ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

事故処理が破綻しつつある ~ 溢れかえる放射性汚染水

2011-05-31 09:54:45 | 原発事故
毎日500トンを優に超える水が、全炉心溶融を起こした原子炉に注入され、壊れた圧力容器と格納容器から漏れて高濃度汚染水となり、原子炉建屋、タービン建屋の地下やトレンチに溜まっていき、現在では10万トンに迫るまでに増大している。

汚染水の一部は、集中廃棄物処理施設などに移送しているが、容量が足りないため、すぐに満杯となり焼け石に水の状態である。

東京電力は、5月17日に改訂版「工程表」を発表し、「循環注水冷却」なる方式を打ち出した。タービン建屋地下の汚染水を「浄化」して再び「注水」するという。

穴の開いた格納容器を「水棺」処理する案と比べると、まだ現実的だと言う声もあるが、大きな問題を無視しているという点では、「水棺」と五十歩百歩である。

タービン建屋の地下やトレンチは、水を溜める構造にはなっていない。そのため、そこにある汚染水の一部は、土壌や地下水脈そして海へ、恒常的に漏れ出している可能性が高い。

従って、タービン建屋地下やトレンチに汚染水があることを前提とした「循環注水冷却」は、非常に無責任な発想である。深刻な土壌汚染や海洋汚染が、今現在起りつつあるかもしれないという危機感が圧倒的に欠けている。

さらに、汚染水の「浄化」に関して、政府・東電の統合本部は、アレバ社などが提供する処理設備が来れば、問題が解決するかのような話を繰り返しているが、これも現実離れした認識だ。

この処理過程は、油の除去、放射性物質のゼオライトによる除去、沈殿による除去、脱塩の四つに分かれているそうだ。つまり、それぞれの過程で、放射性廃油、放射性ゼオライト、放射性沈殿物、放射性塩という四種類の廃棄物が出ることになる。

四つの異なる廃棄物を取り外し・運搬・保管するためには、四種類の作業ラインが必要であり、それぞれが超高線量の放射性廃棄物であることを考えると、大量の人員による危険な作業が不可欠となる。

従って、この廃棄物の取り外し・運搬・保管が汚染水「浄化」の律速段階となり、全体の処理スピードは相当に遅いものとなる可能性が高い。また、作業員の累積被ばく線量は背筋の凍る速さで上昇するため、事故処理を引き受けてくれる日本の人的資源は、瞬く間に枯渇していくだろう。

「循環注水冷却」には、最低でも毎日500トン以上の汚染水処理が必要であるが、作業員の被ばくを抑えつつ、どうやってこのスピードを実現するのか、政府・東電からは何の説明もない。

結局、一番現実的で、一番やらなければならない仕事は、建屋やトレンチに溜まった汚染水を、出来る限りの量、保管能力のよりしっかりとした場所に大急ぎで移すことである。とにかく1センチでも水位を下げて、1トンでも汚染水を管理できる場所に移すことだ。水位に余裕ができれば、大雨にも対処し易くなる。

当然、大容量のタンクやプール、あるいは大型タンカーなどが次々と必要になるが、躊躇している暇はない。

しかし、事故発生以来二ヶ月以上が経過したにも関わらず、汚染水を収容するタンクの準備は遅々として進んでいない。それどころか、現実離れした「水棺」や「循環冷却」にこだわって、徒に人的資源を浪費している。

その間に、原子炉建屋地下、タービン建屋地下、トレンチ、さらには移送先施設地下にまで放射性汚染水が溢れかえり、いよいよ抜き差しならない状態に陥りつつある。

甘い見通しを繰り返しながら、どんどん事態が悪化していく。すでに福島第一原発事故は、間違った事故処理を続けた挙句の人災となっている。

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吉田所長の処分という茶番劇

2011-05-30 05:19:49 | 原発事故
1) 吉田所長が現場判断で注水継続と発表
2) 正しい判断だったが、報告に問題があったと指摘
3) 所長の処分検討を示唆
4) 所長の処分に反対する世論が形成
5) 処分はうやむやになり、真相解明の機運が後退
6) 誰も責任を問われず、騒動は終了

