「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

Sleepy Hollow

2009-10-30 17:28:49 | その他
研修でアメリカに滞在していたときにハロウィン柄の安ネクタイを買った。それ以来、毎年1度だけこのネクタイをして出勤している。

約20年前の新任のころはハロウィンなどというものは、日本ではほとんど認知されていなかった。当時はカボチャを削って蝋燭台にし、ハロウィンをモチーフに投げ込みの授業をしていたものだ。

進学校へ移ってからは、日々の授業に追われハロウィンを教材にする余裕もなくなった。せめてこのくらいはという償いにも似た気持ちで毎年オレンジのネクタイを締めていたのである。

今年は31日が土曜なので30日の今日がハロウィンネクタイの出番。例年と同じ気持ちで出勤したが、何となくいつもの年と違う感覚を持った。

時は流れ、気がつけばいつの間にかハロウィンもすっかり日本に定着している。もはや、ハロウィン柄のネクタイは私の思いを正しく伝えてくれるものではなくなってしまったのかもしれない。

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遠足は再来週の金曜日だったよね

2009-10-29 19:05:06 | 文法
用語を使って文法を説明するのはなるべくなら避けた方がよいと言いつつも、最低限の文法用語は知っていた方が便利なのは間違いない。その「最低限の文法用語」の概念を理解する上で基礎になっているのは(少なくとも昔は)中学校で習った国文法である。

もちろん国文法があるから混乱するという面もあるのだが(例えば、高校1年生の中には英語には形容動詞は存在しないということを知らない者がいたりする)、名詞、動詞、形容詞、副詞といったものがどのような働きをするかを理解するときには、国文法の知識を英語に置き換えてみるというケースが多いのであろう。

そう考えたときに問題になってくるのが、先のエントリー「死んだ」、「死んでいる」に絡んだ話である。我々の多くは日本語の文法について「中学校で扱った程度の知識」しかないし、そこで学んだことのみが例外なく正しいと思う罠に嵌ってしまうことがあるのだ。

だから、「~している」に完了の意味があるという発見に自分で驚いたりする。これは、「ことば」を教える者としては深く反省すべきことであった。

というわけで、日本語の表現の中で一般的な文法解釈で考えられているものとは異なった用法を持つものに対しての意識が上がった。そんな中で思い出したのがタイトル文の表現。

「遠足は再来週の金曜日だったよね」

実はこの文に出会ったのは教職に就いて3年も経たないころ。ある先生のご発表の中で、日本語は時制の概念が英語ほど厳密でないという趣旨のご説明に用いられたものだ。

この文の「だった」は過去を示すものではないはずだ。

ところが、中学国文法の範疇でこの文を捉えてしまうと、「なぜ過去でないことに関して過去形が使われるのか」という疑問を感じてしまうのである。

英語では、例えば現在進行形が現在進行中の動作以外を表す場合があることを知っていても、日本語においてそれに似たケースがあり得ることまでは想像がつきにくいのである。

この点は、英語の文法をすっきりと理解するためにはもちろん、「文法」(括弧付きであるところがミソ)を考える上で大きなポイントになるのではないだろうか。

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選択肢のタブー

2009-10-28 18:12:11 | 授業
この時期になると毎年センター試験が気になり始め、それに関連したちょっとしたアドバイスなどもしたくなるものだ。過去にもいくつかの点を指摘しているので、もし受験生でこれを読んでいる人があれば「テスト」のカテゴリーから探してみてください。

さて、今日の話はセンター試験の過去問と演習問題から。センターの問題は2007年度の追試で第3問のBからである。以下の2問の選択肢を見てはしい。

問題A
1 gym classes are useful in providing physical relaxation
2 gym classes make your body and brain tired
3 people need exercise to stay healthy
4 people should exercise while watching TV

問題B
1 everyone loves to watch sports on TV every day
2 exercising helps students feel better about themselves
3 nervous students fail to relax and enyoy themselves
4 required exercise makes everyone try hard

授業では、まずこれらの意味を確認。グループで話し合いそれでも疑問が残ったらクラス全体で議論という手順。

演習問題を復習する場合、本文はしっかり見返すけれども設問は蔑ろにされるというケースは案外多いのではないか。本文は一つ一つの文が文章として流れるが、設問の英文は短い文がそれぞれ独立しているので意味を誤解しやすいのである。

