今さらながら、
サザンオールスターズの「秘密のデート」がいいなと感じていて、
そのカバーしているこの曲が
なんかとてもいいのだ⇒LOVE AFFAIR~秘密のデート
【ヒゲ親父】
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県内の旧北国街道を歩く
「街道をゆく」は、今日はここから。
まずは味方の本
щ(゚ー゚щ)カモーン!
赤矢印から。
では今日も元気に行こうか
あ、なんかオモロイ石、牛!?
石牛、牛石かな?
右手に見えてきた神社、串八幡神社です。
かなり大きな燈篭が両側に立つ。
左手の大きな敷地は小松製作所粟津工場ですね。
右手にはバスの製造会社のジェイ・バスさん。
このあたりは大きな工場が集まった工業団地になります。
たしかこの付近に変わった公園があったはず・・・。
少し横道に逸れて行ってみる。
ここだ粟津公園。
ここには他の公園ではあり得ないものがある。
園内を本物の電車(旧尾小屋鉄道車両)が走るのだ。
駅もある。
車両は格納されてるね。
雰囲気のいい林の中を走る。
短いんだけどね。
さて旧街道に戻ろう。
月津に来ました。
火の見櫓が見えてきた、その下に石碑があり、
月津一里塚だ。
味方の本にも書いてある。
ふむふむ
いまでも交通量がある道でした。
十村屋敷跡。
石川県内でちょいちょい目にする「十村〇〇家」という案内板。
(ウィキより)
十村制(とむらせい)は、江戸時代に加賀藩の第3代藩主前田利常が制定した農政制度で、地方の有力な農民を十村として懐柔、いわば現場監督として利用することで、農村全体を管理監督し徴税を円滑に進める制度である。改作法施行にあたって、十村はその業務範囲を広げ、加賀藩・富山藩・大聖寺藩における農政の実務機関としての役割を十全に果たした。
百万石システムの一つなんでしょうね。
正面に見えてきた茶色の大屋根。
興宗寺です。
明治の頃、ここで明治天皇が休憩されてます。
街道はここより少し下ります。
すると視界がパッと開けます。
う~ん惜しい、今日は白山見えませんでした。
味方の本によると、ここで見事な白山が望めるとあった。
いよいよ加賀市に入ります。
集落にあった神社。
なんと、
白山比咩神社という。
いやいや白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ)は、
白山市(旧鶴来町)にある加賀一の宮で全国2000社以上白山神社の総本山なんだけど・・・
まっいいか
のどかな風景です。
JR北陸線、その前の田んぼで消毒作業されてる人。
ん!
出ました!
七曲り街道跡です。
味方の本にも書いてある。
案内板を読んでみよう。
戦国時代攻め寄せる軍勢の数や装備を読み取るために七曲りと呼ばれた曲折した道路があった。
近くにある勝光寺の鼓楼がその見張り場所だったと伝えられている。
なるほど。
勝光寺はあの森の辺り(あとで戻って見て来よう)
よーしここはブラオイラらしく
ていねいに紹介しよう。
つまりこうである。
このように攻めてくる敵の軍勢は、
一本道の直線だとわかりにくいから、
(オイラ作 20秒)
道をぐねらせた。この方がはっきりするね
(オイラ作 35秒)
旧街道ウォッチャーからするとこの場所は重要だぞ!
(なんでやねん!)
ここは
ここで
あの説明板がなければ、ここが旧街道とは思わないだろうね。
ここが
ここで
ここが
ここね
道路を横切り
すぐさま、右に
こう曲がるのだが・・・、
これね
スクラップ置き場の横を
ここ
歩くのよ。
(ここが、まさかの旧北国街道)
また道路を横切る。
ここ
すぐさま曲がって道路を横断し、
これです。
進むのだ。
ぐねぐね道だね
最後のカーブを右折して、
はいここ
そのまま進みます
そして現代の道路と同じ場所につながります。
ここだ。
ははは、ちょっとしつこいくらいでしたね。
よし一旦、見張り台があった勝光寺に戻ってみよう。
あそこね。
着いた、ここ。
立派な門構えです。
横の小さな扉が開いてる、
そっと覗いてみよう・・・。
へぇ~、
あそこが見張り台の鼓楼だったのかなぁ、
もう少しだけ街道を進もう。
橋が見えてきた。
動橋大橋
ちなみに動橋は「いぶりばし」と呼びます。
動橋川。
今日はここまでにしようかの。
これだけ進みました。
ちゃんと最後の七曲りのところ、道がぐねってるね
次回は、加賀動橋編かな。
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まずは味方の本
щ(゚ー゚щ)カモーン!