おそらく東京電力の誰かがシナリオを書いた出来の悪い三文芝居だが、菅首相が吉田所長の処分に反対するなど、筋書き通りに事が進んでいる。

しかし、この茶番劇は見苦しいだけでなく、極めて悪質である。一週間に渡って誤った情報を流し続けた東電の責任と真意を曖昧にしようとする意図が背後に見え隠れしている。

東電本店は、3月12日の午後に何があったかについて、その都度の政治状況を睨みながら情報を小出しにし、最後には「注水中断」そのものを否定して、事実関係すら変更してしまった。

自民党の安倍元首相が、官邸による1号機への注水中断を、5月20日に指摘したのが今回の騒動の発端と言われているが、東電幹部が真剣に調べれば、中断がなかったことをすぐに発表出来たはずである。

しかし、菅首相の責任問題にまで発展したにも関わらず、東電は情報を二転三転させて、本当のことを語ろうとしなかった。

まるで、自民党の動き、民主党の動き、政府の動き、そして内閣不信任案の動向を見極めながら、東電を守るための政治カードとして持っていたかのようだ。

そして、今語っていることが本当かどうかさえも怪しい。

安倍元首相に注水中断という情報を流したのは誰なのか?それは何のためなのか?そして、吉田所長はなぜ事実を隠していたのか。そもそも本店は所長に中断命令を出したのか。

明らかにすべきことは山ほどあるが、吉田所長の処分問題にすり替わってしまい、どうやら闇に葬り去られそうだ。

原発事故を起こし、巨額の賠償責任を背負う東電が、事故の詳細や処理の経緯についての情報をすべて握っている。しかも、政界、産業界、学界そしてマスメディアに、今でも太いパイプと大きな影響力を保持している。

今回の注水中断をめぐる茶番劇は、東電に対する事故責任追及が、いかに困難な道のりであるかを、あらためて浮き彫りにする結果となった。

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本当に吉田所長の独断だったのか?

2011-05-28 11:13:12 | 原発事故
3月12日午後の出来事、
午後2時53分、1号機原子炉への真水の注水が停止
午後3時36分、水素爆発
午後6時から、官邸が海水の注水について会議を開始
午後7時4分、海水の注水開始 (官邸は知らなかったと主張)
午後7時25分、東京電力本店と第一原発を結ぶテレビ会議で注水の中断を決定
午後7時55分、菅首相が海水の注水を指示
午後8時20分、東電に吉田所長名で注水再開の連絡
(Ref.:日本経済新聞Web刊2011/5/21 、YOMIURI ONLINE 2011年5月26日)。

5月26日の記者会見で、東電の武藤副社長は、吉田第一原発所長が午後7時25分の中断指示に従わず注水を続けたので、結果として中断はなかったと発表した。

しかし、東電が発表した3月12日の経緯には、不思議な点がいくつかある。

まず気になるのは、午後7時55分の首相指示を受けて、東電幹部の誰かが吉田所長に注水を再開するよう伝えたはずだが、誰がいつどういう形で連絡したのか、それについての情報がない。

東電本店は、テレビ会議の後、注水は中断されていると思っていたのだから、再開の指示は大きな出来事で、伝達した人物はそれを記憶しているはずだし、何らかの記録があってもおかしくない。

注水再開の指示は、東電にとって何ら不利な事実ではないので、情報が出てこないということは、誰も指示を出さなかったということだろうか。

だとすれば、当時、東電本店は、注水は中断せずに続けられているという認識を持っていたことになる。

また午後8時20分に、吉田所長から注水再開の連絡が文書で来たそうだが、これもおかしな話だ。

第一原発が修羅場と化している状態の中、わざわざ吉田所長名で「注水を再開した」という文書を作って、本店に送ってくるだろか。一本電話をすれば済むことだ。

ましてや、吉田所長は本店を欺いて注水を続けていたのだから、中断や再開に関して、本店宛に何かの記録を残すようなことを自発的にするとは思えない。

さらに、吉田所長が今になって本当の事を話した理由が「IAEAの視察が来るから」というのもピンとこない。現場監督の声というより、まるで幹部エリートの作文のようである。

これらの疑問を上手く説明できる仮説が一つある。

午後7時4分、すでに海水の注水を始めていた東電は、その頃、官邸が再臨界を懸念して会議を開いていることを知って慌てた。官邸の意見を聞かず注水したことを、後で、叱責されるかもしれない。