意味の確認が終わったら、本文を読まずに正解の予想を立てる。このときに常識でモニターをかける。センター試験というコンテキストで正解にしても差し支えのない選択肢はどれか。

問題Aであれば、2の選択肢は体育の関係者に怒られそう。また、一般的に4が主張されるケースはイメージしにくい。健康器具のセールスマンであれば話は別なのだろうが。1と3を検証し、より多くの人間に受け入れられやすい選択肢は3であるという判断ができそうだ。実際の答えも3である。

問題Bであれば、1や4は正確に文の意味が掴めれば、およそ正解にはなり得ないことが分かるはずだ。2と3に絞ったら、話題が体育の授業であることを考慮して、2を第1候補にあげるのが通常の判断だろう。実際の正解も2である。

センター試験は単なる英語のテストというだけでなく、広く社会的妥当性が問われるものだから、常識的に判断して違和感が残る選択肢は正解にしづらいのである。有名なところでは2005年の天気図の問題。有り得ない気圧配置だと専門家から指摘を受けたという例がある。

もちろん、この作戦の裏を掻かれることもある。ステートメント自体は全くの正論だが、本文で触れられてないという錯乱肢が使われるケースも多いから注意が必要だ。

次の話。以下の選択肢はどうだろうか。問題はセンター型演習用問題集からネタばれにならないように表現を変えて示したものである。

問題C
1 A voting age of 20 is too high
2 A voting age of 20 is desirable
3 A voting age of 20 is too low
4 A voting age of 20 is inappropriate

問題D
1 say that test anxiety is nothing but an excuse of lazy children
2 think of it not as a real problem but as an excuse of lazy children
3 regard it as a real problem and not an excuse of lazy children
4 assume that they should not distinguish it from an excuse of lazy children

先の例と同じように、意味が掴めたら本文を見ずに正解の予想を立てさせる。あるいは選択肢の分析をさせる。

問題Cでは1と3の選択肢が4の選択肢に包含されるのが分かる。つまり、1が正解であれば4も正解、3が正解であれば4も正解になる。このような関係にある選択肢は基本的にすべて錯乱肢である。

問題Dでは選択肢2と選択肢3が全く逆のことを述べているのが分かる。このようなケースの場合、2つ合わせて100%だから、本文の内容と関係のないとんちんかんなステートメントでない限りどちらかが正解である。

錯乱肢が適当かどうかは、問題を見せずに錯乱肢だけで正解を予想させ答えの傾向を分析をすればよい。こんなことはテスティングでは常識中の常識であるが、それでもなお、指摘したような例が見られるのは、テストの見栄えを保ちながら平均点のしがらみをかわすための苦肉の策なのだろうか。


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わたしのことばへの気づき(これもわざとです)

2009-10-26 12:35:16 | 研修
研究授業のあとはいつもお世話になっているよしやすさんと食事をしながら談笑。そのときに、先月参加した北九州JALTでの漆原朗子先生のご発表に話が及んだ。漆原先生は北九州の方言に焦点をあて生成文法的説明を試みているとのことで、「~しとう」とか「~しよる」といった地元の人間になじみの言葉を用いて言語学的に解説をされたのだ。

そのときにわたしが気づいたこと。

和文英訳において「~している」が重要なポイントになることは非常に有名である。ただし、「~している」は「いま行っている」という意味だけでなく「状態」を表すことがある。という説明に留まっていることが多いのではないだろうか。

例えば、I am playing tennis now. 「いまテニスをしている」に対して、
I know his name. 「彼の名前を知っている」といったところだ。

これらに加えて「習慣的動作」については指摘されることも多いだろう。
例えば、I work for Sony. 「ソニーに勤めています」である。

2つ目のポイントは個人的に間違いのツボだ。若いころ、飲み会の席で外国人に「どこの学校に勤めてるの?」と聞かれて、うっかり進行形で答えたら「いま君は酒を飲んでいるんじゃないの」と笑われたことがある。

