「志」の英語教育

英語教育実践について日々の雑感を語ります。

授業手順

2008-05-31 11:51:35 | 授業
前回、訳に関する授業手順について述べたので、その他についても纏めておきたい。

まず、ハンドアウトについて。予習用と授業用の2種類の教材を用意している。どちらもB4横書きで裏表印刷。予習ハンドアウトはチャンクごとに全文を訳す課題に加えて、文法・語法、内容的なポイントを確認させる課題。

授業用ハンドアウトは表が左に全文、右にはパラグラフごとの概要を日本語でまとめたもの。ところどころ穴が抜いてある。裏面は左半分に穴埋め音読用に穴が開いた全文。右半分は重要な表現をチャンクで抜き出したものとその日本語訳。真ん中で仕切って左に英語、右に日本語が載っている。

最初の活動はリスニング+黙読による概要把握。授業ハンドアウト表面を用いて。パラグラフごとにCDを流し、穴を適語で埋め概要を完成。

次は予習ハンドアウトの文法・語法、内容的ポイントの確認など。内容的なポイントの確認では「書かれていないことを読む力」を問う発問をいつも探している。

続いて、授業用ハンドアウト裏面左の重要表現集を音読。音読は1つの表現につき2回ずつ読んで1ラウンド、2ラウンド目は日本語訳のみを見て指導者の発音に続いて2回読み、3ラウンド目はペアワークで日本語→英語というもの。

このあとに例の和訳自己添削が入り、その後は時間の許す限り音読三昧。当然のことながら音読はRead & Look upやスピード・リーディング、オーバーラッピング、シャドーイング、穴埋め音読など手を変え品を変えて飽きないように。その他には金谷先生のLSDなどをやることも。

時間が十分にないのでかなり端折った手順になるが、それでも生徒の多くがよくこちらの意図を理解してくれていると思う。音読をしたいのだが人の邪魔にならずに音読できる場所が学校にはないだろうかという相談を試験週間に受けたときには感心した。

当たり前のことを当たり前にしない

2008-05-31 10:45:14 | 授業
これを言うと意外だという反応を受けることが多いのだが、授業の予習として全訳を課している。ただし、授業の流れはいわゆる訳読式ではない。

あらかじめ全文をチャンクで切ったものを縦に並べ、その右に訳が書き込めるような予習ハンドアウトを渡している。いわゆるコラムナー・リーディングに近いが、センタリングするスペースの余裕はないのでコラムナーもどきである。当然、前から訳す方式になり、「よい」と認める「訳」の範囲も大きい。

これを課すことによる狙いはいくつかある。一つは辞書を使う腕前を上げること。B社の調査では、いわゆる偏差値の高い子は辞書の使い方が上手いというデータがはっきりと出ている。全文訳を課すと辞書を引く回数は当然上がる。それにより検索スピードや辞書を効果的に使う能力を上げることを目論んでいる。

もう一つは初見の英文に強くなること。斉藤栄二先生は訳の負担を減らし、浮いた時間や労力を音読や暗写などに回してインテイクの効率化を図る手法をよく提唱しておられるが、この方法だけでは初見の英文に対する対処力はあがらないというのが今の私の考え方。もっとも、斉藤先生もそのあたりは十分ご承知で、各校の実情にあわせてアレンジして使ってくださいと仰っている。

さらに、全文訳を頻繁に行うことによって作業スピードが上がることも期待している。予習ハンドアウトは私がやっても30分近くかかる。生徒は辞書を引きながら、止まって考えながらなのでそれ以上かかるだろう。他教科の予習・復習などもあるので英語にやたら時間をかけるわけにもいかない。当然、スピードを意識した学習ができることになる。

授業では予習ができている子にのみに私の訳例を渡して自己添削。机間巡視して一人一人に手渡ししているが、配布にかかる時間も2,3分でたいした労力ではない。約15分で生徒は自己添削を終え、そのあとに訳例はすべて回収し手元に残らないようにしている。訳にかける時間は長くても20分くらいである。

いわゆる訳読式授業の一番の問題点は訳そのものではないのではと考える。良くないのは、一人の生徒を指名し訳を言わせて、訂正し、解説するといった授業スタイルだ。指名された生徒はそのときは密度の濃い学習ができようが、それ以外の生徒が効率的に学んでいるという保証はない。しかも、予習をしていなくても運良く(悪く?)指名されなければ、なんのお咎めもなく授業時間をやり過ごせるのである。