赤矢印から。
では今日も元気に行こうか
あ、なんかオモロイ石、牛!?
石牛、牛石かな?
右手に見えてきた神社、串八幡神社です。
かなり大きな燈篭が両側に立つ。
左手の大きな敷地は小松製作所粟津工場ですね。
右手にはバスの製造会社のジェイ・バスさん。
このあたりは大きな工場が集まった工業団地になります。
たしかこの付近に変わった公園があったはず・・・。
少し横道に逸れて行ってみる。
ここだ粟津公園。
ここには他の公園ではあり得ないものがある。
園内を本物の電車(旧尾小屋鉄道車両)が走るのだ。
駅もある。
車両は格納されてるね。
雰囲気のいい林の中を走る。
短いんだけどね。
さて旧街道に戻ろう。
月津に来ました。
火の見櫓が見えてきた、その下に石碑があり、
月津一里塚だ。
味方の本にも書いてある。
ふむふむ
いまでも交通量がある道でした。
十村屋敷跡。
石川県内でちょいちょい目にする「十村〇〇家」という案内板。
(ウィキより)
十村制(とむらせい)は、江戸時代に加賀藩の第3代藩主前田利常が制定した農政制度で、地方の有力な農民を十村として懐柔、いわば現場監督として利用することで、農村全体を管理監督し徴税を円滑に進める制度である。改作法施行にあたって、十村はその業務範囲を広げ、加賀藩・富山藩・大聖寺藩における農政の実務機関としての役割を十全に果たした。
百万石システムの一つなんでしょうね。
正面に見えてきた茶色の大屋根。
興宗寺です。
明治の頃、ここで明治天皇が休憩されてます。
街道はここより少し下ります。
すると視界がパッと開けます。
う~ん惜しい、今日は白山見えませんでした。
味方の本によると、ここで見事な白山が望めるとあった。
いよいよ加賀市に入ります。
集落にあった神社。
なんと、
白山比咩神社という。
いやいや白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ)は、
白山市(旧鶴来町)にある加賀一の宮で全国2000社以上白山神社の総本山なんだけど・・・
まっいいか
のどかな風景です。
JR北陸線、その前の田んぼで消毒作業されてる人。
ん!
出ました!
七曲り街道跡です。
味方の本にも書いてある。
案内板を読んでみよう。
戦国時代攻め寄せる軍勢の数や装備を読み取るために七曲りと呼ばれた曲折した道路があった。
近くにある勝光寺の鼓楼がその見張り場所だったと伝えられている。
なるほど。
勝光寺はあの森の辺り(あとで戻って見て来よう)
よーしここはブラオイラらしく
ていねいに紹介しよう。
つまりこうである。
このように攻めてくる敵の軍勢は、
一本道の直線だとわかりにくいから、
(オイラ作 20秒)
道をぐねらせた。この方がはっきりするね
(オイラ作 35秒)
旧街道ウォッチャーからするとこの場所は重要だぞ!
(なんでやねん!)
ここは
ここで
あの説明板がなければ、ここが旧街道とは思わないだろうね。
ここが
ここで
ここが
ここね
道路を横切り
すぐさま、右に
こう曲がるのだが・・・、
これね
スクラップ置き場の横を
ここ
歩くのよ。
(ここが、まさかの旧北国街道)
また道路を横切る。
ここ
すぐさま曲がって道路を横断し、
これです。
進むのだ。
ぐねぐね道だね
最後のカーブを右折して、
はいここ
そのまま進みます
そして現代の道路と同じ場所につながります。
ここだ。
ははは、ちょっとしつこいくらいでしたね。
よし一旦、見張り台があった勝光寺に戻ってみよう。
あそこね。
着いた、ここ。
立派な門構えです。
横の小さな扉が開いてる、
そっと覗いてみよう・・・。
へぇ~、
あそこが見張り台の鼓楼だったのかなぁ、
もう少しだけ街道を進もう。
橋が見えてきた。
動橋大橋
ちなみに動橋は「いぶりばし」と呼びます。
動橋川。
今日はここまでにしようかの。
これだけ進みました。
ちゃんと最後の七曲りのところ、道がぐねってるね
次回は、加賀動橋編かな。
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