中さん

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日記(6.16)コラム「仮想通貨のマイニング」

2018-06-16 17:09:24 | 日常
6月16日  (土曜日)   
コラムにあった!
 カリフォルニアの大農園主の元に川底で拾った
 金の粒が持ち込まれたのは1848年だった。
 彼は100人以上の使用人を集めてそれを明かし、
 新しい製粉所が完成する6週間後まで秘密を守るよう求めた。


 ▲たちまち使用人は一人残らず川をめざして走り出し、
  農園は崩壊して幸運なはずの農園主は悲惨な運命をたどる。 
 (猿谷要(さるや・かなめ)著「アメリカ500年の物語」)



  大量の金採掘で世界の通貨事情を一変させたゴールドラッシュの発端だった

 ▲われ先にと人を駆り立てる金の魔力である。
  この金の採掘にたとえられる仮想通貨の「マイニング(採掘)
  ネット上の膨大な計算作業によって行われる。
  その計算に他人のパソコン(PC)を無断利用するのはさて違法かどうか?

 ▲神奈川などの10県警は自らのホームページに閲覧者の
  PCをマイニングに参加させるプログラムを仕込んでいた計16人を摘発した。
  閲覧者が知らないうちにそのPCや電力をマイニングに利用し、
  報酬を得るのを違法とみなしたのだ。

 ▲だが摘発された男性の一人は、ホームページから閲覧者の
  PCに指示を出す仕組みは広告ではふつうだと主張し、
  罰金の略式命令を拒んで正式裁判で争うという。
  生き馬の目を抜く仮想通貨採掘の是非、司法が判断を下すことになる。

 ▲ちなみにこの男性が得た額面上の報酬は900円とか。
  誰もが一獲千金を夢見たゴールドラッシュでも

  実際に巨利を得たのは金鉱を探した人ではない。
  彼らにシャベルやジーンズを高く売りつけた人々だった。

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蛇足)
アメリカの事は知っているようで知らない・・・。
少々学習

●北米への入植は遅く、
 イギリスの植民地がはじめてヴァージニアにできたのが
 1607年と中南米よりも一世紀遅いというのは、
 現在は北米の方が発展しているせいか
 中南米よりも一世紀も
 遅い時期になってようやく欧米人が北米に移り始めたというのは少し意外だ。


 ●また、北米では中南米のように強大な先住民の帝国はなかったため
 軍隊が派遣されてきたわけではなく
 ごく少数の植民者が、そこに自分たちが定住する植民地を築こうとして入ってきた
 という違いはあまり意識したことがなかった。
 そういうはじまりの違いというのは結構重要かな!

 ●独立宣言の6年前の1770年のアメリカの人口がたった214万人しかいなかった
 というのは、人数的な少なさというよりも面積あたりの人口の少なさに結構驚く。

 ●それと、独立戦争ののちにも、
 イギリスがナポレオンと戦っていた時期である
 1812から1815年まで米英戦争でイギリスと戦っていたという。
 また、この戦争が第二次独立戦争と呼ばれており、
 アメリカ人の自立が一層確立された契機であったようだ。


 ●ヨーロッパがアメリカ大陸の問題に介入することに反対し、
 アメリカはヨーロッパ大陸の問題に介入しないことを言明した
 「モンロー宣言」は、元々はヨーロッパの列強と競い合う余裕のない
 アメリカとしては自国を強化する歳月を稼ぐ自衛の策だった。
 ●1829年のミズーリ協定では、
 『将来、北緯三六度三〇分の線以北では
  奴隷制度を認めないという妥協が成立したのだった。』

 ●カリフォルニアで金が発見され、
  翌年(1849年)にカリフォルニアに多くの人が殺到し始めたため
  その一攫千金の夢を抱いた人々の群れに「フォーティ・ナイナーズ」という言葉が
  使われたと・・か

 ●南北戦争後、北部人が支配して南部に駐在していたが1877年までに
  最後の連邦軍が北部へ引き上げていてから、
  南部各州では黒人への差別を合法化する動きが目立ってきた。

 ●今までなぜ第二次大戦後になって
公民権運動起こったように
  ひどい差別がある状態にとどまっていたのかわからなかったが、
  こうした動きが根っこにあるのだなあ~。

