昨日8月15日は73回目の終戦記念日だった。
しかも平成最後の終戦記念日でもある。
昭和という時代が遠くなると誰かが言ったが、昭和といえばやはり戦争のイメージが強い。
多くの犠牲者を出した悲惨な戦争でした。
以前記事で石川県はなぜ空襲が無かったのだろうと投稿したが、
最近、米軍による金沢市街地空撮写真なるものが発見され、
他の都市同様に空襲計画があったことが明らかとなる。
石川県内にも戦争遺構なるものわずかだがあって特に海軍航空基地があった小松に残っている。
今日午前中はなんとか天気が持ちそうなので小松の戦争遺構を撮ってこよう。
小松到着。
まずは航空自衛隊小松基地へ
戦時中もここは小松海軍航空基地と呼ばれ飛行場だった。
最初の遺構は、フェンスすぐ向こう側にあった。
掩体壕(えんたいごう)といって、装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設である。
通常はコンクリート製で、少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしている。
道路からすぐ側なので簡単に見ることができる。
この付近にもう一か所あるのだが・・
向ってみよう
全然平気さ
こんなのへっちゃら
おいおい、イテっ
あっあれか!
あった!やっぱりフェンス内にそれはありました。
でも足場の草が痛くて
退散~
次は、空港近くの郵便局
その後ろにそれはある。
多くの方が通りから見てると思うが、この謎の半壊構造物。
その形は、まさにエジプトにあるスフィンクスだ。
ね。
拝借
これは自力発電所施設跡である。
頑丈なコンクリ建造物内に大型発電機が置かれ、攻撃による公共電気径路が破壊されたとしても、航空基地に必要な電気をここで用意する為だったのでしょう。
さて次の場所は、
住宅街にあります。
これもコンクリの構造物ですが、
これは施設倉庫だと思われます。
中を覗いてみましょう。
失礼しま~す。
当時は何を保管したのでしょうかね、
空からの攻撃で守らねばならない物だから、相当重要な物と思われますが。
さて次行きましょう。
小松市役所近くにある「空とこども絵本館」
この建物、かっては小松防空監視哨でした。
その名の通り敵の航空機をいち早く監視するのが目的です。
あそこに昇って・・・
当時我が国のレーダー設備は弱小なので、こういう人力だよりだったということです。
こりゃ負けるわけだ。
さて最後に行くのは、粟津駅です。
小松航空基地へ物資の輸送等を目的として粟津駅から小松航空基地へ鉄道が敷設された。
その引込線の一部と思われるのがこの線路です。
グーグルマップで見ると、
その痕跡がわかります。
短い距離で3キロ程度です。
左に逸れるレールは、
今は切れてしまっているが、
当時は延びていたのである。
どん!
今どきめずらしい未舗装道路。
ここにも線路は走っていた。
串茶屋付近を通過して、
橋が見えてきた、おや!
側に置いてあるのは当時の枕木か!
かっては鉄道用の橋でした。
ここで道路は、
右の道と合流するけど、
線路は真っ直ぐに延びていた。
おや何かある。
防衛※(埋まってる文字はおそらく庁)
管理は防衛庁に引き継がれた。
線路があったという痕跡は何となく雰囲気でわかる。
だって、
オイラは旧金名線も調べたし、旧能美線だってブラったからね。
こんな感じであったんだよ。
短いけど、当時の鉄橋の欄干だ。
そして線路は小松航空基地へと入っていったんだろう。
戦争遺構は、できるだけ保存した方がいいです。
できれば傍らに説明板を立てて、多くの人に訪れて知ってもらうことで、
平和の一助になるのではないだろうか。
【ヒゲ親父】
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しかも平成最後の終戦記念日でもある。
昭和という時代が遠くなると誰かが言ったが、昭和といえばやはり戦争のイメージが強い。
多くの犠牲者を出した悲惨な戦争でした。
以前記事で石川県はなぜ空襲が無かったのだろうと投稿したが、
最近、米軍による金沢市街地空撮写真なるものが発見され、
他の都市同様に空襲計画があったことが明らかとなる。
石川県内にも戦争遺構なるものわずかだがあって特に海軍航空基地があった小松に残っている。
今日午前中はなんとか天気が持ちそうなので小松の戦争遺構を撮ってこよう。
小松到着。
まずは航空自衛隊小松基地へ
戦時中もここは小松海軍航空基地と呼ばれ飛行場だった。
最初の遺構は、フェンスすぐ向こう側にあった。
掩体壕(えんたいごう)といって、装備や物資、人員などを敵の攻撃から守るための施設である。
通常はコンクリート製で、少ない資材で大きな強度が得られるかまぼこ型をしている。
道路からすぐ側なので簡単に見ることができる。
この付近にもう一か所あるのだが・・
向ってみよう
全然平気さ
こんなのへっちゃら
おいおい、イテっ
あっあれか!
あった!やっぱりフェンス内にそれはありました。
でも足場の草が痛くて
退散~
次は、空港近くの郵便局
その後ろにそれはある。
多くの方が通りから見てると思うが、この謎の半壊構造物。
その形は、まさにエジプトにあるスフィンクスだ。
ね。
拝借
これは自力発電所施設跡である。
頑丈なコンクリ建造物内に大型発電機が置かれ、攻撃による公共電気径路が破壊されたとしても、航空基地に必要な電気をここで用意する為だったのでしょう。
さて次の場所は、
住宅街にあります。
これもコンクリの構造物ですが、
これは施設倉庫だと思われます。
中を覗いてみましょう。
失礼しま~す。
当時は何を保管したのでしょうかね、
空からの攻撃で守らねばならない物だから、相当重要な物と思われますが。
さて次行きましょう。
小松市役所近くにある「空とこども絵本館」
この建物、かっては小松防空監視哨でした。
その名の通り敵の航空機をいち早く監視するのが目的です。
あそこに昇って・・・
当時我が国のレーダー設備は弱小なので、こういう人力だよりだったということです。
こりゃ負けるわけだ。
さて最後に行くのは、粟津駅です。
小松航空基地へ物資の輸送等を目的として粟津駅から小松航空基地へ鉄道が敷設された。
その引込線の一部と思われるのがこの線路です。
グーグルマップで見ると、
その痕跡がわかります。
短い距離で3キロ程度です。
左に逸れるレールは、
今は切れてしまっているが、
当時は延びていたのである。
どん!
今どきめずらしい未舗装道路。
ここにも線路は走っていた。
串茶屋付近を通過して、
橋が見えてきた、おや!
側に置いてあるのは当時の枕木か!
かっては鉄道用の橋でした。
ここで道路は、
右の道と合流するけど、
線路は真っ直ぐに延びていた。
おや何かある。
防衛※(埋まってる文字はおそらく庁)
管理は防衛庁に引き継がれた。
線路があったという痕跡は何となく雰囲気でわかる。
だって、
オイラは旧金名線も調べたし、旧能美線だってブラったからね。
こんな感じであったんだよ。
短いけど、当時の鉄橋の欄干だ。
そして線路は小松航空基地へと入っていったんだろう。
戦争遺構は、できるだけ保存した方がいいです。
できれば傍らに説明板を立てて、多くの人に訪れて知ってもらうことで、
平和の一助になるのではないだろうか。
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