遅ればせながら、共通テストの感想などを。リーディングです。
個人的には、全体を読解中心でまとめたのは良いと思います。
ただ、受験者は、読むことに慣れてないと読み疲れしたはずです。
テスティングの観点で言えば、英語力の試験としての妥当性について、
危険な感触を受けました。
英語力よりも論理性や情報処理能力を試される試験のように感じました。
今後、予備校等受験産業が攻略法を広めれば、純粋な英語力測定との乖離は
増していくでしょうから、妥当性の低下が危惧されます。
細かいところでは、fact と opinion の問題に関して疑義があります。
多くの場合、主観と客観は二項対立ではなく、
その狭間にあると言わざるを得ない場合が多くあります。
強いや大きいだけでなく、例えば白いですら主観を多く含みます。
さらに、不利な情報の開示を伏せた統計は、
客観の皮を被った扇動でしかないことは言うまでもありません。
外国語でのコミュニケーションでは、その負荷のために、
そういったフィルターが働きにくいのですが、
その力を含めて測定しようとすると、
本来計りたかった英語力の妥当性が担保できなくなることが
ジレンマですね。
個人的には、全体を読解中心でまとめたのは良いと思います。
ただ、受験者は、読むことに慣れてないと読み疲れしたはずです。
テスティングの観点で言えば、英語力の試験としての妥当性について、
危険な感触を受けました。
英語力よりも論理性や情報処理能力を試される試験のように感じました。
今後、予備校等受験産業が攻略法を広めれば、純粋な英語力測定との乖離は
増していくでしょうから、妥当性の低下が危惧されます。
細かいところでは、fact と opinion の問題に関して疑義があります。
多くの場合、主観と客観は二項対立ではなく、
その狭間にあると言わざるを得ない場合が多くあります。
強いや大きいだけでなく、例えば白いですら主観を多く含みます。
さらに、不利な情報の開示を伏せた統計は、
客観の皮を被った扇動でしかないことは言うまでもありません。
外国語でのコミュニケーションでは、その負荷のために、
そういったフィルターが働きにくいのですが、
その力を含めて測定しようとすると、
本来計りたかった英語力の妥当性が担保できなくなることが
ジレンマですね。
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