さて、今回のわたしの気づきは「~している」は完了の意味を表す場合があるということ。
例えば、「手紙は着きましたか」に対して「着いています」

これは自分にとって長い間の盲点であった。まさに目から鱗がはがれた感じである。というのも、「~が増えている」という作文で、現在進行形、現在完了進行形、現在完了形の3種が正答として提示されているのを見て違和感を感じてきたからだ。この点について、うまく説明できないでいたのである。

関連する興味深い表現として「死」に関するものがある。「死んでいる」は意味的には完了であるが、He is dead. で表現されよう。

また「死んだ」については、コンテキストによって意味が変わってくる。
「その犬は今朝死んだ」であれば、The dog died this morning. であろう。
しかし、「あの犬どうしてる?」「あれならもう死んだよ」なら、The dog is dead. である。

すなわち、「死んでいる」にも「死んだ」にも完了の意味があり、それらを英語で表現する場合には形容詞を用いるということになる。

さらには、同じ完了のニュアンスを持っていても「死んでいる」は、その主体が話者の目前にある場合(つまり死体が目の前にある場合)に使い、「死んだ」はその主体が話者の目の前にない場合に使うのだということに気づいたのである。

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研究授業終了

2009-10-24 12:58:34 | 協同学習
何とか研究授業を終えることができました。お忙しい中時間を割いて授業を見ていただいた所属校の校長先生、それから、指導主事、研究指導主事先生をはじめ、わざわざ駆けつけていただいた先生方、臨採でご勤務の先生方、そして裏方を引き受けてくれた同僚の先生方に心から感謝を申し上げます。もちろん、熱心に授業に取り組んでくれた3年2組の皆さんには一番助けられました。皆様のおかげで本当に気持ちよく授業をすることができました。

授業自体は細部の詰めが甘く65点のできといったところですが、日頃やり慣れていないことを人前で披露するという自らにかけたプレッシャーを楽しむことができました。お若い先生方向けには音読のバリエーションや書写などの活動をお見せした方がよかったかもしれませんが、今回は自分の研修を優先させていただきました。

とりあえずは自分の中で今年度の大きな区切りができました。ありがとうございました。

当日お配りした資料より

本日はお越しいただきありがとうございました。この度、研究授業を実施するにあたり、授業者本人が新しいスタイルを模索する機会を戴いたと捉え、日頃の授業ルーティーンから離れた実験的な授業を行ってみることといたしました。つきましては、いろいろと不完全な部分やお見苦しい場面もあるかと思いますがご容赦くださいませ。
また、以下に今回の授業に際して授業者が設定した課題をあげてさせていただきました。ご意見やアドバイスをいただけますと幸いです。

1 新学習指導要領を見据えた授業展開への挑戦
今回の新指導要領の大きな目玉の一つは「英語の授業は原則的に英語で運営する」ことです。これに関しては現時点で賛否両論あるようですが、少なくとも現場では英語でも授業運営ができるだけの幅を広げておく必要はあります。そのためには、単に指導者個人の高い英語力だけではなく、「英語を使っていかに効果的に英語を身につけさせるか」といった視点が不可欠になります。
 授業者の見解では、英語で運営される授業は「オーラルコミュニケーション」、「英語Ⅰ、Ⅱ」において多く見られるようです。今回はライティングの授業の中で、いかに英語を用いて効果的な指導ができるかを模索してまいります。
 また、新学習指導要領に関して、また別の重要な点として4技能の統合があげられます。ご存知の通りライティングやリーディングという科目のかわりに、英語表現やコミュニケーション英語といった新しい科目が導入されることになりました。これらの科目では読む活動や書く活動を切り離すのではなく、例えば読んだ内容について発表したり、聞いた内容について書いたりする活動が重視されます。
 一般に、4技能を統合した活動では、例えば読んだものに対して自分の意見を書くといった自由度の高い拡散型かディクトグロスのような自由度のかなり低い収斂型の両極端になりがちなようです。今回は論理的な推測能力を活用した読解ストラテジーを利用して、それらの中間にあたるようなsemi-controlledタスクを用いて、指導焦点の絞り込みと自由作文の双方の利点の追求を図ります。