生徒の力を考慮してできそうな問題をできそうな子に与えるというのはある意味最低ではないか。指名して答えさせ、訂正・評価して解説を加えるといった当たり前の授業手順にこそ落とし穴があるのではないだろうか。

喪失

2008-05-28 06:25:02 | その他
前任校の同僚であったY先生が亡くなったという連絡が入った。まだ40代半ばのはず。まさに寝耳に水である。病気で休んでおられることは聞き知っていたが、そんなに悪かったとは・・・。

5歳年上のY先生には、仕事から遊びまで本当にいろいろなことを教わった。前任校に着任した当時まだ若かった私はY先生の担任するクラスの副担任となり、そのときに仕事に対する姿勢において決定的な影響を受けた。私の生徒指導観、進路指導観は基本的にY先生から学んだものだ。

遊びにもよく誘っていただき、スキーの手ほどきを受けたり、お宅で食事をごちそうになったこともあった。結婚式にも来ていただいた。今の勤務校はY先生の母校でもあり、そのうちまた一緒に働けるだろうと思っていた。

まだこの事実を冷静に受け止めることができない。

木村達哉先生の英語教師塾

2008-05-26 18:50:43 | 研修
先週末は灘高校キムタツこと木村達哉先生の勉強会に参加。午前中のうちに福岡入りし12:30からベネッセのオフィスで文法(比較)の授業を参加者が順番に見せ合った。私はオブザーバーとしての参加で授業はなし。

授業は大まかに説明系と定着活動系に分けられたような気がする。授業をされた先生方は元気いっぱいで熱気がすごい。木村先生は指導者の姿勢や視線、動きなどについて細かく助言されていた。

どの授業も創意工夫に富み大変魅力的。人の授業を見学させていただくのは本当にありがたいことだ。とくに、年齢が上がり経験が増えると余計なプレッシャーを人に与えるようで簡単には授業を見せてくれと頼み辛くなる。(それでもよく同僚の授業を見せてもらってますが)

研究会の締めは木村先生の授業。木村先生は前半に説明、後半に定着活動の2本立て。説明の切れは抜群で定着活動も大いに参考になった。特にターゲットセンテンスの暗唱と定着のための活動はよかった。表面的な厳しさ以上に効率を上げるための細かい配慮が感じられる。

この会に参加して特に感じたことが二つある。一つはもっと授業の基礎となる部分に注意を払うべきではないかということ。もう一つは年上の教師から若い教師に教えるという文化を喪失させてはならないということだ。

英語教育の研修会に参加すると、ハンドアウトの工夫や音読のバリエーション、タスクやコミュニケーション活動のバリエーションが紹介されることが多い。しかし、英語教育だけでなくどの授業にも共通するよい授業の土台になる技術を学び直す機会は意外と少ないのではないか。その意味では他教科の先生から学べることも多いはずだ。

もう一つの点については教員集団の年齢構成にも関係する。一昔前であれば大学卒業してすぐに正規の教員として採用されるケースが多かった。しかも、一度にたくさんの新採教師が着任することも少なくなかった。

今は採用数も少なく大学出たてでいきなり本採用になることは多くないようだ。だから、私たちの世代はいつまでたっても半分若手のような扱いを受けるし、中堅として若手を育てなければならない立場におかれるケースもそう多くはない。

そのような状況の下、教員間で若手を育てるという文化が失われつつあるのであれば、今回のように優秀な先輩教員から直接教えていただける機会というのは本当に貴重である。

主催者の木村先生はいまやこの業界ではスーパースターの一人だが、気取ったところがなくとても気さくな方であった。何よりも教育に対する強い強い思いが高密度の固まりで伝わってくる。本当にすごい人のオーラは人を圧倒するエネルギーを持つが、木村先生から感じた「気」はまさにそんな力を感じさせるものだった。私は努めて研修の機会を求め、数知れず勉強会に参加しているが、今回ほど元気をもらった勉強会はない。

木村先生、全国から集まられたやる気に満ちあふれた先生方、このたびの出会いに感謝いたします。ありがとうございました。

思いっきりプレジャリズムじゃ!

