「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

最後の一冊

2008-12-31 14:11:41 | 語彙
コンピュータの周りを片づけていて、ちょっと懐かしい南雲堂の単語帳が目に留まった。と言ってもピーナッツではない。「TOEFL・TOEICの英単語」シリーズである。今でも売られているのだろうか。

この単語帳シリーズは3部作となっていて、「毎回出るTOEFL・TOEICの英単語6702」、「ジャンル別攻略TOEFL・TOEICの英単語」、「最後の一冊TOEFL・TOEIC・GRE・GMATの英単語」がそれらのタイトルである。

前者の2冊は他の単語帳と比べ、さほど大きなアドバンテージがあるとは思えないが、「最後の一冊」は別物。収録語彙がこの手の単語帳のレベルとしてはかなり高い。

例えば、Nの最初の語からいくつか連続で列挙してみると、naivete、nebulous、necromancy、nefarious、nemesis、neologism、neophyte となる。ターゲットなどの受験用の単語帳からすると、その上の、上の、上くらいに感じる。

同じセグメントに入りそうな単語帳として考えられるアルク社のキクタン12000よりもこちらの方が難しめ。日本人によって作られた上級者向けリスト型単語帳としては存在意義があるのかもしれない。しかし、需要はほとんどないのだろう。

所々に入るコラムのふぬけ具合とのミスマッチもいい感じで時代を感じさせる。例えば、以下のようなもの。

openを「オープン」、saleを「セール」とカタカナ表記するのは、「えいご」→「えーご」、「どうも」→「どーも」などと発音する傾向があるのと同じであろうか? でも、「まいご」は「まーご」とは言わないなあ!?

このレベルの単語集にこのレベルのコラムが普通に載っているというギャップが愉快だ。万人向けではないが個人的には説明しがたい愛着を感じるお気に入りの一冊である。


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Poppycock!

2008-12-29 23:20:04 | その他
若い頃にこの仕事を選んだ理由は、何かそこに新しい道が開けそうに感じたからだ。自分が学んだやり方とは全く異なる英語の学び方。それを模索したり構築したりする中で、自分らしさが成果として実を結ぶ仕事になりそうだという期待感があった。

当然、その前提として考えていたのは“オールイングリッシュ”の授業である。最初の10年はそのようなナイーブな想いを胸に試行錯誤を続けた。インプットの量が違うから“オールイングリッシュ”は最終的に必ず結果を伴うはずだと信じていた。

英語教育の研修はすべて英語で行われるのが当然だと考えていたし、英語の教員の集まりではたとえ日本人のみでも英語が使われてしかるべしと思っていた。(恥ずかしい話だが、達セミに初めて参加したときに違和感を覚えたのはそのせいだ)

しかし、経験を積み現実に目を向けてアンテナを伸ばせば伸ばすほど“オールイングリッシュ”への盲信は誤りだったという思いが強くなった。このブログでも当時の授業を「乱暴」だったと振り返っている。

問題の核心は「“オールイングリッシュ”の授業」が必ずしも「よい授業」ではないということ。外国語を学ぶ上で母国語による援助は全く無益だという確証はどこにもないはずだ。

今回の指導要領改訂案を見て最初に感じたのは、若いときの浅薄な自分を見ているような気恥ずかしさだ。現場と国の感覚の乖離やその間を結ぶ役割の機能不足、大方のマスコミのレベルの低い論調などに対する不満はその後のこと。

概ねの割合だけを言っても大して意味はなさそうだが、今の自分の授業スタイルは最初の1年半は英語約50%、受験の意識が強くなる後半の1年半は英語はほとんどない。まあ、それでも英語を使う割合の多い方だと目されていると思う。

しかし、今ごろ「英語の授業は英語で」って正面から言われてもね。「文科省ももうちょっと○○してください」って言う以外反応のしようがない。


注意:私の鼻血および入院と今回の指導要領改訂案は何の関係もありません。(^^;)


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メンタル・レキシコンと連想ゲーム

2008-12-20 17:02:47 | 語彙
私には3人の子供がいる。車で出かけたりするときに彼らが好むのはクイズ遊びである。例えば「動物クイズ」などと言って「鼻の長い動物はなんだ」と問いかければ「ゾウ」と答える。

2番目の子は4歳なのでこの程度の問題でも喜んで答えるのだが、上の子はさすがにもう少し難易度の高い問題を要求する。

そのときに、二つの方向性があって一つは答えさせる語自体の難易度を高くすること。例えば、「ゾウ」よりも「バク」や「カモノハシ」などの方が子供にとっては難しい言葉だろう。

もう一つは、ヒントを難しくする方法である。例えば「鼻が長い」といえば「ゾウ」以外にない。関連性が非常に高いのである。ところが、「灰色の動物」、「牙がある」などと言えば「ゾウ」に限らない。このような方法でじわじわとヒントを与えることにより想像力や連想力を鍛えることができるだろうと思っている。


いわゆるメンタル・レキシコンが単純に覚えた語の心的リスト以上のものである点の一つは、それぞれの語の間にネットワークが存在していることだろう。簡単に言えば連想ゲームで、その言葉と繋がる言葉として何が思い出されるかという関係である。

語彙ネットワークは、読解力にも深く関わっていることが容易に想像される。トピックやキーワードを掴んだりするだけでなく、文章の先にどのような語が出てどのような展開になりそうか、あるいは未知語の推測にも有効に利用できそうである。


授業のウォームアップとして英単語による連想ゲームはどうだろうか? いくつかの語を段階的に提示しそこから連想される単語を考えさせるのだ。

もちろん、「ゾウ」と「鼻」のように関連性が強すぎるものは面白くないので、問題を作る方にセンスが要求されるだろう。しかし、うまく作りさえすれば楽しく語彙を増やす活動としてレベルを問わず活用できる指導法ではないだろうか。


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漢字学習とWhole Language

2008-12-03 02:21:37 | リーディング
第二言語におけるリーディングでは、その熟達度が低いほど低次元の言語処理に必要なワーキングメモリの容量が増え、読了した内容の保持や先の予測などが困難になってくる。

しかしながら、母国語で読書をするときにも、読みの深みに個人差があることから分かるように、第二言語の熟達度が最高の域に達すれば、自動的に俯瞰的な読みや推測を働かせた読みが可能になる訳ではないであろう。

母国語におけるリーディングスキルがどの程度第二言語のリーディングスキルに反映されるのかはよく知らない。しかし、あらゆる知的な活動においてリーディング力が大きく物を言うことを考えれば、母国語で深い読みをしっかり体験しておくことは学力の養成において大きなカギとなると言えるだろう。

私には来春小学校に入学する娘がいる。先日、この娘が絵本を読んでいて、結構漢字が読めているのに驚いた。「鬼」なども読んでしまうのである。

別に親バカの娘自慢がしたいのではない。娘が「鬼」という漢字をそれと読むのにコンテキストや絵の情報を使って推測をしているということが言いたかったのだ。

幼い頃の読書の習慣が後の学力に与える影響について論じられることはよくあるだろう。その中でも知らない漢字の意味と読みを推測することは結構重要なのではないか。

このことを英語に当てはめてみるとちょっと面白い。アメリカではWhole Language vs. Phonicsといった論争がある(あった)が、情勢的には前者が不利なようだ。この論争は、例えば漢字を先に勉強してから本を読むのか、それとも本を読みながら漢字を習得していくのかという議論に似てはいないだろうかなどと考えたのであった。


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