 ●大陸横断鉄道が開通したあと、
  それまで高原の先住民はバッファローを必要以上に殺さず、
  腱や骨まで生活用品として丁寧に使っていたのに、
  西部に乗り込んできた白人はスポーツを楽しむようにバッファローを数多く殺したり
  東部の皮革業者が進出し皮を大量に東部へ輸送するようになって、
  生活資源や食料源を失った先住民たちは白人の開拓村を襲うことになった、
 
 ●禁酒法、憲法修正第十八条として成立した、
  というように憲法で定められていたものだった。

 ●1915年にはKKKの団員は約500万人もいたという事実には、
  そんな大規模な組織だったとは思いも寄らなかったこと。

 ●『ケネディの残した業績は、
 個々の政策よりもアメリカ社会にリベラルなムードを
   巻き起こした点
にあるだろう。』
 
 ●アメリカ西南部は元々メキシコの土地を奪った。
 (例えばテキサス州は当時メキシコの辺境だったが、
  アメリカの開拓民がどんどん移住してきて
  彼らがアメリカからの援助の約束を取り付け
  1836年にメキシコから独立する反乱を起こし、
  有名なアラモ砦の戦いが起こった)

 ●現在メキシコからの移民や密入国という問題を抱えているが、
  それを「メキシコからの報復を受けているようにみえる」
、 実に因果応報だなと思わざるをえないな。

★アメリカは更に国境に柵まで造って、支払もメキシコにさせようと・・

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日記(6.16)コラム「和菓子の日」

2018-06-16 09:42:11 | 日常
6月16日  (土曜日)   曇り 梅雨独特の空模様
コラムにあった!
 「まんじゅう食いねぇ、あと二十食ったら三百文あげよう」。
  十返舎一九の東海道中膝栗毛で、
  お調子者の弥次さんが金比羅参り風の男にかけを持ちかけるのが追分の宿だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
  金比羅参りの男はもう腹いっぱいの表情を浮かべながら一つ、
  また一つとまんじゅうを口に運び、とうとう全部腹におさめてしまう。
  後には引けない弥次さんが、もう二十食べれば三百文追加と持ちかけたところ
  今度は何の苦もなく食べきってけろりとしている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
  きょうは「和菓子の日」
  全国和菓子協会のホームページによると
  西暦848年の夏、仁明(にんみょう)天皇が御神託に基づいて、
  6月16日に16の数にちなんだ菓子を神前に供えて
  健康招福を祈誓し、承和(じょうわ)を嘉祥(かしょう)へ改元した
古例に由来するという。
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 甘い菓子が苦くなる京都の訴訟ざたである。
「八つ橋」の老舗が、のれんや商品説明書などに
「創業元禄二年」と事実と異なる記載をしたとして
別の老舗に、不正競争防止法に基づいて記載の差し止めと
600万円の損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。
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 まんじゅうの数が増えるほど簡単に胃袋へおさまったのも道理だ。
 男の正体は名うての手品師で、食べたはずのまんじゅうは
 全部着物のそでの中へ収まる仕掛けだった。

 追分で被害続出の常習犯だったという弥次喜多道中のオチである。
 だまされても弥次さんは伊勢参りと金比羅参り
 どっちも神頼みの仲間だからと水に流す。
 訴訟には根深い背景があるのだろうか。
 生八つ橋は三角だが、まんじゅうのように丸く収めてほしい。
 修学旅行以来の「八つ橋」ファンの願いだ。

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メモ)
十返舎一九


もともとは武士だった!?
十返舎一九は静岡に生まれ、
青年期から江戸に出て武家奉公をしていた。
その後は大坂の町奉行に仕えていたんだけど、
その後しばらくして浪人に。
そのころから芸術分野へ進みたかったのかね。
浄瑠璃作者になって作品をいくつか残した。
十返舎一九も式亭三馬同じく多才な人で、
文才と絵心を持ち合わせていただけでなく
歌舞伎や落語、さらには川柳に至るまで
芸術分野ならだいたい詳しかったという。
肉筆浮世絵なんかも残している。
そんな中、1802年に初出版した『東海道中膝栗毛』という作品(滑稽本)が
空前の大ヒット。この作品で一気に流行作家の仲間入りをする。
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