2008-05-22 06:09:02 | 研修
ふと思いついて関西大学S先生のテスティングに関する定番の本を久しぶりに開けてみた。例の考査問題の宿題作成時には敢えて見ないようにしていたのである。なんと、今回提出した問題形式のほとんどが載っているではないか! しかも、各問題の頭には私の提出分と全く同じく「パタンX」などと書かれている・・・(泣)

自分としては超有名な穴なし穴埋めと矛盾指摘以外は「パクッた」つもりはなかったのに、結果的にほとんどの問題形式がかぶっていた。単なる偶然というよりは潜在的記憶として頭に残っていたものだろうが、プレジャリズムって意外とこんなところから発生しているのかもしれない。

S先生、研究会参加者の皆さん、それから研究会主催者のK先生、悪気はありませんでした。ごめんなさい。

英語テストでスカベンジャ・ハント

2008-05-20 19:34:53 | テスト
前回に触れた勉強会の宿題について、参加者各々が提出したものをまとめたファイルが届いた。発音やアクセント、代名詞が指すもの、並べ替え、下線部訳など比較的オーソドックスなものが多いようだ。

そんな中で、案の定テスティングで有名な関西大学S先生お得意の「穴なし穴埋め」や「内容的間違い探し」などもいくつか見られた。実は私の提出した問題もちゃっかりこの方式を採用しているのだ。

しかし、さすがにそれだけでは芸がないので、基本的スタンスを同じくする出題のバリエーションをいくつか挙げている。

英文を読みながら答えを探していかなければならないので、個人的にはスカベンジャ・ハントと呼んでいる方式だ。詳細については勉強会のある今週末以降に述べたい。

とりあえず、基本スタンスだけ・・・
1)定期テスト(既習で意味はわかっているはず)なので内容を問う出題はしない。
2)いわゆる総合問題のように複数の出題形式を1題に組み込むことはしない。
3)試験中に英文を読まなければ解けないような出題を心掛ける。
4)日本語を使って答える出題はしない。
などといったところ。

これに加えて、今回の宿題はアイディア交換だと捉えたので、
5)通常よく使われる並べ替えや穴埋めなどの定番問題ははなし

同僚の間では非常に評判の悪いこの方式。理由は大学入試で見たことがないからだそうだ。定期考査なんだから大学入試と違って当然でしょと思いつつ、嫌われない範囲で少しずつ出題している。

勉強会に参加される皆さんの目にはどう映るのか興味あるところではある。

定期テストにおける和訳

2008-05-11 16:05:55 | テスト
ある方に骨を折ってもらって、とある勉強会に参加できるようになった。その会の「宿題」として長文問題を使って「定期考査」を作れという課題が出た。参加者間で作問アイディアを交換する材料とするわけだ。

定期考査の作問といえば、ちょっとした思いがあって、昨年は他校のいろいろな先生方にどのような考査問題を作っておられるか聞いて回っていたのだ。

きっかけは同僚の指摘である。それまで自分(あるいは自分の勤務校)はいわゆる「和訳」の問題を定期テストで出題することは極力控えていた。

ところが、ご年配の同僚が増え学年団を組む過半数の指導者が和訳を定期考査に課すことを望んだのだ。曰く、大学入試で出題される形式が定期考査で課されないのはおかしいと。

これに対しては真っ向から反対するという選択肢もあろう。しかし、一歩譲って考えてみるた。日本語で答えさせる問題は本当に定期考査では一切使うべきではないのだろうか。その可能性を改めて問い直す意味で、定期考査における日本語で答えさせる問題の意義について多くの方に聞いてみたいと思ったのだ。

結果的には多くの方が、「点数をとらせるための問題?」として、ある程度は和訳などの問題を組み込んでいるという答えだった。

そんな中で一番納得できた(そして予想どおりだった)答えは当時、筑駒にお勤めだった久保野先生である。

リーディングの力は一度読んだ教材では測れない。ただし、定期テストで全ての課題文を初見のものにすることはできない。そこで、既習の文を使った問題は前置詞やイディオム表現などを書き入れる問題にする。内容を問う問題はパラレルな文(章)を用意し、そこから出題する。

パラレルな文章とは、扱う題材に共通性がある文章や使われる語彙や表現に共通性のある文章である。インターネットがある現在では内容的にパラレルな文章は簡単に入手できる。教材によっては初めから付属している場合もある。

今では、定期考査においてもある程度は初見の文章を出題するようにしていて、そこから日本語で答えさせる問題も出題するようにしている。もちろん、たとえ初見の文であっても和訳を問うことには反対だという方も沢山おられるでしょうけど。