大雑把な日常

日常のあれこれ。

誘われない

2013-06-30 | 日記
誘われないねー。
わたしは
けっこう人を誘うほうです。
でもある日
「つらい」
って思ってしまって、
誘うのをやめてみました。
ひとと積極的に関わって
顔色見ている自分を嫌悪し、
自分のような低層の人間が
人を誘うなんて
身の程!
というメンタリティが
むくむくと自分を支配し…
こう見えて
ひとに対して
気を遣いすぎるきらいがありますの。

そしたらね、
誰からも誘われないの。

嫌われているのだと思う。
これでハッキリしたね。

そんなことないよー
って人は言ってくれるでしょう。
でもさ
たとえば
会社を辞めるときに
やまほど口約束したのですよ。
「お誘いします」
「必ずします」

全員うそつき!
バーカ!

と今は悪態つく夜です。

会社のひとばかりではないですし、
そんなに深刻ではございません。
でもやっぱり
こうやって人間関係を断ち切って
生きていくのかも。
それがわたしなのかも。
と、自分分析の一助となりました。

誰からも誘われない孤独な女をきどって
自己陶酔するわけだよ。

人とどこかに行く
ってそもそもストレスだもんねー。
めんどうな私なんかとは特に。

ちなみに
誘われることは
いつでも
ウェルカムです。

メールの返信が
ないのよね。
30も後半になると
そこに気付く能力が鈍くなり
1週間くらい経って
「あれ!そういや!」
なんて思います。
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こども日記

2013-06-29 | 日記
心にとどまっていることが何もないというと
嘘になりますが
とくに表だって書くこともない。
と自分のメモを見ておりましたら
このブログは
「子ども」についてのブログだった
ということを思い出しました。
あらあら。
ここんとこ
ぜんぜん書いてないよね。

娘の通う小学校では
来週からプールの授業がはじまり
泳げないうちの子は
びびって
シャワーに顔を入れる練習をしてます。

泳げない
自転車に乗れない

ってのは
子ども本人の責任ではなくて
親が練習させてないからだ
というのを
大人になって気がつきました。

英才教育系の幼児の習いごとは
たいてい
お母さんも一緒に
いろんなことをしなくてはいけない
ってことも
大人になって知りました。
そうしないと
子どもの脳に浸透しないらしいですよ。
映像流しっぱでは
何にも覚えないんだって。
親しい人が介在すると
子どもはいろんなことを吸収するそうです。

自分の時間を子どもに注ぎ込んだ
ってことも
子どもに期待する気持ちの
ひとつ重りとなっているのかもしれません。
だって
自慢できないことですが
わたしは
何も教えてない
というのがあることで
うちの子が何か特別なことができることなど
夢にも思わないのです。
だから
手先が器用で
紙でなんでも作ろうとしてしまうこと(家とかテントとか、デジカメとか)に
驚きと
称賛を
惜しみなく
差し上げるわけです。

うちの子は今日
わたしの妹に習って
りかちゃんの洋服を縫い上げました。
フェルトを切って
返し縫いをした。

娘は大変満足そうでした。
妹の家から帰ってきても
「気にいっちゃったなあ
 早くつぎのやりたいなあ」
と呟いていました。
明日は
イクスピアリに行こうと思ったけど
手芸屋さんに行ってきます。

そしてりかちゃんの服の写真を撮ろうと
探したけどどこにも見つかりません。
どこに隠した?
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書いても書いても

2013-06-28 | 日記
日暮里からの帰り道、
京成線に揺られながら
こんな日常を毎日ブログにアップすることなんて
やっていても仕方がないんじゃないか
と思っておりました。

ここで言うのは恥ずかしいことですが、
書くことでお金を得たい
とここ数年強く思っています。
みんなが思っているであろう
数十倍の強い力で思っている。

あふりえいと?
そうじゃなく、そうじゃなく。

それで
小説やら
台本やらを書いていたのだけど
つまらなすぎて
自分で引いて辞めてしまっていた。
それは根性がないからではないだろうか
と一度最後まで書いてみたけど
クソみたいな短編しか書けなかった。

