中さん

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日記(12.1)

2023-12-01 16:20:32 | 日常
12月1日  (金曜日)    ②    晴れでも冷たい日

冬用のタイヤ履き替えで。9時にR自動車に持っていて頼んだ。

ここ数年は近いのでこの自動車屋さんに頼んでいる。
工場の親父・息子さんとも結構長い付き合いになる。
細かいことは殆ど当家の車4台分をみてもらっている
 工場前の通り奥脇が遊歩道で、紅葉も幾分陽が当たって綺麗に見える。

帰ったらカミさんは早速車に乗って群馬の大年寄り女子会に出かけて行った。
今回はお寿司屋さんだそうだ。
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〇朝とってきた大蕪をピーラーで剥き薄くスライスして
べったら漬けもどきを作る。ちょっと大きくなり過ぎたかな!

塩を振ってもんで、酒・みりん・ラッキョウ酢を入れて
鷹の爪と柚子を少々入れてよく振って冷蔵庫に入れて半日ほどおくと
出来上がる予定だ。毎年漬けるが薄く切るのが包丁では結構コツがいる。
スライサーは使っていない。
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〇キシンジャー氏が亡くなった。100歳とあった。

随分有名な人だ。読売の編集長には

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ズバリ本質を見極める凄い人だ。日本に来た時のエピソード
〇関ヶ原の陣容をみて石田勢の勝と言ったそうである。小早川の一件は知らなかった!?か
〇千利休の当時の行動を聞いてこの方は殺されたでしょうと言ったとか!
他にもたくさん聞いたが忘れた。
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〇ラグビーもいよいよ今月から始まる。
 市報にも当地での試合日程が発表。

〇10日のキャノン戦チケットは会員のカミさんが既に獲った
さあ今年は世界の名プレイヤーの技と走りが見られそうだ。
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〇午後はガス器具等の点検日で東京ガスの担当が来るので
 待機だ。・・
 4年に一度の点検で主にガス漏れのチェックだ!
 給湯器とガスレンジ・室内ガス暖房機3台も見てもらったがガス漏れはなくOK 。
 ただガスレンジの一か所のセンサー不具合も見つかって修理をしてもらう事にした。
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〇寒いので菜園作業は中止して、少し賀状の絵を描いた。

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日記(12.1)

2023-12-01 08:59:25 | 日常
12月1日   (金曜日)   晴れ 寒い!
ラジオ体操に行くのに暗い・・すぐに夜明けだが寒い!
帰りに畑に寄ってネギ・大根・大蕪を引き抜いてくる。
大分大きくなった蕪。

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いよいよ 師走だ。
サツマイモをふかし始めた。紅あずまと安納芋だ。ふかして冷めたら
カットして冷凍にしておくと,長くおやつとして食べられると聞いた。
今までは干し芋しか浮かばなかったが、また一つ覚えた。
甘くて美味しい。

材料はいっぱいある。
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上毛新聞のコラム記事
 ▼江戸に幕府が開かれると、
  参勤交代や町づくりの土木工事に伴って人口がどんどん増えた。
  単身赴任や出稼ぎの男性が多く、胃袋を満たすために栄えていったのが外食産業。
 「安くて早い」が売りの屋台が受けたという
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 ▼江戸後期の浮世絵には、
  にぎやかな往来の中にそばや天ぷら、
  すしなどを出す屋台が描かれている。
 「十三里」「〇(まる)やき」の看板は焼き芋屋。

