「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

多読の掟

2013-11-29 10:06:06 | リーディング
偉い先生方はそうもいかないだろうが、一指導者とすれば数多ある指導法のいいとこ取りで授業を組み上げても何ら問題はない。気をつけておかなければならないのは、採用する指導法の意図するところが何で、どんな力をつけたいのか。そしてなぜその力が付くと見込まれるのか、その指導法使用上の注意すべき点は何か、弱点は何かといったことなど。ドリルがダメと一概には言えないし、ディベートもやればいいというものではない。

そこで重要になるのが実践例の研究や理論的背景知識の収集ということになる。ところが、その中で指導法の根幹となる原理・原則に疑義が生じることもある。「一派」に加わるつもりがないのなら、そこを無視したとしても授業運営上差支えなければ別にいい。ただし、ナイーブにそうしたのか、あるいは敢えて意図的にそうしたのかでは、その後の検証の仕方も変わってこようというもの。だから、機会があればその筋のしかるべき人にしっかりと質問しておくことが必要だと思う。

前置きが長くなったが、多読指導の話の続きである。いわゆる多読指導にはいくつかの「掟」が存在し、それが逆にこの指導法の敷居を上げる結果となっているように感じる。私の思うところでは、要するに楽しくたくさん読めればいいのではと感じるわけで「作法」がどの程度重要なのか判断に迷う。つまり、次のようなことである。

1 学習者が何を読むか決める。
2 理解度のチェックはしてはならない。
3 グレイディッド・リーダーズなどの教材を使用。
4 辞書は引かない。

1はラーナーズ・オートノミー、2はモチベーション、3はそれ以外に適切でアクセスの易しいオルターナティブがあるかという問題、4は帰納的に習得といった関係からだろうが、その決まりごとを破ることが活動全体をスポイルする致命傷になるかどうかは分からないはず。機会があれば私も聞いてみます。

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