親を追い越した瞬間とかって
子供から語られることが多いけれど、
私は今日記録したい。
17歳の娘が
もう私に並んでいるということを。
45歳の私の「知性」をもうすぐ追い抜こうとしている。
美しさ、性格の良さにおいて
彼女は生まれた時から
私の遥か上をいっていた。
成長するにつれ
学校の勉強、
運動も
小学校高学年くらいに
追い抜いた。
ただまあここまでは全然想定していた。
私はもともといろいろ持っている人間ではなく
持ち合わせのものがないことを自覚している
中身ミニマリストなんで、
彼女が私のように育たなかったことに
ずっと安堵してきていたのだ。
私が本当に成長を感じたのは、
彼女が
「知識」を得る大切さに気づいたことにある。
興味
探究心
気づきや絶え間ない疑問は
脳内の解放であり
生きていく意味にさえなる。
というか、
私が生きている意味だ。
知りたい
とずっと思っていさえすれば
私の人生は豊かであることが
保証されている、
と信じている。
私の信条だ。
そのことに娘は自分で気づいた。
私が気づいたのは
10年くらい前の話だ。
とっくに大人だった。
だから限度がある。
今から大学生になることも可能だけど、
いろんな障壁がある。
最近では
宗教や科学について
ほぼ同じ目線で私と議論している。
話が終わらなくて怖い。
そのうち追い抜かれて
話が通じなくならないようにしたい。
最近のお弁当。
リクエストに答えて
チャーハンを入れることが多い。
野菜はネギとカリフラワーが混ざっている。