「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

INPUT - INTAKE - OUTPUT その3

2010-09-15 12:56:57 | その他
90年代後半、私は「英語で授業」に傾倒していた。思い出せば笑ってしまうが、文法を英語で教えたらイマージョンもどきにならないかと考えていた時期さえあった。

教科書の内容を英語で確認する手順は、徐々にではあったが確実に進歩もあった。パラグラフごとに聴解+黙読をしたあとに行うこと、教科書科書を伏せさせて説明でなくインタラクションによって行うこと、絵やカードを活用すること、新出語句をフラッシュカードで定着させてから内容確認に入ることなど、小さなバージョンアップを積み重ねた。

しかし、Input重視の授業にはやはり限界があった。目に見える形での成果がなかなか現れない。定期テスト、実力テストの成績も芳しくない。生徒の中には英語による授業に強い拒否反応を示すものもいる。

おそらく、オールイングリッシュの授業を展開する指導者には、程度の差はあれ同様の問題があっただろうと思われる。これは、私と私の同僚に限ったことではない。校長からオールイングリッシュの授業を止めなさいという「指導」を受けたという話はざらにあったから。

考えてみれば滑稽な話だ。中央研修での「英語で授業をしないのは実力がないからだ」という言葉に挑発されて、もとい、奮い立たされて、それに応えるべく英語で授業をしたはずなのに、その研修に送り出した側からお叱りを受けるとは。

生徒の不満は親に伝わり、親が改善を求めるのは極めて自然なことだろうから、校長の言い分も分からぬではない。

ただ、一つ言えることは、オールイングリッシュで授業を運営することは、極めて大きな変化であり、それが受け入れられ、定着し、改善され、効果が上がるまでには相当な時間と労力(とお金)が(教える方にも学ぶ方にも)かかるということだろう。その覚悟は現在のオールイングリッシュ論の中にあるだろうか。

話がそれたので、元に戻す。

多くの実践者は、オールイングリッシュによる英語シャワーは、少なくともそれだけでは上手くいかないという実感を持つようになった。そして、新たな救いを求めるようになった。

時を同じくして、クラッシェンに対する批判も多くなった。スウェインのOutput仮説も裏返せば、クラッシェンの言うとおりには行かないよということだ。

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「第3回山口県英語教育フォーラム」

今こそ、豊かな「ことば」の生きる教室を求めて ~ ことばへの気づき、学びへの気づき

・開催日時:2010年10月23日(土) 
10時00分から17時30分頃 (受付開始 9時30分~)

・開催場所:パルトピアやまぐち(財団法人 防長青年館)

・所在地:山口市神田町1-80(TEL:083-923-6088)

・主催: 長州英語指導研究会

・協賛: 山口県鴻城高等学校、ベネッセコーポレーション

主な内容:

I.柳瀬和明 先生   ご講演 (10:10-12:00)
初級から中級への「壁」を考える ─ 話題の「広がり」と「深み」という視点から
II.大津由紀雄 先生  ご講演 (13:00-14:50)
「母語起着点、ことばへの気づき経由、外国語周遊券」のお勧め
III. 加藤京子 先生   ご講演 (15:10-17:00)
「言葉として英語を教える」- 中学英語と侮るなかれ -


今年こそ、皆様にお会いできるのを楽しみにしております。



INPUT - INTAKE - OUTPUT その2

2010-09-14 18:21:42 | その他
前回の話をまとめてみる。私の理解するInputとは、もともとクラッシェンの言葉である。Inputとは何とか理解できるレベルの英語でありクラッシェンの考えによれば英語力の「素」である。90年代の私の同僚の中にはクラッシェンの影響を受けオールイングリッシュで授業をする方が複数名いた。

さて、私はというと何度か試してみたが、どうもオールイングリッシュは上手くいかなかった。授業の運営の仕方もそうだが、英語力自体(今以上に)お粗末だったので、何とかそれを付けようと藻掻いていたのもこのころだった。

やがて、英語で進めるべき局面(内容に関する局面)と日本語で進めるべき局面(形式に関する局面)があることが分かってきた。その結果、オールイングリッシュではなくなったものの、授業にメリハリは出てきた。

そうこうするうちに、校長から海外研修の話をいただいた。そして、事前研修に出かけたときに初めてお目にかかったのが当時の教科調査官である新里眞男先生である。新里先生は事前研修でかなりクラッシェンの話をされた。それまで断片的だった知識が一つの大きな体系的なものになったと感じた。

余談ながら事前研修参加者のうちかなりの片が筑波研修の経験者のようだった。海外研修と筑波研修は連動する場合が多く、筑波研修を経てから海外研修へという流れがあったからだ。参加者の多くは(そして教科調査官も)すでに顔見知りといった感じで、筑波に縁がなかった自分は肩身が狭かった。

自分にとって筑波(英語)研修は未だにその大部分が謎のままだ。人伝えに聞いて唯一印象に残っているのは、「英語で授業をしないものは英語で授業をする力がないだけだ。悔しかったら英語で授業をしてみろ」という叱咤なのか挑発なのか分からないような言葉をかけられたらしいということだけである。誰が講師でどんな内容だったのか、詳しく知りたいものだ。

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INPUT - INTAKE - OUTPUT その1

2010-09-13 17:17:36 | その他
音読の流行とともに、「Input - Intake - Output」と言う表現はこの業界で一番のバズワードになった感がある。「文法」、「タスク」、「コミュニカティブ・アプローチ」などの用語と同じく、意味・解釈は使う人によって微妙に異なり、これが誤解のもとになる。