そこで、午後7時25分にテレビ会議が開かれ、すでに始まっていた注水の中断が話し合われた。しかし、はっきりとした結論は出ず、しばらく様子を見ることになり、吉田所長はそのまま注水を続けた。

午後7時55分に菅首相が注水を指示して、ようやく後追いの形だが、官邸のゴーサインが出た。ただ、困ったことが一つ。首相指示の一時間近く前から注水を始めていたことが発覚すると、菅首相の面目は丸つぶれになる。

そこで、菅首相の指示はちゃんと守りましたよ、という証拠を残すために、東電の誰かが吉田所長に一筆書かせた。海水の注水を開始したという旨の文書で、午後7時55分以降の時刻が入っている。

これが3月12日午後の出来事に対する仮説である。さらに、現在起っていることに対して仮説を続けると、

最近になって、午後7時4分の注水開始は、官邸の知るところとなった。そこで今度は、午後7時25分に行ったテレビ会議で、本店が指示を出して、現場に注水を中断させたことにした。官邸の意向は尊重しているというアピールである。

このとき、吉田所長の文書は中断していた注水を再開した証拠という新たな意味を与えられた。

ところが、中断という言葉が一人歩きを始める。菅首相が注水を中断させたという噂が流布して、国会で大きな問題となり、官邸が本腰を入れて調査に乗り出すに至った。ここにきて、ようやく東電幹部は、中断はなかったという事実を認めざるを得なくなった。

ただ中断なしを認めると、テレビ会議で中断を指示したという主張の信憑性が疑われてしまう。そこで、吉田所長が本店の指示に背いて注水を続けたというストーリーが登場した。

もちろん、これは単なる仮説に過ぎない。また、他の仮説を排除するものでもない。

しかし、この仮説を検証する方法はある。仮説が正しければ、午後8時20分の文書は官邸を意識したものであるので、「中断」や「再開」という文字はなく、「注水開始」とだけ書かれているはずである。そもそも官邸は、中断どころか、開始すら知らなかったのだから。

一方、もし「中断」や「再開」という言葉が出てくれば、注水は中断していたという認識が東電にあったことが示されるので、仮説は手直しを迫られる。その場合、なぜ吉田所長が本店にわざわざ文書を送ったのかが新たな疑問となる。

従って、この文書を調べれば、そのとき何が起っていたのか、推測する有力な手掛かりとなるだろう。

真実がどうだったかは別にしても、東電が中断していなかったものを、中断していたと発表し、国会での貴重な時間を浪費させたことは間違いない。この会社を存続させる意義が、ますます小さくなったことだけは確かである。

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問題は3月12日ではなく3月11日以前だ

2011-05-27 06:02:09 | 原発事故
海水を注入する行為は正しく、中断させようとしたことは誤り。

3月12日の海水注入に関して、「犯人さがし」をしている人たちが持っている共通認識である。

この認識が出てくるのは、福島第一原発1号機への海水注入は、原子炉が吹き飛ぶような再臨界を引き起こさなかったという事実を、5月27日現在の我々が知っているからである。

しかし、3月12日の時点で、燃料棒が露出して異常高温になっている原子炉に、天然海水を注入しても、絶対に再臨界は起らないと断言できる人はほとんどいなかったはずである。

従って、官邸や東電本社が海水注入を躊躇して、再臨界の可能性を検討したり、一時中断を指示するのは、責任者としてはむしろ自然なことである。

吉田原発所長が指示に背いて、結局、海水注入は中断しなかったと、東京電力が発表したため、「犯人さがし」も腰砕けに終わりそうだ。

誤った命令を指示した本部と、それに従わず正しい決定をした現場。

次は、そういう捉え方が流行するのかもしれないが、やはり未来にいて結果を知っている人々が、過去の人々の行動を神様よろしく裁いていることに変わりはない。

不思議なことに、ベントだ海水注入だと、3月12日という一日の責任を問う声は大きいが、この日を迎えざるを得なくした3月11日以前のことは、今のところあまり問題になっていない。

