「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

「ムダ」なこと

2010-07-22 10:07:04 | その他
休み前の全ての予定を終え、昨日から夏休みに突入。課外初日のはずだったが、予定変更で金曜日からになった。今年も野球部が勝ち進んだのである。

所属校では、野球応援はちょっとした「文化」になっており、動員などしなくとも多くの生徒が自らの意志で球場に足を運ぶ。しかも、受験を控えた3年生が多い。

昨年は休み前の全校集会でこれを時間の無駄だと思うなかれという話をした。貴重な時間を使って友の応援に行くことに意義があるのである。

沢山の友人の応援を受けた野球部の連中は抜群に集中力の高いプレーをする。それを見た応援者は逆に元気をもらい、今度は自分のなすべきところで力を発揮する。その結果、学校の雰囲気は高まる。

本質は一見無駄だと思えるところにあるものだ。

今年の全校集会ではそんな話をしようと思っていたのだが、時間が押してしまい断念せざるをえなかった。任期を終え退陣する前生徒会長がその挨拶の中で私の思いを代弁してくれたのが救いだった。

「何年か前の生徒会選挙の記録を見ていた。その当時の立候補者は、立候補とは名ばかりで、クラスから1人出さなければならないという規則の下で、いやいや生徒会選挙に出されていたようだった。演説会では、絶対に生徒会役員などやりたくないので、自分には投票しないでくれと訴えた候補者もいたということを知りショックだった。今はそんな雰囲気でなくて本当によかった。」

たしかに、学校の様子は変わってきている。自分さえよければいいという考えの生徒が減り、労を厭わず自分から他人のために何かをしようとする生徒が増えたように思う。友を大事にし生徒同士の仲がよい。そして、進学実績も上がっている。

無駄排除の行き着くところは結局のところ一つしかない。生徒もそのことがよく分かっているのだろう。

さて、私が言おうと思っていたのは以下のようなこと。各学年に向けてちょっとずつメッセージは異なるが、「ムダ」を大切にして欲しいという串を通したつもり。

1年生は今までの復習をしっかりとやって欲しい。でも、それ以上にクオリティの高い本をしっかり読んで欲しい。良質なテレビ番組を見て家族とそれについてじっくり話をして欲しい。

2年生も基礎力をもう一度しっかり固めることが必要。でも、それ以上に得意科目をとことんまで追求する愉しさを味わって欲しい。そんなに難しいことをやって入試に役に立つのかなどと考えてはいけない。何時間もかけてたった一つの数学の難問を解くような贅沢な学びを体験をして欲しい。

3年生はしっかり学習に時間を割いて欲しい。労を厭わずしっかり汗をかいて欲しい。例えば、四択問題を通して文法を学ぼうとするのではなく、声を出して読み自分の手できちんと文を書く。目や頭の中だけでさらっと確認するのではなく、手や口をしっかり使って確実に自分の力にして欲しい。

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普段着の公開授業

2010-07-13 17:12:17 | 授業
今日は公開授業日。朝から大雨で、交通機関の麻痺もある中で、熱心な保護者の方々にお集まりいただき予定通り授業を公開。

私の授業は3限の1コマで、近隣の高校の先生と研究指導主事先生にもお越しいただいた。全く普段通りの授業で何の種も仕掛けもなし。今回の授業公開は本来保護者向けなので、いつもと違うことをするのはルール違反になるだろうという判断です。ご勘弁を。

空所補充による英文完成問題5問×3セットが教材。最初に3分で問題にあたってからグループワークで答えの確認。その後、解答を配布しリクエストがあれば要点を解説。あとは音読てんこ盛り。

コーラス・リーディングからスピード・リーディング、負荷をかけたペア・リーディングの後に学んだ言語材料プラスαで瞬間英作文。最後は視写と虫食い英文音読でダメ押し。嫌だ嫌だと言いながら、これだけ音読に頼っている。

授業をご覧になった保護者の方から一つだけご感想を頂いたので、それを紹介させていただきます。

「英語の授業で、こんなに動きがあって楽しいのは初めてです。考えて、声に出して読んで、確認して、どんどん応用も展開していって。このスピードについていけるようになれば、英語も楽しくなるでしょうに。今後の本人の頑張りに期待したいです。」