たとえば、「コミュニカティブ・アプローチ」という言葉は専門的にも欧州評議会によるいわゆる狭義のコミュニカティブ・アプローチと、コミュニケーションを通じた指導法という広義のコミュニカティブ・アプローチというかなりニュアンスの異なる別の枠で使われる。しかも、それだけでは済まずに、定型会話のドリル型ペアワークをコミュニカティブ・アプローチだと考えている人もいるという具合だ。

「Input - Intake - Output」には、それなりの歴史があるので、それを踏まえて考えると、逆に何か新しいものも見えてくるかもしれない。私の認識もかなり怪しいのだが、過去20年くらいの高校英語教育の現場で(少なくとも私のまわりで)起こったことの俯瞰にも繋がるのだろうということで、今回からシリーズの記事にまとめてみることにする。

そもそものはじまりは、クラッシェンのインプット仮説だ。クラッシェンは言語は学習でなく習得により獲得されるとし意識的な学習を否定した。(もちろん、その下地はチョムスキーの普遍文法である)

クラッシェンは、現有言語力をほんのちょっとだけ超えるレベルの目標言語素材を大量に与えることにより言語力を伸ばすことができると考えた。これがいわゆる「i+1」(理解可能なインプット)であり、ヴィゴツキー的に言えば「発達の最近接領域」である。

クラッシェンが重視したのは、「意味を理解する経験をたくさん積むこと」であり、それさえ続ければ、ある時点において自然に発話が始まると考えていた。赤ん坊の言語習得と同じ過程である。だから、クラッシェン(+ティレル)の提唱した教授法はナチュラル・アプローチと呼ばれる。「多読」も基本的にはこの考えをもとにしている。

今はある程度の距離を置いて言及されることが多いのだろうが、少なくともある時期、クラッシェンは非常に大きな存在であり広範囲に影響を及ぼした。

私がクラッシェンに傾倒していたのは、95年~00年くらいの間である。2校目の高校へ転勤した当時で、同僚のうち約半数がいわゆるオールイングリッシュの授業を展開していた。当時、クラッシェンの考え方に基づき、英語で授業を進めること(当時流行していた言葉で言えば英語のシャワー)が、英語力獲得のための最良の方法だと考えられていたためである。そして、実はそれらの同僚をオールイングリッシュの授業へと方向転換させたきっかけになったのは、当時の文部省による英語教員のための中央研修なのである。

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JR追記

2010-09-06 16:49:48 | その他
ブラウン先生のときにも話題に上がったが、日本の学生が語彙を学ぶときの順とBNCなどのコーパスによる頻度別のリストの間には無視できない差がある。日本の学生は(少なくともこれまでは)中学から英語を学ぶので、精神の発達段階を考慮して抽象論的な文を教材にするケースが多いということと、大学入試の影響が大きいのだろう。

約15年前にオーストラリアの語学研修所に短期留学した際に、ネイティブスピーカーの児童による作文を分析し、そこで使われる語彙から何か示唆は得られないかということを研究テーマに考えていたことを思い出した。以下はその時のリストの一部。

9 year old female:  scurry / odds and ends / guardian angel
9 year old male:  blurry / infection / belch / barf
10 year old female:  fluff-covered / wiggle / blast / nerdy / enchant / mound / hideous / creepy / shriek out of horror / mess / have a crush on / a chill run up my spine
11 year old female:  limo / It dawned on me that / anonymous / flaw
12 year old male:  coffin / commemorate
12 year old female:  cliff / splat

そう言えば何年か前、投野先生の講演で日本の学習者が書いた作文の分析についてのお話を聞いた。子供のネイティブ・スピーカーによる表現から学ぶべき語彙を探るというのも発想としては面白いと思うのだがいかがだろうか。

最近のことその他:1)駅の近くの紀伊国屋に寄ったついでに安木先生の音読の本を購入。
2)今年の県の準公式研究会は金谷先生らしい。

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JR

2010-09-06 07:08:35 | 研修
先週末は予定どおり福岡へ。今回はAuckland大のJohn Read先生による語彙テスティングを主とする講演である。会場の福岡女学院大天神キャンパスはテンプル大が引き上げてもう行くことはないかと思ったが、福岡JALTがそのまま単独で借りているようだ。韓国、日本の両テスティング学会に呼ばれ、その合間で今回の講演となったとのこと。

内容的には広さではなく深さをいかに測定するかということで、コロケーションとか連想を使って解答する問題の例がいくつか披露された。私自身がテスティングの深いところにはあまり関心がないので、テストデザインの話はそこそこの理解度。というより、英語でのパワーポイント発表の場合にハンドアウトがないとどうしても記憶は断片的になる。

前回のブラウン先生(明学)のときにも感じたのだが、このカテゴリーはポール・ネーションの影響力があまりにも大きすぎて、彼の考え方との違いから話を膨らませなければどうにも収まらないようだ。その意味でネーションの主張をしっかりまとめて理解しておくのは最低限必要だった。

今回、「おっ」と思ったのは、ネーションによるVLTのレベルと(おそらく語彙強化に有効な)学習法の一覧のスライド。詳細な説明があったわけではないので誤解もあるかもしれないが、それによると接尾辞、接頭辞、ルートなどを利用した学習法は10,000語レベル。たしかに、あまり早いうちからこれに頼りすぎるのは混乱を引き起こす可能性もあるかもしれない。

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