「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

懺悔あるいは研修雑感(思いつくままに)

2009-05-26 21:56:56 | 研修
休日に自腹で研修に出かけ成長できたことを喜びとする。
これは、自分の特別性を確認したいがための俗物根性の証なのではないか。

自分のやり方に固執するくせ同僚とは徹底的に話し合わずに、考え方が違うからで済ませてしまう。
これは、自信がないから、あるいは、相手を尊重していないからではないか。

バランスという言葉を免罪符に、右にも左にもいい顔をして、落とし所だけ探っている。
これは、真面目に考えていない証拠ではないか。

生徒の前では導師を演じ夢を語るくせに教育とは善意による洗脳だと認めている。
これは、自分がついた嘘の言い訳ではないか。

生徒に過大評価され、そうだと分かっていながら自分の勲章のように受け止める。
これは、不誠実ではないか。

他人の仕事を批判することにより、自分を頑張らざるを得ない状況に追い込む。
これは、卑怯ではないか。

他人に厳しくするのは大変なことだといいながら、その人を追い込む。
これは、自分が臆病だからではないか。

ため息をつきながら、他の人には分からないだろうと言う。
これは、自分の力不足を人のせいにしたいからではないか。

本当に真剣に考えている人は、
自分ひとりでは何もできないことが
ちゃんと分かっているのだ。


にほんブログ村 教育ブログ 英語科教育へ



ロッド・エリス先生の語用論(pragmatics)

2009-05-24 09:38:28 | 研修
行って来ました東京のテンプル大学。都営地下鉄の白金高輪駅から歩いて5分程度。早めについたので近くの古書店で買った「日本人なら必ず誤訳する~」などを読んで時間をつぶす。

さすがは東京で、参加人数は福岡の3~4倍といったところ。そのうち半分くらいがネイティブスピーカー。会場で使われる言語は日本人同士でもほぼ100%が英語です。

今回のテーマの語用論は個人的に詳しくないのだが、今後注目される分野になっていくのだろうか。一般的には意味論(semantics)と重なり合って論じられるようで、コミュニケーションの多層性と大いに関係があるようだ。このたび焦点が当てられたのはpolitenessの適切性の育成。

第二言語におけるこの側面には大きくtransferが影響を持ち、ある程度熟達した人でさえ、awkwardな行動を取ってしまうことは多々あり得る。氏は日本人である、以前の奥様がお客を家に迎えられたときに、声のピッチがあがることなどを例に挙げられた。

話の前半では教師主導のうまく練られた授業経営では実際のコミュニケーションの有り様と乖離するという指摘がある。その具体例として、典型的な発問パターンであるIRF(Initiate - respond - follow-up)すなわち、「名前を聞いてみて」「あなたの名前は何ですか」「よろしい」のようなパターンでは語用論的能力は育たないことが示された。

後半はpragmatic development研究の具体例に話が及ぶ。ご自身による90年代前半の研究とオークランド大学の受け持ち学生であるTakimoto氏の最近の研究が対比された。それによれば、昔の研究は「静的」であり、最近は「動的」であるということ。つまり、以前は単なる観察が主であったが最近は異なる手法の比較研究が中心なのだ。

ご自身の研究で印象に残ったのは、「観察」を手法とする場合、観察者をinvisibleにしなければ正確なデータはとれないということ。専門家が授業を見に来れば教える方も教わる方も普段どおりにはいかないからというわけで。

お弟子さんのTakimoto氏の研究で強調されたのは、実験後にすぐ効果を調べたのではなく、しばらくしてから効果が持続しているかを調べたということ。確かに実用的知識は単なる一時的なもので使えなければ無意味です。

大雑把に要点をまとめると、通常の授業ではpolitenessレベルの使い分けの力は育ちにくいということ、そして明示的な指導を直接的に加えるのは定着のためにはよい方法ではないということ。つまり、この力をつけさせるには帰納的にawarenessに導く指導が必要なのだ。

このことについて、参加者から明示的直接指導で使われたのはL1かL2かといった質問があった。「使われたのはL1、しかし効果の差については研究があるわけでないので、その違いについての解答はできない」というお答え。個人的にここの部分は結構重要なポイントだと思うので、いずれ機会を改めてこの話題には触れるつもりです。

