「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

夏休み前の授業から

2008-07-26 11:15:02 | 授業
勤務校では本日から夏休み。しかし、土曜の今日も課外はあり。

夏休み前の授業では進度をやや緩めて投げ込みの教材も使ってみた。短いパッセージを正確に読む類のもの。長い文を読むのはスピードや文脈の意識が高めやすいという利点がある。だが、それとは別に精密に読む訓練もしなければ思わぬところで足を掬われるだろう。

伝統的な手法で授業を流すことはせず、まずは個人でじっくり考えさせた後、グループワークで相互確認。こうすることで生徒は主体的に取り組むようになる。真剣に取り組まないと友人が迷惑するから。グループワークやペアワークをコミュニケーション活動に限定するのはもったいないことだ。

そんな中で多くの生徒が「足を掬われた」パッセージを一つ。

With clocks having become so accurate, do we know what time is? David Allen, of "the National Institute of Standards and Technology, believes that clocks are very limited devices. The past, he says does not exist except in our memory; nor the future, except in our expectations "The most a clock gives is the time an instant ago, not even the time now." (中央大学)

誤解が目立ったのは、what time isをwhat time it isと解したものとthe most a clock gives を「時計が与えるほとんどのこと」などと解したもの。特に後者のような文で「できるのはせいぜいこの程度」という否定的なニュアンスが感じられないとより大きな誤解につながりそうだ。

その一方で、意外かもしれないがnor以下は意味の推測が容易であるからか誤解は少なかった。生徒にとって本当に難しいのは、複雑な構文ではなく抽象的概念のinterpretationなのだろう。抽象的な題材を平易な言葉で綴った文、例えば年少者向けの哲学入門書などを読ませると良い訓練になるのかもしれない。

ストップウォッチと伝統

2008-07-25 04:41:45 | その他
現勤務校では3月の終わりに何人かの卒業生を招き、1・2年生に向けて自らの受験体験について話をしてもらっている。必死の思いで何かをやり遂げたという確固たるものに裏付けされているので、とてもインパクトがある良い話が聞ける。しかし、我々教える側が感じる以上に当の生徒たちには大きなエールになっているのだという話である。

昨日の放課後にある生徒が質問に来た。ひととおり質問に答えた後で勉強法などについて話しているときに、胸にストップウォッチを下げているのを発見。

昨今、英語の教員でストップウォッチを携帯している人は結構多いと思うが、生徒でこれを持ち歩いているものはそう多くないだろう。しかしながら、センター型の問題などでは時間配分や素早い作業が決定的に重要なのでとても良い心がけだと言える。

ところが、聞いてみるとストップウォッチの使い方が私の考えていたのとちょっと違うのだ。曰く、自習するたびに計時し、1日の終わりにその日の総学習時間を記録しているのだとか。毎日学習時間が目に見えて積もっていくのが励みになるのだ。クラスには同じことを実践している生徒が結構いるらしい。

実は、この方法は件の講演会で学習時間を確保するためのアドバイスとして、卒業生が後輩に紹介したものである。

よく我々は何時間勉強したかが重要なのではなくて、どんな勉強をしたかが重要なのだと言う。質の高い1時間の勉強は非効率な3時間の勉強よりも価値があると言ったりする。

しかし、現実には最初から質の高い勉強などできるものではない。沢山の量をこなすから少しずつ質の高い勉強の方法が分かってくるのだ。つまり、「量が質に変わる」のである。これも卒業生講演会の中で紹介された言葉である。

生徒たちはこういった先輩からのメッセージを我々が思う以上に敏感かつ真摯に受け止めそれを活かしている。そしてその中からまた次の後輩たちへと熱いメッセージを残すものが出てくるのだろう。校風とか伝統とかいうものはこんなところから生まれてくるのだ。

