この時期になると毎年センター試験が気になり始め、それに関連したちょっとしたアドバイスなどもしたくなるものだ。過去にもいくつかの点を指摘しているので、もし受験生でこれを読んでいる人があれば「テスト」のカテゴリーから探してみてください。
さて、今日の話はセンター試験の過去問と演習問題から。センターの問題は2007年度の追試で第3問のBからである。以下の2問の選択肢を見てはしい。
問題A
1 gym classes are useful in providing physical relaxation
2 gym classes make your body and brain tired
3 people need exercise to stay healthy
4 people should exercise while watching TV
問題B
1 everyone loves to watch sports on TV every day
2 exercising helps students feel better about themselves
3 nervous students fail to relax and enyoy themselves
4 required exercise makes everyone try hard
授業では、まずこれらの意味を確認。グループで話し合いそれでも疑問が残ったらクラス全体で議論という手順。
演習問題を復習する場合、本文はしっかり見返すけれども設問は蔑ろにされるというケースは案外多いのではないか。本文は一つ一つの文が文章として流れるが、設問の英文は短い文がそれぞれ独立しているので意味を誤解しやすいのである。
意味の確認が終わったら、本文を読まずに正解の予想を立てる。このときに常識でモニターをかける。センター試験というコンテキストで正解にしても差し支えのない選択肢はどれか。
問題Aであれば、2の選択肢は体育の関係者に怒られそう。また、一般的に4が主張されるケースはイメージしにくい。健康器具のセールスマンであれば話は別なのだろうが。1と3を検証し、より多くの人間に受け入れられやすい選択肢は3であるという判断ができそうだ。実際の答えも3である。
問題Bであれば、1や4は正確に文の意味が掴めれば、およそ正解にはなり得ないことが分かるはずだ。2と3に絞ったら、話題が体育の授業であることを考慮して、2を第1候補にあげるのが通常の判断だろう。実際の正解も2である。
センター試験は単なる英語のテストというだけでなく、広く社会的妥当性が問われるものだから、常識的に判断して違和感が残る選択肢は正解にしづらいのである。有名なところでは2005年の天気図の問題。有り得ない気圧配置だと専門家から指摘を受けたという例がある。
もちろん、この作戦の裏を掻かれることもある。ステートメント自体は全くの正論だが、本文で触れられてないという錯乱肢が使われるケースも多いから注意が必要だ。
次の話。以下の選択肢はどうだろうか。問題はセンター型演習用問題集からネタばれにならないように表現を変えて示したものである。
問題C
1 A voting age of 20 is too high
2 A voting age of 20 is desirable
3 A voting age of 20 is too low
4 A voting age of 20 is inappropriate
問題D
1 say that test anxiety is nothing but an excuse of lazy children
2 think of it not as a real problem but as an excuse of lazy children
3 regard it as a real problem and not an excuse of lazy children
4 assume that they should not distinguish it from an excuse of lazy children
先の例と同じように、意味が掴めたら本文を見ずに正解の予想を立てさせる。あるいは選択肢の分析をさせる。
問題Cでは1と3の選択肢が4の選択肢に包含されるのが分かる。つまり、1が正解であれば4も正解、3が正解であれば4も正解になる。このような関係にある選択肢は基本的にすべて錯乱肢である。
問題Dでは選択肢2と選択肢3が全く逆のことを述べているのが分かる。このようなケースの場合、2つ合わせて100%だから、本文の内容と関係のないとんちんかんなステートメントでない限りどちらかが正解である。
錯乱肢が適当かどうかは、問題を見せずに錯乱肢だけで正解を予想させ答えの傾向を分析をすればよい。こんなことはテスティングでは常識中の常識であるが、それでもなお、指摘したような例が見られるのは、テストの見栄えを保ちながら平均点のしがらみをかわすための苦肉の策なのだろうか。