温かいお言葉を、ありがとうございました。


※内田樹先生のブログにinput、outputに関する興味深いお話発見!
とりあえず後で見失わないようにメモっておきます。

http://blog.tatsuru.com/2010/07/11_1220.php


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明日は

2010-07-12 18:55:05 | その他
所属校の公開授業日。どさくさに紛れて教育力向上指導員としての授業公開と絡めたら、研究指導主事先生から様子を見に来るというご連絡が。想定外でしたが仕方がありません。予定通り普段着の授業をお見せします。

もう一つ、明日のお楽しみは大修館「英語教育」誌。先月の協同学習特集に感想・意見を送っていたら、Forumに掲載していただけるとのこと。今日の昼に電話をいただきました。メールでその旨を知らせていただいていたようなのですが、うっかり見落としてしまっていたのでした。機会があれば、ご覧いただければと思います。

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メタ評価

2010-07-10 06:31:10 | その他
PTA進路講演会後のアンケートを集約・分析しおおむね好ましい評価をいただいたと判断。2、3は厳しい評価もあるが、私個人はそれで健全だと思う。数字を追えば教育の理想からは距離ができるしその逆も然り。いくらバランスをとってもどこがベストなのかは誰にも分からないのだから。

厳しいご指摘を真摯に受け止める姿勢を持つことは大切。だが、ごく少数の意見に過剰に反応することには危険な面もあるのではないかとも思う。学校運営が、より「ラウド」な意見に左右される可能性があるからだ。(このことは、職員会議についても同様だと考えている)

もちろん、いじめの問題のように「少数」の意見の中に、決定的に重要なものが存在する場合もある。だから、私たちが磨かなければならないのは「評価」を適正に評価する力なのだ。

矛盾するようだが、逆に多数派の見解が絶対に正しいとも限らない。例えば授業評価で「面白くない」、「つまらない」、「分からない」という評価を多く受けた授業は、常に「面白い」、「楽しい」、「よく分かる」という評価を多く受けた授業より「良くない」授業であると断言できるか。

教育はどちらかといえばアートやクラフトの世界に近くビジネスの論理で捉えるべきではないのではないか。教育を数字で評価することは、カンディンスキー、ルノワール、カラバッジョの絵を並べて、どれが一番「美しく」、「面白く」、「好ましい」かを決めることや、音楽において大衆から一番の支持をうける楽曲が最も高品質だと考えることの愚かさに似てはいないか。また、教員の成長を陶芸家の成長になぞらえるのはどうだろうか。教育の真の価値を知るのにconnoisseurは不要と言い切れるか。

もちろん「良い評価」を受けた授業が本当に良いものである可能性はある、と言うか、その可能性は高い。しかし、そのことを根拠に評価を吟味せず鵜呑みにすることが正当化されて良いとはとても思えない。量的評価は、必然的に教育に弊害をもたらすとまでは言うつもりはないが、質的評価の質を高めることの重要性をおざなりにすれば「評価」が教育にもたらすのは結局は混乱のみであろう。

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予備校からようこそ

2010-07-04 08:23:07 | その他
試験最終日は三年生むけの進路講演会。隣町の予備校から講師をお招きし受験生の心構えについて話してもらう。ここの予備校はいわゆる「大手」ではないが厳しく熱心な指導で地元では有名。私も学生のころ夏期講習と冬期講習でお世話になった。授業もひと味違ったが、なんといっても自習室の張りつめた空気が違うのだ。

とても良い講演で、ためになる話はいくつもあったが、私が好きだったのは勉強の「質」と「量」のどちらが大切かというくだり。私個人は例によって量が質に変わっていくという話をよくするからだ。

今回のお話しでは「質」と「量」のベクトルが合ったところに「がむしゃらさ」があるということ。つまり、「質」、「量」のどちらかに偏った学習に本物の真剣みはあるといえるのかというわけだ。

思い出したのは、この予備校で一浪ののち関西で最も難関と思われる大学の法学部に合格した高校時代の友人のこと。一年間、一番早く登校し一番遅く下校するという決め事をし、それを果たしたと聞いた。単に長い時間予備校にいるというだけでなく質の高い勉強もできていたのだろう。

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