そこには、破滅的な事故を警告する声を踏みにじって、何十年にも渡って、ひたすら原発を推進し続けた人々が存在している。

全電源喪失などの過酷事故が起る可能性はゼロと決めつけて、コスト削減のため、原発の安全対策を意図的に怠ってきた行為こそ、もっとも強く批判されるべきだろう。

可能性は低くとも、破滅的な結果をもたらす再臨界を警戒して右往左往したことを、ここまで問題にするのは、批判の矛先をそらす方便としか思えない。

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仕事をしない斑目委員長

2011-05-26 08:14:56 | 原発事故
3月12日に福島第一原発1号機への海水注入が検討された際、再臨界の可能性を聞かれて、原子力安全委員会の委員長である斑目氏は「可能性はゼロではない」と答えたそうだ。

安全委員会は原子力の専門家集団であり、斑目氏はそのトップであるが、その人物が素人でも言えるような、抽象的で曖昧な助言しか出来なかったとは、驚くべきことである。

地震と津波によって循環冷却機能が全喪失し、注水冷却しか方法がなくなった時点で、いずれ冷却用真水が底をつき、海水による冷却を余儀なくされる事態は容易に想像できたはずである。

その時点で、斑目氏は、軽水炉の冷却材に詳しい専門家を複数ピックアップして、海水注入の問題点について、緊急に議論を始めるのが当然である。

勿論、水位が下がって炉心がむき出しになっているような原子炉に、数十トン数百トンの海水を注入した場合、何が起るかなど、誰にも分からない。そのような状況にまで追い込まれた過酷事故は、今回が初めてである。

従って、これまでの知識から推測するしかないが、まず懸念されるのは、高温の圧力容器の中で海水が蒸発すると、塩化ナトリウムを初めとして、様々な成分が析出してくるかもしれないことである。

この析出物が炉心部分で成長を始めたとき、崩壊熱の除去や核分裂そのものに、どのような影響を与えるのかは気になる点である。

また、溶融しつつある燃料棒は数千度の温度に達するそうだが、析出する結晶あるいは濃縮された海水は、超高温に熱せられた上に、高線量のアルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線などの照射を受けることになる。

こういった状態の中で、再臨界は勿論のこと、圧力容器や配管系に重大な損傷を与える事象が発生する危険があるのかどうか、その見通しを検討して、政府に具体的な助言を与えるのが斑目氏の仕事である。

「海水注入で再臨界の危険性はどの程度上がるのか」「再臨界以外の危険事象は何が考えられるか」「注入前に海水のろ過をどの程度すべきか」「海水中の成分でとくに取り除くべきものはあるか」「その場合どのようなフィルターを使えばよいか」「あるいは加えるべき成分はあるか」「海水注入はどの程度の期間継続してよいのか」「数時間か、数日か、それとも数ヶ月か」など、検討すべき論点は多岐にわたる。

しかし、斑目氏が他の専門家と議論を行い、こういった具体的な助言をした形跡は見られない。それどころか、先日の国会で「可能性がゼロではない」は「事実上ゼロ」であると述べている。

人類が経験したことのない事故の状況下で、海水注入による再臨界の可能性を「事実上ゼロ」だと主張するのは、神様でもない限り不可能である。過去のどんなデータから、そんなきっぱりした結論が導き出せたのか?

もし、これが斑目氏の真意だったとすれば、学者としての資質を問われるだろう。

そして、「事実上ゼロ」だから、海水注入に際してその影響を検討せず、具体的助言もしなかったのだとすれば、それは自らの無為無策を正当化する開き直り以外の何者でもない。

福島原発事故によって日本が国家的危機に直面しているときに、税金から多額の報酬を貰って、原子力エネルギーの安全管理を託されている人物が、専門家として必要な仕事を何もしない上に、詭弁を弄して自己正当化に邁進しているというのは、信じがたい光景である。

どうやら斑目氏が真剣に取り組むのは、自分自身の面子を守ることのようで、専門家として国民を守ることではないようだ。

斑目氏が委員長として適任である可能性は「間違いなくゼロ」である。

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ブラゼル二塁打のビデオ判定は「賢明」な対応

2011-05-25 02:53:53 | 野球
昨日5月24日に甲子園で行われた阪神・西武戦。4回裏、ノーアウト、ランナー1塁2塁で西武1点リードの場面、ブラゼルが放ったホームラン性の打球は、バックスクリーンすぐ左から跳ね返って外野に戻ってきた。

