2年生対象の出前講義で、近隣の大学で英文学を教えておられる堤千佳子先生のお話を聴くことができた。大学の先生から英語を学ぶ高校生へのアドバイスといった趣のお話で、選択した生徒数がさほど多くなかったこともありカジュアルでリラックスした雰囲気のものであった。その中から感じたことをいくつか。
真っ先にされたお話が、読みやすい文字を書くことの大切さについて。特にa e o dなどは気をつけて書く必要ありとのこと。私自身、字の汚さには自信・定評があるのでこの手の話は耳が痛い。ひょっとして先生はTG大の出身ではなどと思いながら聴いていたら図星でした。
読みの深さに関するお話の中では、子供の頃に読んだ本でも後で読み返すと新たな発見ができることがあると指摘された。例に出されたのは「赤毛のアン」。袖のふくらんだドレスとフランス系の登場人物に対する扱いから時代背景が読めるというもの。
このお話を聴いて二つのことを考えた。一つは「深い読み」というものは単なる上下二重構造ではないということ。読解は表面上の意味と深層の意味の二つの層で進行するのではなく、深さにはレベルがあるということだ。だから、よく私が授業で使う「ここまで意味が掴めなければ読めたことにはならない」という言葉は不適切であることに気づいた。「そこまで読めたから完全に理解できた」と思ってしまえばそれ以上の考察が止まってしまうからである。
さらに、ここから発展して文学教育の落とし穴とでも言うべきものに考えは及んだ。文学作品から読める深みが多層的であるとすれば、読む者はその深みのどこまで辿り着けるかが読み手の技量であると考えるようになるだろう。そして、文学作品に学問的アプローチをとる「文学者」は作品の最深部まで迫ろうとして、時代背景や作家自身の人生を詳細に調べ作品と照らし合わせることになる。
しかしながら、この傾向がエスカレートすればするほど、「深く読みこんで分かること」は我々が日常で扱うレベルのコミュニケーションから離れていく。その結果、文学は実用的コミュニケーション能力の養成には不向きであるという、S先生とI先生の対談のような結論になってしまうのではないか。
以前のエントリーで読解力を養成する目的で歌詞を用いるときには、想像のみで真意に達するものでないとダメだという趣旨の書き込みをした。
http://blog.goo.ne.jp/zenconundrum/e/2180c44723c1d3edc9477383c17e032d
文学に深みを求めること自体に問題があるわけではないが、度が過ぎるのは語学教育としては好ましくない。いずれにせよ、学習者に自分の達した「深み」をひけらかしたところで、学習者の読解力は上がりそうにない。
真っ先にされたお話が、読みやすい文字を書くことの大切さについて。特にa e o dなどは気をつけて書く必要ありとのこと。私自身、字の汚さには自信・定評があるのでこの手の話は耳が痛い。ひょっとして先生はTG大の出身ではなどと思いながら聴いていたら図星でした。
読みの深さに関するお話の中では、子供の頃に読んだ本でも後で読み返すと新たな発見ができることがあると指摘された。例に出されたのは「赤毛のアン」。袖のふくらんだドレスとフランス系の登場人物に対する扱いから時代背景が読めるというもの。
このお話を聴いて二つのことを考えた。一つは「深い読み」というものは単なる上下二重構造ではないということ。読解は表面上の意味と深層の意味の二つの層で進行するのではなく、深さにはレベルがあるということだ。だから、よく私が授業で使う「ここまで意味が掴めなければ読めたことにはならない」という言葉は不適切であることに気づいた。「そこまで読めたから完全に理解できた」と思ってしまえばそれ以上の考察が止まってしまうからである。
さらに、ここから発展して文学教育の落とし穴とでも言うべきものに考えは及んだ。文学作品から読める深みが多層的であるとすれば、読む者はその深みのどこまで辿り着けるかが読み手の技量であると考えるようになるだろう。そして、文学作品に学問的アプローチをとる「文学者」は作品の最深部まで迫ろうとして、時代背景や作家自身の人生を詳細に調べ作品と照らし合わせることになる。
しかしながら、この傾向がエスカレートすればするほど、「深く読みこんで分かること」は我々が日常で扱うレベルのコミュニケーションから離れていく。その結果、文学は実用的コミュニケーション能力の養成には不向きであるという、S先生とI先生の対談のような結論になってしまうのではないか。
以前のエントリーで読解力を養成する目的で歌詞を用いるときには、想像のみで真意に達するものでないとダメだという趣旨の書き込みをした。
http://blog.goo.ne.jp/zenconundrum/e/2180c44723c1d3edc9477383c17e032d
文学に深みを求めること自体に問題があるわけではないが、度が過ぎるのは語学教育としては好ましくない。いずれにせよ、学習者に自分の達した「深み」をひけらかしたところで、学習者の読解力は上がりそうにない。