我々はともすれば自分が目の前の生徒に対し何ができるか、自分が指導することにより生徒に何を与えられるのかに囚われ、生徒が自身で高めあい伸びあう力を過小評価しているのではないか。教師が本当になすべき仕事(の少なくとも一つ)は、場面を作り仕掛けを敷いておいて、生徒が自ら伸びていく様を温かく見守っていくことなのだろうと感じる出来事であった。

尽きぬ悩み

2008-07-24 08:15:59 | その他
今日は夏休み前の最後の授業日。今年度前半を振り返ってみるが、なかなか突き抜けた感触はない。いつものことだが悩みは尽きない。それでも、少しずつ授業のあり方は変容し続けていて自分の中でマンネリの感覚はないことが唯一の救いか。

とりとめのない覚え書き。

・恐らく正解は一つではない。いろいろなアプローチがあってしかるべき。
・自分には待つというプロセスが徹底的にかけている。何のために、どんなタイミングで、どのくらい待つか知る必要がある。
・「待つ」ことは観察すること。
・心理学的側面を学び直すこと。
・指導における普遍的な真理といえるものを確立する。

なぜか、自分が高校3年の頃に担任をしていただいた生物のK先生に会いたくなった。この職についたときに一度ご挨拶の連絡をしたきりで、もう現場にも出ておられないようだが、夏休みの間に会いに行ってみようかと思っている。

書いてないことを読み取る力2(「リーディング授業より」その3)

2008-07-21 09:56:44 | 授業
コメントの欄にも書いたが、tensionにせよwhat happened or how the boys feel about it にせよ、実は生徒の反応はあまり良くない。授業評価で要望を書いてもらうと、「授業中に構文の分析をもっとやって欲しいという」記述が散見される。この辺の壁を越えないとこちらの意図も十分に伝わらないのであろう。

前回の書き込みのような質問を授業中に問いかけたときの反応例。
起こったこと → 転けて膝をすりむいた。
男の子がどう感じたか → 痛い、辛い。泣いて親の元にやってきたから。

本文の解釈がこの程度に留まっていては次に続くsend them back into the fightの、"the fight" が何のことだかさっぱり分からないはずだ。語彙レベルが高いとか背景知識が必要とか特殊な言い回しとかではなくて、英文の解釈が難しくなるのはこのようなケースだろうから、これを貴重な機会だと認識してしっかり考え思いを巡らせる訓練が必要だ。つまり、想像力も鍛えなければ育たないのだ。

当然のことながら、正しい解釈は、
起こったこと → ケンカで相手にやられた。
男の子がどう感じたか → 親に慰めて欲しい。

こう考えることによって、男の子に「強さ」と「平静さ」を求める親の姿勢がより鮮明になる。蛇足ながら、Mommy (Daddy) はmom (dad) の幼児語であり、(   ) に入るのは当然 girl である。

授業ではこれらに加え例によって受験には直接役に立たないであろう関連語の紹介。しかし、今回のsissyはちょっと悪のりがすぎたかもしれない。

書いてないことを読み取る力(「リーディング授業より」その2)

2008-07-20 05:40:20 | 授業
受験英語の範疇では様々な暗黙の了解が存在するようだ。その一つは「いわゆる長文問題の問いに日本語で答える場合になるべく本文中の表現を訳した形で答えよ」というもの。

不要な失点を抑えるためにはそのように教えることも必要なのだろうが、次の文章に対して以下のような問いかけをするのはどうだろうか。

1) [   ]内の記述に関して何が起こって、男の子はどう感じたと考えるのが妥当か。
2) "mom"と"Mommy"、あるいは"dad"と"Daddy"の間にどのようなニュアンスの違いがあると考えられるか。
3) (    )にはどのような言葉を入れるのが適当か。

 Contradictions and confusions about masculinity are abundant in our culture, the experts agree. For example, we remove toy guns and tell little boys they must not embrace violence. Then we watch them use twigs, rulers and pencils as weapon replacements. “Boys will be boys,” we say to each other, unsure what to do next.
 Parents and teachers shame boys into following the old and now useless idea of masculinity. Boys are taught not to cry, to hide their emotions and their hurts, and to stand on their own two feet ― to be strong and silent and tough.
 Thousands of tiny incidents occur every day, without parents ever realizing what they are doing. When little boys scrape their knees and come to their parents crying, for example, moms and dads tend to brush off the dirt and send them back into the fight without discussing [ what happened or how the boys feel about it ]. “Big boys don't cry,” or the ever popular “You're crying just like a (     )” are common phrases used by parents to get boys to be “manly.” Little girls with scraped knees are usually encouraged to linger for a while, to “tell Mommy (or Daddy) what happened.” Early in life, many boys stop trying to express their feelings and emotions.

