中さん

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日記(9.16)

2023-09-16 11:40:28 | 日常
9月16日   (土曜日)   晴 
 秋の気配を感じるのは朝の7時ごろまでだ!
 今日も気温が上がるという。
 夜露を浴びて小草がゾックを陽を浴びながらキラキラ伸びてきた。
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〇気温も30度を下回ると”蚊”が出てくるという。
 これからが痒い時期に入るようだ。
 自身は今年は3回目くらいかな!車庫で蚊に刺された!
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メモ 蚊の活動温度
 蚊には活発になる気温の範囲があります。
  〇 気温が15度くらいになると血を吸い始めて、
   〇25度から30度になると一番元気に活動します。
  〇そして、30度を超えると反対に活動が鈍くなります。
気温がちょうどいいこの季節に現れる蚊ですが、
悩まされないようにするには、
まずは蚊を増やさないことが大事。とあった・・水溜まりを作らないことか?
いつでも血を吸いに来てるわけではないんだ!
今まで暑かったので蚊も動きが悪かったんだなあ~!
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福島民友のコラム「編集日記」には
  心の支えと題して地震のことが
〇 豊臣秀吉が天下を統一してまだ間もない1596年9月、
  近畿でマグニチュード(M)7・5の慶長伏見地震が起きた。
  京都の被害は大きく、多数の犠牲者が出た。
  民家や寺院などの倒壊も激しかったという
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▼秀吉が建てた自慢の伏見城は大破し、石垣が崩れるなどして、
 城内だけでも数百人が亡くなったとされている。
 秀吉自身は、幼いわが子の秀頼らと城の庭に逃げ出し、
 九死に一生を得た。権勢を振るった天下人も、
 自然の猛威の前にはなすすべがなかった
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北アフリカ・モロッコ中部で起きたM6・8の地震は
 日を追うごとに犠牲者、負傷者が増えており、被害は甚大だ。
 がれきの下敷きになった住民の救助、不明者の捜索は難航している
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▼世界から多くの観光客が訪れる都市マラケシュでも、
 世界遺産に登録されている旧市街を囲む城壁の一部や、
 モスクの塔が崩れるなどの被害が出た。
 古い建造物が立ち並ぶ歴史が息づく街に、
 容赦ない爪痕が刻まれてしまった
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▼京都に点在している世界遺産が一夜のうちに倒壊したとしたら―。
 最愛の家族や仲間を亡くし、精神的な支えを壊された人たちの心情はいかばかりか。
 遠い地の困難に心を寄せ、できる限りの支援を早く届けたい。
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★メモ
 2018年6月に大阪北部を震源とするマグニチュード(M)6.1の
 大阪北部地震
が起き、
 相前後して千葉県の房総半島でも「スロースリップ」によるとみられる地震が続いた。
 群馬県でも大阪の地震の前日、県内を震源とする地震で初めて震度5弱の揺れを観測した。
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 古文書などの記録から過去の大地震の時期や規模を推定し、
 最新の観測データと重ねあわせてその周期やメカニズムを探る研究が、
 徐々に成果を上げつつある。
 歴史家の磯田道史さんは『天災から日本史を読みなおす』で、
 最新の研究成果を分かりやすく紹介している。
 最新の地震学と歴史学は、今回の大阪の地震をどうとらえているのか。
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「中央構造線」が引き起こす連動地震
 日本で起きる地震には、プレートの沈み込みによって起きる海溝型地震と、
 内陸部で活断層が動く内陸型(直下型)地震がある。
 〇今回の大阪の地震は内陸型地震で、震源の近くには有馬―高槻断層が走っている。
  文禄5年(1596年)に慶長伏見地震を引き起こしたとみられる断層だ。
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 この地震で豊臣秀吉(1537~98)の隠居用の城として
 築城中だった伏見城天守が倒壊した。
 イエズス会宣教師がローマ教皇庁にあげた報告には、
 秀吉は愛児の秀頼(1593~1615)を抱いて庭に飛び出し、
 九死に一生を得たとある。
 加藤清正(1562~1611)はいち早く駆けつけて伏見城など被災地の復旧にあたり、
 その際に得た知識を熊本城の耐震化に役立てたといわれている。
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伏見城倒壊を描いた錦絵(国立国会図書館蔵)記録をたどると、

 この地震の1週間前から大分県の別府湾付近で慶長豊後地震、
  愛媛県で慶長伊予地震という推定M7.0以上の大地震が続いている。
  発生した時の年号は文禄なのに「慶長〇〇地震」と呼ばれるのは、
  短期間に大きな地震があまりに続いたため、直後に改元されたからだ。
三つの地震の震央はいずれも日本最大の断層帯である中央構造線に近く、
最初の地震が中央構造線を動かし、
次々に直下型の地震を誘発する「連動地震」だった可能性が指摘されている。
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 こうした連動が起きるなら、2018年の大阪の地震の導火線は、
 16年4月に中央構造線の西端で起きた熊本地震なのではないか。
 中央構造線は群馬県下も走っている。前日の群馬の地震との関連はないのだろうか。
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 日本地震学会会長で名古屋大学教授の山岡 耕春こうしゅん さんは、
  「中央構造線が導火線の役割を果たしたなら、
   熊本から近い九州北部や四国北部でも大きな地震が起きていたはず。
   一足飛びに大阪北部に 伝でん播ぱ することはない」という。
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また、「中央構造線は紀伊半島より東ではこれまでほとんど地震を起こしていない」ことから、
    群馬の地震との関連もないようだ。ただ、山岡さんは、西日本での中央構造線による連動地震
    のメカニズム自体は否定していない。四国北部などで今後、連動地震が起きる恐れは残る。
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天正地震で「城ごと滅亡」の大名も
 熊本地震では最大震度7の激しい揺れが2度あり、
 最初の地震(前震=M6.5)より、
 2日後の地震(本震=M7.3)の方が大きかった。
 熊本平野の下には 日奈久ひなぐ 断層と 布田ふた川がわ 断層があり、
 2度の震度7の震源は、いずれも二つの断層が近接している地点だった。
  一方の断層がずれて前震が起きた後、そのずれでもう一方の断層にゆがみが生じ、
  より大きな本震につながったといわれている。
  マグニチュードは対数で示され、0.2大きくなると地震のエネルギーは2倍になるから、
  熊本地震の本震は前震の約16倍、大阪北部地震の約64倍だったことになる。


 天正13年11月29日(今の暦で1586年1月18日)の夜に起きた天正地震は、
熊本地震と同じタイプの内陸型地震だったとみられるが、
日本海側の若狭湾、太平洋側の伊勢湾、さらには琵琶湖にも津波発生の記録がある。
震源や地震の規模には諸説あるが、震源は岐阜県の 大日岳だいにちだけ 付近で、
揺れの範囲などから見てM8.0級の巨大地震だった可能性もある。
コメント
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