友寄二塁塁審は二塁打をコールしたが、ホームランではないのかと球場が騒然とし始めた。真弓監督も指を回しながらベンチでアピールしていた。

このとき、審判団はすぐに集まって協議し、友寄塁審がマイクを使ってビデオ判定を行うことを観客に知らせた。そして、ほどなくして戻ってきた友寄塁審は、打球がフェンス上部に当たっていたことを説明して、二塁打としてプレーを続けるけことを宣言した。

見事な対応である。

実際、この後、選手もベンチも観客も視聴者も、二塁打の判定問題に区切りをつけて、気持ちよく次のプレーに専念することが出来たと思う。ジャッジを出来るだけ正しいものに近づけたと同時に、プロ野球というショーを円滑に進めたという点でも、優れた「試合さばき」だった。

しかし、こういった対応は「当たり前」のことではない。

昨年2010年9月19日のソフトバンク・西武戦では、ファウルとコールされた小久保のホームラン性の打球について、秋山監督が数分間に渡って審判にビデオ判定を求め続けたが、認められなかった。

左翼ポールぎりぎりを通過した打球だったので、ホームランではないかと球場が騒然とする中、監督の要求を頑として受け入れない審判たちに、苛立ったコーチ陣が食って掛かる場面もあり、後味の悪いゲームとなった。

また、4月20日の阪神・巨人戦における脇谷選手の落球誤審では、真弓監督の懸命の抗議にもかかわらず、審判団が集まって協議することはなく、またアウトをコールした土山一塁塁審から観客への説明もなかった。

審判のこの対応がいかに拙いものだったかは、その後に起った騒動を見れば一目瞭然である。

ジャッジをコールした審判は、それが覆されることを怖れてビデオ判定をしたがらない。他の審判も、コールした本人が積極的に言い出さない限り、ビデオ判定を提案したり、自分の意見を述べたりは出来ない。そして、ミスジャッジを疑って騒然とする観客へのマイク説明は出来るだけ避けたい。

そういう風にしか見えない出来事が数多く発生している。

従って、今回の審判団の行動は高く評価されるべきである。確かに、昨日の試合でのブラゼルの打球は、比較的見やすい位置に飛んだので、友寄塁審もビデオ判定でジャッジが覆る可能性は低いと思っていたかもしれない。

しかし、こういった真摯な対応を賞賛する声が強くなっていけば、最初のジャッジへの自信の有り無しに関係なく、重要場面で疑義が生じた場合は、協議やビデオ判定を行うという雰囲気が審判団に生まれてくる可能性がある。

「審判のジャッジが最終判断」というルールを振りかざすのではなく、より真実に近いジャッジを追求して、観客には誠意を持って説明する。

ジャッジのあり方を、この「当たり前」の形に一歩でも近づけるためには、野球ファンが、昨夜のような審判の行動を優れた「賢明」なものとして、一つ一つ評価し続ける以外に道はないのかもしれない。

ところで、昨日の阪神・西武戦の主審は、脇谷選手の落球をアウトと誤審した土山審判だった。しかも、問題になったのは、あの時と同じブラゼルの打球で、同じ甲子園。もし、協議もビデオ判定も行わず、二塁打で押し通して、後で実はホームランだったと判明したら、土山審判は勿論のこと、プロ野球審判部そのものが完全に信頼を失うことになる。

そういった緊張感が、昨夜の試合で、審判団に迅速なビデオ判定を決意させたのかもしれない。

別の意味でも「賢明」な対応だったわけである(笑)。

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ちょっと野球の話 ~ 原監督の強攻策とかハーパーの守備とか (2011/05/23)
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ちょっと野球の話 ~ 原監督の強攻策とかハーパーの守備とか

2011-05-23 13:45:19 | 野球
巨人原監督の采配は、見ていてどうにも「しっくり」こないことが多い。その作戦が良いのか悪いのかは別にして、自分が見たいプレーとは全然違うからだと思う。昨日、5月22日の巨人・オリックス戦でも9回裏の攻撃で「え?ええっ?」の場面が連発してかなり疲れた。

先頭打者のラミレスがシングルヒットで出て、代走鈴木というのは分かるが、盗塁ってアグレッシブ過ぎないだろうか?失敗となると、ほぼ試合が決まってしまう場面である。しかも、阿部は勝負強い長打力のあるバッターだ。

