前回ご紹介した『癌の治った話 どうして治ったか』には、著者の大浦孝秋氏が「きわめて良心的な人格者で、私たちが常に信頼し尊敬するにたる医師」と絶賛する人物が登場します。
それは、東京都杉並区の開業医・藤田正直氏で、この人は食物の改善と指圧法(参考:「血液循環療法」)によって重症のがん患者を数多く助けてきたそうです。
そこで今回は、この人が書いた『ガン治療に残された道』(藤田正直:著、日本文芸社:1967年刊)という本から、「早期発見・早期治療」に関する話題をご紹介しましょう。
日本で「早期発見・早期治療」ということを西洋医学の専門家が言うようになったのは、おそらく肺結核に関するものが最初だろうと思いますが、これについては、本ブログの「呼吸器病」という記事で問題点を批判してありますので、よかったら参考にしてください。
藤田正直氏によると、がん治療において「早期発見・早期治療」という言葉を日本に広めたのは、医学博士の田崎勇三氏だそうです。
田崎氏は、癌研究会常務理事と癌研究会附属病院長を兼任し、わが国の対がん運動の総帥として、早期発見・早期治療でがんは根治すると日本全国に宣伝してまわったそうです。
しかし、彼は『癌と長寿 ガンは征服できる』(田崎勇三:著、実業之日本社:1962年刊)という本を出版した翌年にがんで亡くなっています。
田崎氏のがんは歯肉がんで、1961年6月には自分でがんに気づき、6月24日に東京大学教授の太田邦夫博士が組織検査をしてがんと診断したそうです。
これは理想的な早期発見であり、田崎氏の本に書かれていることが真実なら、早期治療によってがんは簡単に治るはずでしたが、現実は違っていました。
ラジウム照射が大量に行なわれた結果、歯肉がんは1か月後には完全に消えてしまったのですが、田崎氏のからだは衰弱し、右頸部のリンパ腺が腫れはじめてきたのです。
がんの転移でした。
これによって田崎氏は、専門医として十万にあまる患者を手がけてきた経験から、なおる自信を失い、8月28日には遺書を書いています。(その詳細については『ガン治療に残された道』をお読みください。)
そして、公務を続けながら、1962年5月25日、田崎氏は実業之日本社から『癌と長寿』を発行したわけですが、藤田氏によると、これは、国民を失望させまいとの一心からあえて虚勢を張って書いたのだそうです。
その後、8月12日に右頸部リンパ腺の切除手術を受け、コバルト照射とマイトマイシン(制がん剤)の注射も受けたのですが、翌年の2月14日には右の顔に顔面麻痺があらわれ、右頸部の耐え難い激痛もあって、ついに公務を続けることが不可能になり、4月15日に癌研病院に入院し、5月24日に田崎勇三氏は64歳で亡くなりました。
つまり、田崎氏が宣伝した「早期発見・早期治療」では、自分自身を救うことさえできなかったわけですから、彼の主張はウソだったということになります。
ところが、西洋医学の専門家は、この貴重な症例に学ぶことをせず、今でも「早期発見・早期治療」と叫び続けているわけです。
それでは、なぜ「早期発見・早期治療」がウソなのかご説明しましょう。
まず、本ブログの「デザイナーフーズ計画」という記事でご紹介しているように、がんを予防する食品が多数知られています。
そして実際、食事療法、すなわち栄養補給によってがんを治療した例は、前回もご紹介しましたし、それ以外にも古来より数多く報告されています。
つまり、極論すると、がんの原因は栄養失調であると言うことができるわけです。
みなさんは、手術で栄養失調が治ると思いますか? 抗がん剤で栄養失調が治ると思いますか? 放射線で栄養失調が治ると思いますか?
常識のある人なら、当然そんなことで栄養失調が治るはずはないと思うでしょう。
その栄養失調を、西洋医学の専門家は手術や抗がん剤、放射線で治療するのが最善だと考えているわけですから、本当に驚かされます。(参考:「最近読んだ本のご紹介 その3」)
彼らは、がんを殺すことががんを治すことだと錯覚し、100年以上も前からこの間違いに気づかないまま、意味のない処置を施して患者を苦しめ、殺し続けているのです。(参考:「医原病」)
なお、「早期発見」には価値を認める人もいるかと思いますが、検査のために放射線を浴びれば発がんリスクが高まりますし(参考:「低レベル放射線被ばくリスク」)、そもそも治療方法が間違っているので、がんの発見がどれだけ早くても、結局寿命を縮めることになってしまうのです。
がんの心配をしながら毎年検査を受けるよりも、毎日の食生活を見直し、がんを予防する食品を積極的に摂取するよう心掛けるほうが、よっぽど賢明なのではないでしょうか?
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