっ石落としの扉がありますね。
外に出ました。
これは、外に向けて鉄砲を打つ、狭間(さま)です。
さて歩こう
鶴丸倉庫だ。
武具なんかを保管していたのか。
どんどん進もう
丑寅櫓跡か
兼六園方面です。
セミがよく鳴いている。
おっ池がある。
お城にとって水は大変貴重で、犀川上流より辰巳用水を通じて、兼六園から逆サイフォンにて金沢城に水を引き入れた。
あっイモリがいる!
今回オイラが一番行きたかった場所。
辰巳櫓跡だ。
あの広坂交差点から見える、馬鹿高い石垣の頂上である。
(ここの石垣の高さは日本トップクラスと聞いたことがある)
お~いい眺めだ。
遠くに野田山が見える、前田家のお墓のある丘だ。
やっぱ、高いね。
引き返して
しばらく行くと
!?
日露戦役記念とある。
金沢城は明治以降に陸軍の施設になったので、こういうのが何か所かあります。
本丸跡
かって天守閣がここにあったのだ。
しかし、ここらへんは特に木々が多いね。
中にはこういう大物が。
妖精でも出てきそうです。
森を抜けると
戌亥櫓跡。
鉄門石垣。
そして、三十間長屋。
食器収めていたのか・・・。
下り坂をおりましょう。
薪の丸跡。
そして、人気のスポット玉泉院丸庭園に来る。
昼間でも眺めがよくて、夜のライトアップだと感動モンです。
舟と舟小屋。
おぉ!
段落ちの滝。
いい庭園です。
工事中の場所がありますが、
調査して復元工事するんだよね。
ここ注目です。
鼠多門と鼠多門橋。この橋は尾山神社に架かるんだよね。
この城の中で最も違和感のある建物。
旧第六旅団司令部跡である。
これも歴史的建造物だからなぁ、取り壊すわけにはいかないのか・・・
しかしよく歩いている、やっぱ広いよ。
そして眼下に新丸広場、
正門である大手門からのルート。本来は向こうが金沢城の正面玄関だ。
ここに多くの仕事をする侍が詰めていた建物があったんだろうね。
橋爪門。
なかなか立派です。
番所とは、
ここに監視する者がいたわけね。
極楽橋。
極楽とは・・・尾山御坊の名残か。
ありゃなんだ!
また陸軍か・・・。
残念・・・。
そして、石川門に戻り、金沢城を出ました。
これが今回オイラが歩いたルート。
けっこうな距離でした
これほどマジマジと金沢城を見た事はなかったのでいい経験になりました。
【ヒゲ親父】
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