2 ドリル定着型指導の次に来るものの模索
過去数年間の英語教育における大きな流行は、リード&ルックアップやシャドーイングに代表される負荷のかかった音読による定着活動でした。もちろん、これ自体はけっして否定されるべきものではありませんが、このトレンドの反動としてじっくり考えたり深く読んだりする指導が見直されつつあるのが現状のようです。
 しかし、従来どおりの文法翻訳に軸足をおいた指導へ回帰するだけでは新しい時代の要請には応えられそうにありません。英語を理解するという行為において、文法と語彙の知識を用いた暗号解読により置き換えられる日本語の精度を高めるといった活動だけでは限界があるからです。
 そこで、新しいスキーマ理論などを拠り所に、読解における認知過程で用いられる類推・先の予測といったストラテジーを明示的にターゲットとし読解力の育成を図ります。

3 グループ学習の可能性の探究
 グループワークやペアワークの概念自体はよく知られるところですが、実際に授業で用いるには色々と細かな配慮が必要です。特にグループワークは、英語教育では音読活動などで比較的用いやすいペアワークに比べて活用されるケースが少なく、どのような活動がグループワーク向きか、グループの人数は何人が良いのかなどのノウハウもさほど共有されていないように思います。
 授業者は効果的なグループワーク運営方法の模索を通じて、佐藤学先生の「学びの共同体」の実践に触れ、そこから多くのヒントを得ることができました。(佐藤先生のチームは近隣の中学へも指導に入っておられます)
 しかし、佐藤先生ご自身も認めておられるように、「学びの共同体」のスタイルでいかに英語の授業を運営すべきかは議論の分かれるところであり、グループで文章を訳して終わりになってしまうことも多いようです。
 そこで今回は作文を通して、ひらめきや豊かな発想をグループのメンバーと共有したうえで、協力して作文の精度を高めることで学習意欲を高め学ぶことの愉しさを感じさせることを試みております。

4 受験とコミュニケーション能力の両立をめざして
 一般的に受験とコミュニケーション能力は相反する目標と見なされることも多いですが、双方の両立を目指して全国の多くの先生方が奮闘されています。各種の学習活動をバランスよく配置し、受験に特化した指導と運用力の養成に特化した指導を明確に分けることも必要な視点かもしれません。しかし、受験指導を通してコミュニケーション能力を育成したり、コミュニケーション活動を通して受験に役立つ力を育てる方法を探究するほうが、生徒の動機づけに結びつきやすいような気がします。
 例えば、ある程度のコントロールを掛けておけば、自由作文は文法の定着に大変効果的な活動になる可能性があります。また、同じ内容を複数の人物に伝えることにより定着やアキュラシーを高める効果が期待できます。さらには、家庭学習で周到に準備したものを発表するのが授業であるという認識が生徒と共有できれば、コミュニケーション活動を導入することが直接学習量の増加につながります。
 本日の授業は受験を全面に意識した日頃の流れとは異なった手順で実施しますが、生徒の中に「こんな事をやって何になるのだ」という思いを起こさせることなく、英語を用いて活動することが受験にも役立ちそうだという感覚を持たせることを大きな目標としています。


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苦しみから学ぶ

2009-10-12 21:49:36 | 研修
前項のSLⅡ、盲信は危険だと言ったものの、確かに示唆には富んでいる。例えば、こんなのはどうだろうか。

英語教育の研修会。官製であれ草の根であれ、わざわざ足を運ぼうとする人はSLⅡの段階で言えばどこになるか。D1、D3、D4はあるかもしれないが、D2はありそうにない。そもそもモチベーションがないのだから。

D4もないのではと思われるかもしれないが、到達度の差はあれ少なくともカテゴリー分けされるとD4になるという人は結構多いと思う。研修会で自分の力と自信を固めることができるのは実はこの種の人である。

少しでも教育を「良く」することが研修の目的なら、D2の人をいかに巻き込み成長させるかに焦点を絞ったものでなければ意味がないのではないはずだ。

授業改善研究という立場から見ても、おそらく最大の課題はD2をなるべく短くやり過ごすためにはどうすればよいか、あるいはD2に嵌って苦しんでいる人をいかにそこから解放されるように手助けができるかの研究であってしかるべきだ。