以前も、やはり僅差で負けている試合の最終回で、盗塁を試みて失敗し、そのまま試合が終了したことがあった。対戦相手の楽天野村監督が「ばっかじゃなかろうか」と発言して、ちょっとした騒ぎになったが、原監督の「攻めの姿勢」は変わらないってことだろうか。

昨日の試合では、幸い盗塁は成功して、さらに阿部がフォアボールを選んだので、ノーアウト一塁二塁となり、巨人にとってはチャンスが広がった。

しかし、次の長野の打席で、さらに驚くことが起った。もう、百パーセント送りバントと思っていたら、バントの構えすらせず、結局、インフィールドフライでアウト。一点差で負けている9回裏、ランナーがノーアウトで一塁と二塁にいるのに、なぜ送らない?

先日亡くなられた児玉清さんが、「アタック25」の中で、正解した回答者のパネル選択を見て「な~ぜ角を取らない。さあ次の問題」と言ってるのを見たことがあるが、「な~ぜ三塁を取らない」と同じ口調でテレビに問いかけてしまった。

シビアなシフトを敷かれると、バントが難しくなるのは確かだが、長野ほどの打撃センスがあれば、成功確率はかなり高いと思う。守備陣形を見て、強攻策の方が良いと判断したのだろうが、何だか「んー」と考え込んでしまう。

まあ、仮に送って二塁三塁にしても、矢野のタイムリーで、サヨナラのランナーである寺内が還れたかどうか微妙だったので、巨人が勝つためにはあと一本、ヒットか犠牲フライが必要だったとは思う。

従って、勝敗を決した最大のポイントとなると、長野がバントしなかったというより、円谷や大田が経験不足で、ピッチャー岸田の方が一枚上手だったことかもしれない。

見ていて「しっくり」こない采配といえば、横浜ベイスターズの尾花監督も自分の中ではかなりなレベルだ。

さすがに投手の使い方は上手いような気がするが、攻撃の方は、初回から送りバントさせたりして、もうガッチガチに堅い。おかげで、チームの盗塁数が極端に少ない。石川のように、走れそうな選手もいるのだが。

もちろん、日本ハムのダルビッシュみたいなピッチャーが先発であれば、そういう攻めもありかなと思うが、横浜の投手陣は開幕投手(オリックスから移籍の山本)すら、あまり名前が知られていない状況である。しかも、ほとんどの試合で、5人6人は当たり前の継投を強いられ、まだ4月5月なのに、ここを乗り切れば優勝でも見えてくるのかというフル回転である。

どう考えても1点を守る野球じゃないだろって突っ込みたくなるが、それでも初回から犠牲バント。これはもう監督の人生観の問題なんだろうか。

ただ、尾花監督をあまり批判する気にはならない。親会社がほとんど金を出さない上に、去年は身売り計画が発覚後すぐに頓挫するという目も当てられないドタバタ劇まで起きて、もはや横浜の監督であること自体が、難行苦行だろうと思って見てしまう。とにかく、今は静かな環境で野球に専念して欲しいという気持ちになる。

横浜に関しては、毎年あまりにも凄まじい成績を残すので、「おまえら大丈夫なのか」という心配から、意識して試合を見るようになって、結果として応援っぽくなってしまっている(笑)。

ところで、横浜の試合を見ていて、これは凄いなと感じるのは、ハーパーの一塁の守備である。

一塁に送られてくる球を捕るとき、「それ、グラブの向きが逆ではないのか?」とか「ベースを踏むのはそっちの足でいいのか?」などと思うケースが結構な頻度で発生する。しかも、ピッチャーや二塁手に近距離から速い球を投げられて、びっくりしてこけそうになった場面を少なくとも二回は見た。

TVKの解説者もハーパーの守備については、「腰から下の場合はグラブは下に」とか、とてもプロ野球の実況とは思えん話を連発していた。さすがに、今シーズンは、キャンプで基本を教わったのか、昨年よりはかなりマシになってきた気はする。

しかし、この前の選抜高校野球をテレビで観たが、ハーパーの方が上手いと思える一塁手は、残念ながら一人もいなかった。また、阪神・横浜戦では、ブラゼルが一塁の名手に見えてくるぞ。

頑張れハーパー!基本プレーは繰り返し練習が効果的だ!

