いつも見ている朝の番組で
日本橋のパン屋をパン好きな女優が尋ねる
というものが放送されておりました。
600円は私の手作りをすごい上回って来るんだろうけどさ。
頻度減ったけどまた作っていこ。
いつも見ている朝の番組で
日本橋のパン屋をパン好きな女優が尋ねる
というものが放送されておりました。
GW連休前にこのブログを書いています。
あと4日で4月が終わりますが、
食費が3万円をこえたので、
もう1円も使いたくない気持ちです。
今月はコストコで
お米を買ったことが響いています。
さらに
大容量の
シャケ、
牛肉、
鶏肉
とタンパク質類を一気に買っているので、
ストックはたくさんあるけれど、
出費はした。
家から出ないでいられるかしら、、、、。
というのが、目下の闘いです。
出たらスーパーいっちゃうし、
値引き札見たら、心が揺れる。
野菜のストックがほぼないので、危ない。
野菜だけ買う分には、そんなに出費しないのだけれど、
野菜と一緒にいろんなもの売っているから、、、。
ひとまず3日後くらいまでのメニューは決まっている。
ところで最近娘は昼まで寝ている。
そんなわけで彼女は1日2食だ。
学校の保健の授業で
朝食の大事さを執拗に刷り込まれたせいで、
朝食をスキップすることを私に許さず学生時代は三食用意していた。
しかし浪人生/フリーターとしては眠気には勝てないらしい。寝ていていいとなると、いつまでも寝ている。
おかげで食費は助かっています。母は複雑です。
母は三食ですが、朝はこれ。
最近は味塩に水を少し混ぜて食べてます。
そして、カフェラテ。
乗り切れるかなー。
想えば、両親は旅行好きでした。
小さい頃から、私たち三兄弟を連れて
ふたりが行きたいところへどこまでも。
絶対大変だったろうに。
ほとんど覚えていないけれど、
九州の温泉巡り、
北海道の長万部
岩だらけの登山
恐山も行った記憶ある。
いわゆる「観光」的なところは嫌いで、
秘湯とか
自然と野生とか
が好き。
1,2か月に一度はどこかへ連れ出されていた。
旅行というのは不便で長距離移動しなくてはいけないもの
と小さい頃は思い込んでいて、
大人になってから
観光化された場所は交通の便も効率もすこぶる良いということに気がつきました。
それを思い出したのは両親の家に行った娘が
ふたりの最近の温泉旅の話を私にしてくれたからです。
「湧き水を汲んできて、それでご飯炊いたんだって」
そんなことある?
何その水。
というのが湧き水を知らない娘の感想。
今や山のブランドを謳ったペットボトルの水が売っていますけれど、
我が家は昔から
地元の人が汲みにくる
山のふもとの給水所へ旅の途中で寄り、
タンクに汲んで家に持って帰る
ということをしていました。
今から考えて、合法か?と思うけれど、
それが両親の楽しみで、
「ご飯の味が」「お茶の味が」違う
と得意顔をするのでした。
私たち兄弟は汲んでいる時間つまんなそうに車で待っている。
その光景が記憶に残っています。
娘によると「お茶の味の違いはわからなかった」とのこと。
違いがわからなかったら、それはセーフです。
あるとき、確実に泥水の味がしたことあります。
ただ本人たちは、汲んできたありがたいお水、という先入観が捨てきれず、
絶対に認めようとしなかった。
あれ、ムカついたな―。
それを七十八十のおじいさんおばあさんになっても
やるんだね。
というか、
私たちが連れ出された頃は
三十代くらいだったから、
だいぶ渋い趣味だ。無料、っていうのが好きなんだよね。
父にモーニング奢ってもらいました。
旅行に行った両親が
道の駅に寄ったらしく、
花をくれました。
花ってさ、
心の余裕がある人が楽しむものだよね。
私は枯らしたくなさすぎて、
ため息つきながら、
毎日、水の中で茎を切る。
ひと房アブラムシだらけで、
ひえ!となった。
家庭菜園や園芸を楽しむ人は
虫を受け入れる大きな心を持っている。
いや、ありがたいけれど、、、。
文句ばっかりの娘でした。
家がパッと明るくなりますね。(今更)
たぶん買い物欲を満たしたいだけだったと思うんだよなー。と、また文句。
霜降り明星がM-1優勝したとき、
怖い
って思った。
あれからずっと、同じようにまったくあの時の気持ちのまま
彼らのことは怖いまま。
彼らの
話題になったラジオや、
面白いといわれた企画
毎回、一応、見てはいて、
毎回覚悟を持ってみている。
怖いので、あまり近づかないようにはしているが探偵ナイトスクープや、
ショートで回ってくる粗品さんの動画を見るたびに
震えあがっているのだ。
彼らはすごい。
才能がすごすぎる。
才能あふれる人はたくさんいてそれには怖いとは思わない。
その人たちと彼らの決定的な違いは、
私が面白いと思わないことだ。
ものすごいポテンシャルとセンスと才能があることはわかっている。
彼らのパフォーマンスはトップランクと私は思っている。
ただ、
根本の漫才やネタ、ふたりが面白いと感じている事象について、
ほとんどが共感できない。
つまり、
理解できないことが怖いのだ。
そして
それがつまらないことではない
とわかっていることが、
これまた怖い。
もっとも私が好きである「笑い」のジャンルの主流が彼らになりそう
ということに
不安を感じている。
そんなのどうだっていいじゃない。
私は私の好きなものを追いかければ。
それが正論であって、
本当は怖がる必要はなく、
事実、
私は一時期よりお笑いを見ていない。
ちょっと待てよ。
十年くらい前は
見るものすべてが面白く
いくら時間があっても足りない
と思っていたのに。
そこで気が付いた。
ゆるやかにターゲットから外されているのだ。
要するに年を取ってきていて、
主要なターゲットが若年化している。
だから面白いと思うものが減ってきて、
さらに理解できないものも増えてきている。
つまり
私が霜降り明星に感じる
不安や怖さの正体は
老い
だったんだ。
調べたら、霜降り明星のM-1優勝は2018年。
6年前。
あのとき、本能的に感じた不安は、
それが原因だった。