スーパーティーチャーも良いが、本当に現場で役立つのは、苦労してなんとか半歩の前進を達成したごく普通の先生の誠実な実践ではないか。

D4の親玉みたいな人が、妙にへりくだって(へりくだらない場合もあるが)「ささやかな実践」という名の圧倒的な指導法を披露し、皆が目を回しているのを確認したら拙い発表で申し訳ありませんなどと言って、聴衆にとどめの一撃を見舞うのでは、わずかに残ったモチベーションまで持っていかれてしまうのかもしれない。


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教育力向上指導員研修

2009-10-09 18:01:31 | 研修
教育力向上指導員むけの研修として、「ビジネスパートナーOHNO」の大野正人先生によるセミナーに参加させていただいた。お題は「コーチングの理論と実践」ということであったが、一般に認知されているコーチング手法の欠点を指摘した上で、その改良版である状況対応型リーダーシップ(K. ブランチャード)の理論に沿ったワークショップという形になった。

コーチングに関しては言葉自体は聞いたことがあるものの実態についてはよく知らなかったので有り難い経験になった。コーチングとは何か感じたままごく簡単に表現すると、「動機づけを高めることを目的としたカウンセリング手法」ということになる。

これに対し、状況対応型リーダーシップは「コーチングのエッセンスを加味した指示・指導」と言えそうである。つまり、人は励ましや勇気づけだけでは、必ずしも伸びていけるわけではないということのようだ。

状況対応型リーダーシップの基盤になるのは、指導を受ける側の発達段階である。セミナーでは「D1~D2までの4つの開発レベル」という言葉で表現された。

D1はいわゆる初心者で何か新しいことに挑戦しようとしている段階である。このレベルでは新しいことに対する期待感から動機づけは高いが技術力は当然低い。

D2はマンネリに入ったところで、最初の期待感は失われたが力はそれほど上がっていないというレベルである。この段階では動機づけ・技術力ともに低い。

D3は経験と共に技術力は上がってきたものの、まだ自信がない段階である。この段階では技術力は高いが動機づけは低い状態である。

D4は技術力の高まりが自信につながった段階である。この段階では動機づけ・技術力の両方が高い。

つまり、技術力をX軸に、動機づけをY軸にとってクロス分析をしたときに、第1象限がD4、第2象限がD1、第3象限がD2、第4象限がD3となる。

一方、指導する側のアプローチは、支援的行動と指示的行動に大別できる。前者は、話をきいて励まし決定に参加させる行動であり、後者は、教え、指示し、決めてやる行動である。

この二種のアプローチを4つのタイプに合った方法で調合して用いるべきだというのが状況対応型リーダーシップの基本的な考え方のようだ。つまり、動機づけが高く技術力が低いD1に対しては指示的行動中心、逆に動機づけが低く技術力の高いD3に対しては支援的行動中心にするというわけだ。双方に欠けるD2には両者をうまく組み合わせた手法が必要であり、双方を備えるD4に対しては信頼を示すだけでよいのではということになる。

理にかなった面白い考え方で大いに参考になる。しかし、個人の性格や置かれた状況など考慮すべき変数を全く無視してこの手法を絶対視するのは危険であろう。相手の話をよくきいて、一緒に考えるという姿勢がやはり基本なのではないかと感じた次第である。

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研究授業を提供します

2009-10-01 18:22:21 | 協同学習
10月23日に研究授業を提供することになりました。このブログでも触れた教材を使い、推測しながら文章を読み進め、一貫性のある最終パラグラフを完成させるという活動です。

この手の授業は、毎日の定番手順ではありませんが、ワンショットものとしては何度か試みてきました。ただし、未体験の点もあります。

それは、「3年生向け」の「ライティングの授業」を「共同学習の形態」で「英語」で運営するということです。これらの4つの項目をそれぞれ単体では実施したことがあるのですが、4つを重ね技で行ったことはありません。もちろん、普段の授業においてもです。

というわけで、不安でいっぱいではありますが、同じ内容を他のクラスで実施の上、その反省を生かして臨みたいと思います。当日は所属校の英語担当(のうち授業が空いている者)の他に、県の指導主事、研究指導主事の両先生、4名のお若い方々、そしていつもお世話になっている友人が来られることになっています。

授業のあとには研究協議もありますので、私がどのように料理されるかお楽しみになりたい方は以下のメールアドレスまでご連絡をください。

zenconundrum@mail.goo.ne.jp


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