(2002年度の 東京都立大(現首都大東京)の長文素材です)

リーディング授業より

2008-07-19 07:37:18 | 授業
以前にも書いたように、想像力を使って読むことを重視している。そして、その力を鍛えるためにはそれなりの教材が必要だとも述べた。しかしながら、学校で教えるときは常にチームプレーであり、教材を自由に選ぶことは出来ない。それでも、いわゆる普通の教材を使うときも、読解に想像力を活かすための指導の工夫はできる。

よくある手では、
「先に何が書かれているか論理的に推測しながら読むこと」
「未知語が出てきたら前後関係から意味を推測すること」
「文章がどのように構成されているかに注意を払うこと」
などがあるがさらに、
「既知語が未知の意味で使われている可能性を論理性の矛盾を検証して確認すること」
なども大切だ。授業で面白い例に出会したので紹介したい。本文の一部は省略してある。

……… , the Japanese, at least since the Meiji period, always seem to have been thinking about their identity. Is Japan part of the West or part of Asia? Is Japan a backward country, a modern country or a post-modern country? Is modernisation the same as Westernisation? Should the Japanese stay true to their traditions or should they aim to invent a new kind of society? At the heart of these worries, I think, we find an interesting tension. On the one hand, the Japanese have been very anxious to 'catch up' with the wealthier countries of Europe and the United States. This has stimulated an immense interest in all aspects of those countries and a determined effort on the part of the Japanese to master and absorb the cultures of those countries. This is obviously true in the areas of science, industry, technology, medicine and scholarship, but it has also been the case in music, literature, art, fashion and other purely cultural fields.
 On the other hand, at the same time they have been struggling to absorb and keep up-to-date with European and American culture, the Japanese have been very anxious to insist upon their difference from the West. ……

2002年の宮崎大学の入試から。筆者の言う"an interesting tension"について本文に沿って説明せよという問題である。これに対する某社の解答例を引く。
  「西洋文明を吸収し列強に追いつけという方向と、日本らしさを守れという相反する方向が緊張関係にあった」
また、該当箇所を含む一文を、別の社の訳例で見てみる。
  「これらの悩みの中心には、ある興味深い緊張を見いだせると思う」
どちらもtensionを「緊張」と訳出している。

大辞林で「緊張」を調べると、
1 心やからだが引き締まること。慣れない物事などに直面して、心が張りつめてからだがかたくなること。「―をほぐす」「―した面もち」
2 相互の関係が悪くなり、争いの起こりそうな状態であること。「―が高まる」「―する国際情勢」
3 生理学で、筋肉や腱(けん)が一定の収縮状態を持続していること。
4 心理学で、ある行動への準備や、これから起こる現象・状況などを待ち受ける心の状態。

解答例でいう「緊張」とはいったいどの範疇にはいるのか。一番近いのは2だろうが、もしそう捉えるなら、日本の社会の中で西洋化を志向する者と保守的な者の間で争いが起こりそうだったという解釈になってしまう。

ところが、Oxford Advanced Learner's Dictionaryでtensionを調べてみると、
"a relationship between ideas or qualities with conflicting demands or implications" とある。
さらに、Longmanでは、"a situation in which different needs, forces or influences pull in different directions and make the situation difficult"とある。

