Buy the Farm という米語表現がある。文字通りに読めば農場を買うという意味だが、「死ぬ」と言う意味の婉曲表現のひとつだ。この表現の由来には諸説あるようだが、戦死者の遺族に支払われる弔慰金が、ちょうど畑を買えるくらいの額であったというのが米国でよく耳にする説明だろう。
http://www.worldwidewords.org/qa/qa-buy1.htm
昔の話だが、この表現にちょっと意外なところで遭遇した。ロサンゼルスのディズニーランドである。
ディズニーランドでは、客がアトラクションの順番待ちをしている間に退屈な思いをしないように、いろいろな工夫がなされていている。ホーンテッドマンションというディズニー版お化け屋敷の順番待ちをしている間に見つけたのである。
館の外にはフェイクの墓地があり、墓石の一つのエピタフに書かれていたのだ。はっきりとは覚えていないが次のような内容だったと思う。
・・・(墓主のブタの名前)は苦しく貧しい人(?)生を送りながらも努力を続けついには農場を買うに至った。
おそらく、米国人の親はこれを見たときに、その意味を子に質したり説明したりしながら、ことばの意味や由来を教えるのだろう。よく言われることであるが、ディズニーランドは単なる遊園地というだけでなく、このように文化や歴史を伝え残す教育的な機能も兼ね備えている。
さて、前回の季節の形容詞の話。
夏はestival、冬はhibernal、春はvernalだが、秋がautumnal以外は見つからない。私が知らないだけかと思ったら、どうやら本当に秋はないようだ。
この件に関して「英語教育の明日はどっちだ!」のtmrowingさんから資料をいただいたのだが、その中に面白い記述を見つけた。
・・・アングロ・サクソンは、年をwinterで数え、日をnightで数えるのが普通であって、したがって、時には(冬は)「年」の意味を持つこともあった。しかしModEになって、比喩的に、yearの代わりにwinterを用いる時には老人の年を、またsummerを用いる時には若い婦人の年を数えるのが普通である。
この説明を読んでピンと来たのが、先日娘達に読んで聞かせたアンデルセンの「年の話」
http://www.andersen.sdu.dk/vaerk/hersholt/TheStoryOfTheYear_e.html
(読み聞かせはもちろん日本語です)
この童話の中で「冬」は老人であり、「春」はコウノトリに乗ってやってきた少年と少女、少年はやがて「夏」になり大人になった少女と結婚する。夏が過ぎると少女は亡くなり、「夏」であった青年は年老いて「冬」になるというもの。
この話が、なぜ「冬」である老人から始まり、また老人で終わるのか、なぜ少女は夏が過ぎると亡くなるのか、読み聞かせながら疑問に思っていたのだ。
ディズニーランドにしろ「年の話」にしろ、「ことば」は単なる情報を伝達するための道具ではなく文化そのものであることが分かる。ことばに「味」や「深み」をもたらす文化的側面を教育から取り去ってしまえば、もはや「ことば」の教育とは言えないのかもしれない。
http://www.worldwidewords.org/qa/qa-buy1.htm
昔の話だが、この表現にちょっと意外なところで遭遇した。ロサンゼルスのディズニーランドである。
ディズニーランドでは、客がアトラクションの順番待ちをしている間に退屈な思いをしないように、いろいろな工夫がなされていている。ホーンテッドマンションというディズニー版お化け屋敷の順番待ちをしている間に見つけたのである。
館の外にはフェイクの墓地があり、墓石の一つのエピタフに書かれていたのだ。はっきりとは覚えていないが次のような内容だったと思う。
・・・(墓主のブタの名前)は苦しく貧しい人(?)生を送りながらも努力を続けついには農場を買うに至った。
おそらく、米国人の親はこれを見たときに、その意味を子に質したり説明したりしながら、ことばの意味や由来を教えるのだろう。よく言われることであるが、ディズニーランドは単なる遊園地というだけでなく、このように文化や歴史を伝え残す教育的な機能も兼ね備えている。
さて、前回の季節の形容詞の話。
夏はestival、冬はhibernal、春はvernalだが、秋がautumnal以外は見つからない。私が知らないだけかと思ったら、どうやら本当に秋はないようだ。
この件に関して「英語教育の明日はどっちだ!」のtmrowingさんから資料をいただいたのだが、その中に面白い記述を見つけた。
・・・アングロ・サクソンは、年をwinterで数え、日をnightで数えるのが普通であって、したがって、時には(冬は)「年」の意味を持つこともあった。しかしModEになって、比喩的に、yearの代わりにwinterを用いる時には老人の年を、またsummerを用いる時には若い婦人の年を数えるのが普通である。
この説明を読んでピンと来たのが、先日娘達に読んで聞かせたアンデルセンの「年の話」
http://www.andersen.sdu.dk/vaerk/hersholt/TheStoryOfTheYear_e.html
(読み聞かせはもちろん日本語です)
この童話の中で「冬」は老人であり、「春」はコウノトリに乗ってやってきた少年と少女、少年はやがて「夏」になり大人になった少女と結婚する。夏が過ぎると少女は亡くなり、「夏」であった青年は年老いて「冬」になるというもの。
この話が、なぜ「冬」である老人から始まり、また老人で終わるのか、なぜ少女は夏が過ぎると亡くなるのか、読み聞かせながら疑問に思っていたのだ。
ディズニーランドにしろ「年の話」にしろ、「ことば」は単なる情報を伝達するための道具ではなく文化そのものであることが分かる。ことばに「味」や「深み」をもたらす文化的側面を教育から取り去ってしまえば、もはや「ことば」の教育とは言えないのかもしれない。
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