語用論的能力の発達に関わる3つの要因として、学習者のL2習得レベル、母語転移、学習者がおかれた教室の状況が結論としてあげられた。

これに対して「学習者の成熟度、つまり年齢は重要ではないのか」という質問をしておきました。挙げられた実験事例の被験者がすべて若者だったから。学習者が大人であれば言葉の丁寧さにもっと注意が向くはずと思ったわけだ。

これに対するお答えは、「一理あるが、子供もいずれ丁寧さの使い分けができるようになるからね」ということで軽くかわされてしまった。

続いて話が及んだ「指導者がモデルになることが、生徒にとって丁寧な表現を獲得する障害の一つになっている」という指摘には大きく頷いた。

大学時代にお世話になった津田先生(米国人の先生です)から仕事を頼まれるときには必ず「Can you ~?」で聞かれていたので、先生にお願いをするときにも、かなり長い間「Can you~?」で頼んでいたという個人的な経験を思い出したのだ。

そのほかに、人にアドバイスをするときに好んで使う「You might (not) want to ~」なども、他人が実際に使っているのを見た経験から使うようになった表現だ。

帰納的に身につけるべき力というものは確かに存在するようである。


にほんブログ村 教育ブログ 英語科教育へ

神奈川新英研5月例会

2009-05-17 21:25:52 | 研修
予定通り神奈川新英研5月例会に参加。会場の大倉山記念館は東急の大倉山駅から線路沿いの坂を上ったところにある。趣のある建物でいい感じだが、坂をあがるのは結構大変で、大学時代を思い出した。

研修会は新英研らしく温かい雰囲気でこれもまたいい感じ。私よりかなりご年配の方から学生までと参加者がバラエティに富んでいるのも素晴らしい。町中の研究会ならではのことかと最初は思ったが、会を切り盛りしている方々のご尽力の賜物だということが時間の流れと共に分かってきた。

今回の主な目的は金谷憲先生のお話だが、それと同等以上に二人の先生方による実践報告もよかった。萩原先生のご発表は、まさに今の時代の王道とも言えるもので、オーラル・イントロダクションから音読を使ったインテイク、負荷を高めつつのアウトプット、テストへの反映に加え授業評価までのフルセット。しかも、それぞれに細かい配慮がしてあるから大いに参考になる。

「くだらない」と笑われるかもしれないが、私の場合、黒板に貼り付ける絵などは、教室にあるその辺のマグネットを使うのだが、小指の先大の板状マグネットを予め貼っておいた方が使い勝手がいいことが非常によくわかりました。

もう少しレベルの高いところでは、ペアシャドーイングよりも対面リピートの方が負荷が高いことが実感できたこと。相手が読み終わるまでのリテンションの分とシャドーイングと違ってごまかしが利かないという点で。自分の授業では時間の節約のため、もっぱらペアシャドーイングを用いていたのだ。

植野先生の実践は粘り強さそのものといった感じ。肌理細やかな指導の繰り返しで、学習事項の定着度はすごく高いのだろうと思う。

また、例えば「音読は内容理解が終わってから」のように、絶対的な真実のように語られることも疑ってみる余地を残しておかなければならないということも感じた。初見の文章をリアルタイムで理解しながら音読させるということも、場合によっては考えられないわけではないだろう。

初参加の余所者であるにもかかわらずお二方共にしっかり質問させていただいたのだが、面白かったのは「訳を配ることの教員間のコンセンサス」について話が及んだときのこと。どうやら都会の中学校の先生方は「訳を配ら(せ)ない」教員が多数派を占める田舎の高校の文化に心から驚かれたようであった。

訳読の授業で扱った英文の和訳問題が定期考査問題の大半だと言ったらきっと目が点になることでしょう。恥ずかしくてさすがにそこまでは言えませんでしたが。

さて、午後の金谷先生のお話は萩原先生の実践をなぞったようなものとなった。要は、インテイク活動を工夫し、生徒に飽きさせないようにしましょうといったもの。

的を射た質問をするなら、「シャドーイングを含めた負荷付き音読のバリエーションとそれぞれの長所短所(あるいは使うべき順番)についてどうお考えか」などだろうと思ったが、今回はどうしても「考えることをさせずにドリル的な活動を中心に授業を組み立てていいのか」について聞きたい気持ちを抑えられなかった。英語の授業まで「考える」ことを中心に据える必要はないと断言された潔さには敬服。ただし、このお言葉で自分の考えが変わったわけではありません。

