「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

アリとキリギリス

2010-08-03 21:19:18 | その他
3才年下の妹は生まれつきの聴覚障害を持っていた。
それがはっきりと分かってからしばらくの間、
母は何とか治療の方法はないかと
幼い私と妹を連れて方々の医師を訪ねあるいた。
帰り道の母の顔はいつも険しかった。

父は遠洋漁業に出てほとんどいつも留守。
母は心細い想いをしていたはずだ。
中国へ行って特殊な針治療を受けさせることまで考えた。
が、それを実行に移す前に辛い現実を受け止めた。

それは妹にとって苦しい日々のはじまりでもあった。
音のない世界に住む3才の妹に母はことばを教えはじめた。

耳の聞こえない子供にことばの存在を悟らせことばを発させる。
母にとっても妹にとってもどれだけ大変で忍耐のいることか。
加えて妹はあらゆる面において発達が遅かった。
このころの妹はいつも泣いていた。

ことばが出るようになっても妹の辛い日々は続いた。
中学卒業まで過ごした聾学校での生活は、妹にとっては楽ではなかった。
算数も国語も体育も、何をやってもうまくいかず、しかも時間がかかった。
妹は同じ聴覚障害者の級友にも遅れをとっていたのだ。

しかし、妹は耐えた。
時間はかかっても、少しずつ、少しずつ妹なりの進歩をしていった。
計画的に、丁寧に、我慢強く努力を続けた。

そして、妹は大きなごほうびを手にした。
私立の女子高校に入学を許可されたのだ。
あの妹が健常者と共に机を並べて学ぶことを許されたということに周りは驚いた。
成績はよくなかったが、妹のがんばりや素直さが認められたのだと思う。

その後の日々は妹にとって比較的幸せだった。
もちろん、高校生活も、職業訓練校でも、職場でも辛いことは沢山あっただろう。
でも、高校入学前とは大きく違っていたはずだ。
自分の力で生きていけるという自信がついていたのだから。

妹がもう一つごほうびを手に入れたのは15年前のことだった。
妹は当時の同僚との恋愛の末に結ばれた。
妹のつれあいは非常に能力の高い聴覚障害者で自信と行動力に満ちていた。
この優しく誠実な若者のおかげで妹の人生に彩りがもたらされた。
・・・・・・・・・・。

妹と私はアリとキリギリスのようだとよく思う。
妹はコツコツと努力して一歩一歩幸せに近づいていった。
友や家族を大事にし、皆に愛された。
一方、私は、がさつで、気まぐれで、根気がなく、自分勝手だ。
自分に対して決してよい兄ではなかった私を、妹はいつも慕ってくれた。

しかし、現実はおとぎ話の筋書きのようにはいかない。
この世の神様は、ときに、理不尽なほど残酷な結末を用意する。
妹の最大の望みは、元気な子を産んで幸せな家庭を築くことだった。
手を尽くしたが、このささやかな夢が叶えられることは、結局なかった。
二年前に不治の病に冒された妹は、先週末帰らぬ人となってしまった。


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