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「全炉心溶融」の発覚 ~ 変容する「冷温停止」の意義

2011-05-19 01:10:32 | 原発事故
東京電力が掲げる「工程表」の目標は、原子炉を9ヶ月以内に「冷温停止」状態に持ち込んで、放射能が大幅に抑制される状況を作り出すというものである。

しかし、1号機から3号機まですべての原子炉が「全炉心溶融」を起こし、かつ「格納容器破損」がほぼ確実になった今、「冷温停止」の持つ意味が変わりつつある。

もし、炉心溶融が一部に止まり、燃料集合体がその原型を保持しているのであれば、「冷温停止」の後に原子炉から取り出して、プールなど別の施設に移すことが可能である。当然、移送先でも冷却は必要だが、管理された状況で行えるので、汚染排水が外部に漏れ出すような危険は回避される。

まさに「放射能が大幅に抑制される」わけである。

しかし、「全炉心溶融」によって、燃料集合体が完全に溶け落ちている現在、それを取り出す作業は困難を極めるだろう。燃料の45%が溶融したスリーマイル島事故ですら、取り出しに14年掛かっている。100%溶融では、それ以上の年月が必要なのは容易に想像がつく。

つまり、9ヶ月で「冷温停止」に至ったとしても、全燃料を壊れた原子炉内に留めたまま、さらに何年何十年と冷却しなければならない。もちろん、原子炉の温度は下がっていくので、放射性物質の大気中への放散は減少するだろう。注水量を減らしていくことも可能である。だが、回収困難な大量の放射性物質が炉内に残っていることに変わりはない。

従って、量は減っても、汚染水が出続けるという状況を根本的に変えることは難しい。格納容器の破損を修理して排水を全回収するという、絶望的に困難な仕事を成功させない限り、何年何十年もの間、高レベルの放射性汚染水が外部に漏れ続け、新たな土壌汚染や海洋汚染を引き起こすだろう。

東電の武藤副社長は、メルトダウンによって「工程表」は大きな影響を受けないと言ったそうだが、耳を疑う発言である。

「冷温停止」を最終目標とする「工程表」は、原子炉の炉心溶融が一部に止まり、通常の原発停止手順と同じように、やがては燃料集合体を取り出せることを前提にしている。しかし、「全炉心溶融」が明らかになった今、「冷温停止」は燃料の取り出しを意味せず、高濃度汚染水の流出停止にもつながらない。

東電幹部は、「冷温停止」というゴールが意義を失い、「工程表」自体がメルトダウンを始めたことを理解しているのだろうか。

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「想定内の地震」で破損の可能性 (2011/04/21)
「除染」は放射性物質の「消去」ではない (2011/04/19)
東電「工程表」には「現場」という言葉がない (2011/04/18)
原発の見直しは不可避 (2011/03/30)

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東電「工程表」はあまりに無意味

2011-05-18 01:29:04 | 原発事故
東京電力が発表した改訂版「工程表」によると、「水棺」計画を変更して、「循環注水冷却」を目指すそうだ。

1号機原子炉の水位計を修理したところ、燃料棒の最下部よりさらに低い位置までしか水が溜まっていないことが判明。さらに、原子炉建屋の地下に大量の水を発見。これらは全炉心溶融と格納容器破損を意味するもので、「水棺」の断念に追い込まれたというわけだ。

あまりにお粗末な顛末と言わざるを得ない。

どう考えても「調査」と「計画立案」の順序が逆だ。そもそも最初から、1号機原子炉についても、格納容器の一部が破損して、そこから冷却水が漏出している可能性が濃厚だった。

窒素ガスを入れても圧力が思ったほど上昇しない、格納容器の容量以上の水を注入しているのに水位が上がらない、タービン建屋に大量の放射能汚染水が存在する。多くの事実がその可能性を支持していた。

従って、まず第一に、水位計の確認、格納容器周りの亀裂点検、原子炉建屋内の漏水確認を行うべきで、その結果を踏まえて「水棺」の実現性を検討するのが当然の手順である。

しかし、東電は、そういった調査もしない段階から、なぜか「格納容器は壊れていない」という根拠のない推測を前提にして、国民に向かって「水棺」計画を発表し、さらには実際に注水量を増やす措置まで行ってきた。