研修は朝の10時から5時までと結構なボリュームだったが、あっという間に時間が過ぎたという印象。余所者であるにもかかわらず質問もしまくって引っ掻き回してしまった。新英研神奈川支部の皆さんごめんなさい。そして素晴らしい研修の機会をありがとうございました。

来週末はロッド・エリスでこれまた楽しみです。

にほんブログ村 教育ブログ 英語科教育へ

集中研修前半戦終了

2009-05-15 21:42:44 | 研修
研修に来てから10日が過ぎ、明日が二回目の週末。予想以上にハードな内容で、ここまでのところ結構大変だったという印象。もっとも「研修としては」という括弧付き。普段の仕事はもっとハードですから。

日々の研修でところどころ「これは!」という言葉に出会えるのはラッキー。本物の発する言葉は確かに本当に響くものだ。個々の内容についてはいつか忘れたころに触れることにします。

今回の研修でこれまでの一番の収穫は、自分の仕事に対する取り組み方はまだまだ甘かったのだと気づいたこと。これは今までの自分の仕事ぶりを反省したという意味ではない。「一生懸命仕事をしたからといって必ず合格点がもらえるわけではない」という意味だ。

研修以外の収穫は全国からの力のある参加者と知り合えたこと。世の中全くものすごい人がいるものです。バイタリティとかエネルギーに文字通り圧倒されっぱなし。

さて、そんな研修漬けの日々を抜け出して明日は「道楽」三昧。神奈川の大倉山で新英研の勉強会があるのです。金谷先生は以前からぜひお話が聞きたかった人の一人。研修疲れを研修でリフレッシュしてきます。


にほんブログ村 教育ブログ 英語科教育へ

研修初日

2009-05-07 20:58:30 | 研修
初日終了。勤務校の方が気がかりですが、講義には集中しています。内容については、どのくらい触れて良いものか今のところ不明なのでとりあえず割愛します。たくさんの皆さんにご迷惑をおかけしていますが、しっかり学んできますのでご容赦ください。


にほんブログ村 教育ブログ 英語科教育へ

いよいよ

2009-05-04 13:48:56 | 授業
今回はオムニバス式近況報告

2年生の難関校志望者を集めて、計画的にプラスアルファの学習を継続することの重要性を説く。厳しい話になったが、このくらいでやる気をそがれるようでは難関校はハナから無理。東大・京大、医学部に行こうと思えばそれなりの覚悟と犠牲は低学年のうちから必要なのだ。6月には1年生に対しても同じ趣旨の集会をする予定。

授業は予定範囲をとりあえず終了。英作答案を事前チェックする方式はまずまず機能していると感じている。少なくとも、自分には新たな発見がたくさんあった。後は代替の先生にしっかりお願いしておきました。

先日、他校の先生からセンター試験問題作成者の情報をいただいた。秘密ではないはずだが、あまり人目につかないように公開されている雰囲気。言いたいこともあるがコメントは控えたほうがよいのだろうか。

ゴールデンウィークは残務整理で結構出校している。ちらほら遊びに来た卒業生の姿を見るものの、お目当ての教員には遭えないケースが多いようだ。某大学ではゴールデンウィークの宿題として、例のSMAPのメンバーの件について英語でレポートを書けという宿題が出たとのこと。授業でどのように扱うのか興味がある。

今年度は卓球部の顧問を降りてしまったが、それでも世界選手権はしっかり見ている。石川選手、松平選手は大健闘。でも、世界の壁が厚くなるのはここからだと思う。研究されるから。二人とも楽しむ気持ちを忘れずに、できるだけ長く競技を続けて欲しい。

さて、明日から長期研修に出発。このタイミングで町中に出るのはイヤなのだが仕方がない。人混みにはいるときはマスクをするようにします。

あと、英授研はやめて金谷先生の新英研に参加します。

にほんブログ村 教育ブログ 英語科教育へ