ネット上の集団は変容しやすい。物理的な縛りがある現実の集団に比べて、大きくなったり小さくなったり、くっついたり離れたりするペースが速い。また、少なくとも表面的なことばの上で、ネット上では親密さや敵対関係は現実社会より激しい。
以上のような性質を踏まえてネットとつきあうことが大切なのは、分かっているようで分かっていないことなのかもしれない。たとえばネチケットということばは、メッセージを送る際の配慮をいうことが多く、メッセージを受け取る際の心構えに関しては、さほど意識されていないのではないだろうか。
ここまで論じてきたように、ネットに存在する社会は現実の社会とは異なり、人間関係の構築のしかた、コミュニケーションの取り方まで別のものだ。そこに現実社会のルールを求める方が無理があるのではないだろうか。
インターネットやコンピュータを論じるときに、仮想現実と現実社会をアジャストしきれないという話がよく出る。しかし、本当の問題は、仮想現実と現実社会ではなく、インターネット上に発生する準現実の社会と現実社会の齟齬によって起きているのではないか。
インターネットが知識・情報先行の文化の流れをより推し進め、人間同志の深い部分での繋がりを弱めつつ敵対関係を広げるとしたら、張りぼてのような文化の亡霊のみが膨張し、いずれ実体が蝕まれていくことにならないか危惧するのである。
以上のような性質を踏まえてネットとつきあうことが大切なのは、分かっているようで分かっていないことなのかもしれない。たとえばネチケットということばは、メッセージを送る際の配慮をいうことが多く、メッセージを受け取る際の心構えに関しては、さほど意識されていないのではないだろうか。
ここまで論じてきたように、ネットに存在する社会は現実の社会とは異なり、人間関係の構築のしかた、コミュニケーションの取り方まで別のものだ。そこに現実社会のルールを求める方が無理があるのではないだろうか。
インターネットやコンピュータを論じるときに、仮想現実と現実社会をアジャストしきれないという話がよく出る。しかし、本当の問題は、仮想現実と現実社会ではなく、インターネット上に発生する準現実の社会と現実社会の齟齬によって起きているのではないか。
インターネットが知識・情報先行の文化の流れをより推し進め、人間同志の深い部分での繋がりを弱めつつ敵対関係を広げるとしたら、張りぼてのような文化の亡霊のみが膨張し、いずれ実体が蝕まれていくことにならないか危惧するのである。