本文中のtensionはこれらの英英辞典の定義の意味で使われており、本文に沿って日本語訳を与えるとすれば、「互いに矛盾する二つの思い」、「二つの対立的な感情」などといった言葉が考えられる。

tensionという言葉が持つ「対立的なニュアンス」をこの文章から感じとるのは難しいことではない。an interesting tensionに続くon the one hand …の部分と、on the other hand 以下の関係を見れば明らかだ。さらに、この文章の後半でも、日本人は近代以降、西洋へのあこがれと独自の文化を保持したいという気持の両方を持ちつつここまできたのだと締めくくられるのである。

「緊張」という言葉を用いた2つの出版社を批判しているわけではない。突き詰めて聞けば、おそらく久保野先生がよくお話しになる東大の「眉毛をつり上げて」に関する予備校の回答と同じような説明を受けることになるのだろうと思う。

私が指摘したいのは、tension =「緊張」といった思いこみが足枷となり、作者の主張する論点がぼやけ読解が深まらない危険性があるのではないかということだ。逆に「対立」という言葉を意識して、後半を読めば作者が何を言いたいのかすっと理解できる。(興味のある方は宮崎大学の問題を御覧ください)

本当に問題にしなければならないのは、我々教える側が、tensionに「緊張」以外の訳を許容する柔軟さがあるかどうかだ。

授業はambivalentという言葉を紹介して締め。要するに、どんな場合においても異文化に接触する際には程度の差こそあれアンビバレンスは不可避なのだ。スターウォーズがお好きな方にはおそらく納得してもらえるのではないだろうか。



中嶋洋一先生ワークショップ

2008-07-14 23:51:51 | 研修
先週末は中嶋洋一先生のワークショップで関大へ。もう毎度おなじみといった感じのe-LINKの企画である。

今回は何かを新たに掴んだというよりも、自分の信念が強化されたような感覚を得ることが多かった。自分が最近やっと気づき始めたことを、ずっと昔から当然のこととして実践されていて恥ずかしくさえあった。また、これまでに人と話したり書物を読んだりして学んだことを思い出させていただく場面も多かった。

たとえばレジュメの表紙の言葉の中から
「ていねいに準備されていたり、便利だったりすると、人は依存するようになる。自分で考えなくなる。本当に力がつくのは、逆境におかれた(負荷がかかる)とき。」

「知識は本から、知恵は生活から作られる。」
「知恵は、異質なものを組み合わせる力である。」
「問題を作りなさい」というのは、知恵を育てる質問である。

生徒に問題を作らせることの有用性については、ライティングの指導で有名な松井孝志先生に教えていただいていた。内容理解をオールイングリッシュで行うとき、普通は指導者がどのような質問を用意しているかが授業の運営のカギになるのだが、松井先生はそこを生徒にさせることによって学習が深まることを仰っていたのだ。

相手に伝えるために「言葉」の役割は7%、視覚からの情報や声の調子で90%以上がすでに決まるというお話の場面では、灘の木村先生のこと。それに谷口先生が最近よく薦めておられるランディ・パウシュの最後の授業の様子を思い出した。

当たり前のことだが、言葉で伝える前に、まず自分の姿勢で示さなければ教育はうまくいくはずがないのだ。中嶋先生によれば、管先生は授業の前に自分の顔を鏡でチェックするそうだが、確かにネクタイを締めて授業をすることの大切さは管先生に教えていただいた。

また、中嶋先生はグループ活動の中に意図的に広く曖昧なテーマで意見交換をするような場面を作られた。参加者からもっと的確な指示が欲しいという要求をわざと引き出して、課題への主体的な取り組みができているか省みる機会を作るためだ。

まったく同じことを斉藤英二先生が記事に書いておられたのを思い出す。(ちなみに、会場には当の斉藤先生のほか、立命館の山岡先生や京都教育大の泉先生のお姿もありました。斉藤先生と山岡先生とはワークショップ中にちょっとですがお話もでき幸運でした)

また、質問力についてグループで意見交換する場面では、組合の研修会で発表を聞かせていただいたS先生の「泣いた赤鬼」の実践事例を思い出した。これについては会全体に向けての簡単なレポートまでさせていただいた。