最近気がついたのは
そもそも
自分が小説やらドラマやら
物語に求めるものが
「ひたすら面白いもの」
であることだった。
中途半端な面白さでは
どんなに評価されている小説であろうが
ドラマだろうが
そっぽを向いてしまう。
みんなもそうか?
そんなものかしら。
出演者(俳優とか芸人さんとか)がいいからって
つまらないものは
我慢できない。
ずっとずっと
笑えるものだけを探し求めて
さぐりあてて
それが標準になってしまったからかもしれないけど。
このあいだ
演劇を見に行って
その舞台は非常に評価が高く
みんなが面白いと連呼していたのだが
「え?この程度で面白いってことでいいの?」
と思う自分がいて
自己嫌悪に陥った。
おもしろい
と言っていたひとをも疑った。

それで自分が生みだすものが
当然ながら
「この程度?」
と思ったところへも行きつかない。
つまり向いてないってことが
分かった。
物語を生みだすことに関しては。

じゃあどうするのさ。
というところで
ここんとこ止まっている。
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日暮里

2013-06-27 | 
すばらしいお天気でした。
汗ばむくらいの強い日差しに
涼しい風。気持ちがいい。

そんな素晴らしいお天気の日
なぜか惨めな気持で
日暮里にいました。
惨めな気持ちの意味は
とくに不明です。
よくそういう気分になるのです。
ひとりぼっち感。かしら。
心もとない
子どものときの不安な気持ちに
突然なる。

繊維街で
ソファカバーや
バック用の可愛い布を買うことが
目的でした。

布の洪水に飲みこまれてしまい。
気がついたら
昼の1時を過ぎてました。
昼前には
ごはん食べて帰ろうと思ったのに
何も購入してません。
とりあえず手近な店でランチ食べて
(パスタとお寿司の店だった不思議
 冷やしそばの麺がパスタだった不思議)
そっからたくさん買った。

戦利品。


ほかにも
ラミネートした
雨の日バックに良さそうな布や
きれいな色のミシン糸
を買いました。
ボタンも見たかったな。
あと
買わなかったけど
麻布
の店がやばかった。
木造住宅の土間に
ゴワゴワナチュラル色の布がびっしり。
買うつもりないのに
触りまくった。
いや買えばよかった。

お店は
それぞれの素材や種類ごとに
陳列されているので
その売り場に入った瞬間に
あ!この布好き!
って思う。

わたしは麻と綿、とくにインド綿が好きみたい。
麻と綿…ふつうだな。
スタンダード人間です。
インド綿のパッチワーク、ほしかった。
メートルあたりが
お高めだったので
手が届きませんでしたが。
かわいかったなあ。


ところで
買った手前、
お裁縫をしなくてはならないことに
さっき気付きました。
手縫いで…
どこまでできるかしらね。

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2013-06-26 | 
家の壁に穴をあけるドリルを
買ってしまった。
これであのボードやこのボードつけられるじゃん。
と早速やりましたら、
すごい曲がった!




左側の隙間を見よ。
左上がり甚だしい。
さすが不器用。
不器用健在。

昨日、娘がピアノの宿題を練習していて
いつまでたっても
同じところを間違えるので
悔しくて泣いて怒ってました。
ソファにうずくまってヒーンと泣いてました。
優しくしてもらえるかと思いきや
「それが楽器を弾くってもんだ」
と、真顔でいう母こと私。
不器用だもんね。
何回も間違えてそのうち嫌になっちゃう。
わたしもそうでした。

「一生懸命やってるのに!」
と娘。
一生懸命やってもうまくいかないことばかりよね。
でもピアノの練習は
一生懸命さがまだ足りないってことなのだよ。
上から偉そうに
でも口には出さずに思っていました。

それにしてもボード付け直したほうがいいかな…。

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