調査を実施する時間がなく、すぐに計画を立てろと言われた場合でも、もっとも可能性の高い推測に基づいて立案するのが常識である。「格納容器は無傷」という可能性の低い、自分たちに都合の良い前提で仕事を進めると、工程表の変更を迫られるのはほぼ確実というものである。

改訂版では、タービン建屋地下の汚染水を「浄化」して、再び冷却水として利用する「循環注水冷却」なるものを謳っているが、これにも実現可能性を検証した痕跡すら見出せない。建屋地下に溜まったような不純物だらけの高濃度汚染水を、原子炉に再注入可能なほど「浄化」出来るのかどうか、過去に例がないのだから、誰にも分からない。

従って、相当な調査と検証が必要だが、どのような根拠で実現可能と判断したのか、何のデータも出てこない。「水棺」断念の後、結局、今の「注水冷却」以外は何も出来ないと認めたくないために、苦し紛れで出した計画にしか思えない。毎月17日ごとに、こういった科学的背景のない言葉遊びが繰り返されるのならば、「工程表」を出す意味がない。

1号機について今やるべきことは、格納容器の「どこから」「どのくらい」水が漏れていて「どこに」流れているのかを特定することだ。

原子炉建屋の地下には3000トン程度の水が溜まっているらしいが、この水がすべて格納容器から二ヶ月の間に漏れたものであれば、毎日50トンの流出となる。一日150トンを注水しているとすれば、30%くらいの漏れである。

また、一般家庭の風呂に水を張るには0.35トンから0.5トン程度が必要だが、50トン/日であれば、10分から15分で風呂が一杯になる水流である。従って、格納容器からの漏水は、ちょろちょろ染み出ている感じではなく、それなりの流速である可能性も覚悟しなければならない。

今後の調査で破損箇所が見つかり、その亀裂が小さく、漏出速度がずっと遅ければ、そのとき初めて破損箇所の修理という案が検討対象にはなるだろうが、原子炉が完全メルトダウンしていることを考えると、実行可能な線量環境であるのは期待薄だ。

つまり、1号機ですら放射性物質の「閉じ込め」は絶望的、それが現時点での偽らざる見通しだろう。

政府・東電は、事故の状況をバラ色に粉飾するだけの「工程表」作りはもう止めて、国民に向かって、今の厳しい現実を説明するべきである。

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N氏が夢見たエネルギーハウス ~ 解答編

2011-05-17 01:04:04 | Weblog
N氏とエレベーター籠を合わせた重量は70kg。5mの高さから降下して、その位置エネルギーの80%が電気になるので、一回に得られる電気量をAジュールとすれば

A = 70(kg) * 9.8(m/s^2) * 5(m) * 0.8 = 2744 J

100Wのテレビならば、30秒くらい見られる電気量である。これをワット時に直してBワット時とすれば

B = A(J) / 3600(J/wh) = 0.762… wh

一日に必要な電気量は10 kWh なので、必要な回数は

10000(wh) / B(wh) = 13119.53…

よって正解は1万3120回

もし1回に掛かる時間が10分だとすれば、N氏が不眠不休で動いて3ヶ月ほど。しかも運動によるダイエット効果でN氏の体重はどんどん落ちていくので、さらに必要回数は増えていく。残念なお知らせだ(笑)。

ところで、違った観点で考えると、このエレベーター発電が厳しいのがすぐに分かる。

普通の成人男性が一日に摂取するカロリーは2000kcalほど。これをワット時で表現すると2.3kWhになる。つまり、N氏は2.3kWhのエネルギーしか補給しないのに、10kWhの仕事を迫られているわけで、さすがに無理というものである。

ちなみに10kWhはカロリーで表すと8600kcal。確かに、これくらいなら飲み食いする人は稀にいるが、摂取カロリーのうちATPのような有効な生体エネルギーに変えられるのは、せいぜい数十パーセント。しかもその大半が体や脳を維持する基礎代謝に使われる。

また、体を動かす際は、鼓動が速くなったり、発汗したりという部分に大きなエネルギーが使われる上に、筋肉を収縮させるにも、エネルギーロスがある。結局、階段を上るというような外部への力学的エネルギーに変換できるのは、食べたエネルギーのごく僅かでしかない。従って、一日で10kWhの仕事をするのは、どんな人間にとっても、夢のまた夢と言えるだろう。

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