こうしてみると本当に沢山の方々からいろいろなことを学ばせていただいているものである。

10年ひと昔

2008-07-06 10:24:41 | 研修
今週末は広島で「ゆかいな仲間たち」がある。2日とも参加するつもりでホテルを予約していたが、仕事に追われやむなく断念。いつも情報を流して頂いているY先生は今回も連日参加されているのだろうか。

振り返ってみれば、自分がこの種の研修会に参加するようになったのは、ちょうど10年前だ。当時の達セミではまだ長先生が講演をされていた。

そのころの自分は、英語を使って授業をすることと、そのための英語力を磨くことしか考えていなかった。直接法の授業はインプットの量がまるで違うので、これより優れた方法はありえないとナイーブに信じていたのだ。今思えばずいぶん乱暴な授業をしていた。

研修会への参加によって、音読やシャドーイングなどの手法に出会い、徐々に授業スタイルを変化させた。今でも内容理解に関する活動の多くは英語で行うが、授業の中心はむしろ各種の音読である。

ところが、最近はこういった手法に頼りすぎた授業では、インテイクの効率化は期待できるものの真の読解力には繋がらないのではと考えるようになっている。今の関心事は音読よりも精読。もっと言えば精読を促すための教材選びと発問の工夫である。

姿形は違うかもしれないが、この変化を大まかな枠組みの中で見れば、内容→形式→内容と考えられないこともない。昔から英語教育の流行・変遷を振り子に喩えることはよく行われているが、確かに自分の中でも10年の時間を経て今振り子は揺り戻しの方向へと向かっているようだ。

リデュース、リユース、リサイクル

2008-07-05 11:16:40 | その他
「リデュース、リユース、リサイクル」、消費生活の見直しと環境保護を訴える標語だ。日本語でも広く浸透している。しかし、よく調べてみると人によって解釈が微妙に違っていることが分かる。

環境問題は人類の存亡に関わる重要な問題なのに、こんな標語一つとってもその後ろに政治的な思惑が見え隠れするのはどうなのか。

以下は経済産業省とカナダのグリーン・ピースのサイトからの引用です。ただし、私は諸外国に比べ日本はだめだと言うつもりは全くありません。欧米諸国においても政府筋は日本の経済産業省と見解を同じくするところがたくさんあります。

経済産業省
3Rとは環境と経済が両立した循環型社会を作っていくためのキーワードです。
リデュース=廃棄物の発生抑制、
リユース=再使用、
リサイクル=再資源化
http://www.meti.go.jp/policy/recycle/index.html

グリーンピース(カナダ)
Reduce
Really, the best thing that we can do for the planet is to use less of it. At the heart of the environmental crisis is our consumer society. Here are a few questions you can ask before you buy: Do I, or the other person I am buying this for, really need this? Is there another product that would do the same thing but more sustainably? Will this last a long time? Do I know how this item was made, how it will be used and how it will be disposed of? Where was this made and under what circumstances? Are the materials used to make this renewable and have they been harvested in a sustainable manner?

Reuse
Regrettably, because we live in a "disposable society," we are encouraged to buy a new "improved" item even if the one we have can be repaired. When we buy, we should buy items that are durable, and we should maintain them and have them repaired when necessary. If we do this, many things can not only last a lifetime, but can be passed along from generation to generation. If something is truly unusable for its original purpose, try to be creative and think of how else it might be used. When you are done with it, think if someone else might be able to use it.

Recycle
Rather than throwing an item out when neither you nor anyone else can make use of it, have it recycled. And while recycling is not perfect — it requires energy and the process of changing something into something else often produces by-products — it is better than sending goods to the landfill or having them incinerated. Find out what types of materials can be recycled in your area. Clean and sort the materials before putting them out on the curb as often collectors will not pick up recycling that is mixed or contains non-recyclables.

http://www.greenpeace.org/canada/en/take-action/greentips/reduce-reuse-recycle