  冬のおやつの定番だったようだ。
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 ▼江戸中期、飢饉(ききん)の際に役立つ作物が求められ、
  サツマイモが注目された。関東各地で栽培を試すものの、
  どこもうまくいかない。
  いち早く成功させたのが上州只上村(現在の太田市)の名主、板橋定四郎である
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 ▼研究熱心で記録を細かく付け、やせた土地の方が適していることを突き止めた。
  サツマイモというと儒学者の青木昆陽が広めたことが有名だが、
  栽培に成功したのは定四郎の方が数年早かった
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 ▼こうした歴史も含めて地域の資源として生かそうと、
  太田では学生や住民らが植え付けや収穫を体験する活動を展開している。
  先駆者の存在にもっと光が当たるといい
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 ▼十三里と呼ばれたのは栗(九里)より(四里)うまいから。
  初めは栗に及ばず「八里半」だった。

  評価が上がった江戸後期が第1次焼き芋ブームで、
  今は第4次の最中という。
  夏場の「冷やし」のように味わい方は広がっているけれど、
  やはりこの時季に熱々を頬張りたくなる。
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★上州只上村(現在の太田市)の名主、・・とあったが
 私が知ってるのは足利市の只上で”地元の人は「ただっかり」と発音していた。
 今になって知った・・”栽培に成功したのはこの地の定四郎”とは!
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メモ:
少し江戸の庶民の食を調べてみる。

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江戸庶民の食生活
 〇江戸の町では、一人一日五合の飯を朝炊きます(上方は昼に炊く)。
 〇朝食は、その炊きたてのご飯と汁物と漬物。
 〇おかずや素材は、毎日棒手振《ぼてふ》り。
 〇豆腐、納豆、煮物、きんぴら、めざしなど、素朴なおかずが多かったようです。
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昼食は、家で仕事をするなら朝の残り物。
 外に働きに出るなら弁当か屋台。
 鰻、天麩羅、蕎麦、寿司といった、
 今日の東京に数多くの老舗が残る四大メニューは、
 当時は屋台の定番で、いわば現代のファストフードといった感覚でした。
 寺子屋に行っていた子供たちは、昼には駆け足で食事のために帰ってきます。
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夜は冷や飯を茶漬けにして漬物を添え、
 余裕があればおかずがつく程度でした。
 ご飯がたくさん食べられるよう、たくあんなどは塩よりしょっぱかったといわれています。
 おかずが少ない上に、玄米やあわ・ひえなどの穀物を食べないため、
 ビタミンB1が不足し、江戸には脚気の患者が多く、
 「江戸わずらい」と呼ばれていました。
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また、当時は箱膳文化で、
 食事時には、一人分の食器が収納された箱から食器を取り出し、
 箱のふたを裏返して膳にします。
 一つのテーブルを家族が囲むようになったのは、
 明治に入ってからで、長崎の卓袱料理(しっぽくりょうり)の影響です。

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「日々徳用倹約料理角力取組」という節約おかず番付には、
 当時の庶民が何を常食していたのかが、
 通年でランキングされている上、春夏秋冬の献立も、
 野菜物と魚介類にわけて知ることができます。
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江戸前の四天王
江戸の町を代表する、屋台発のファスト・フードをこう呼びます。
  蕎麦・鰻・寿司・天ぷらの順に発展しました
 屋台の誕生は江戸中期以降のことで、地女(じおんな)(素人の女性)の数が
 極端に少なく独身男性が多かったこと、
 せっかちな江戸っ子気質、野田や銚子で濃口醤油が作られ始め、
 江戸っ子好みの味付けが確立したことなどが人気を博しました。
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蕎麦は奈良時代にはすでにあった食材ですが、
 最初は蕎麦の実で作った「そば雑炊」や「そばがき」が主流でした。
 小麦粉をつなぎに使うことで、少し修行すれば蕎麦が打てるようになり、
 「蕎麦切り」が人気を博します。
 「蕎麦切り」は専門店ができ、
  お酒とおつまみを出すように。
  江戸末期には、一町に一軒以上の蕎麦屋がありました。
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は当初、ぶつ切りのまま串に刺して焼いていました。
 その状態が蒲(がま)の穂に似ていたことから「蒲焼き」と呼ばれるようになりました。
 非常に泥臭くて生臭く、精をつけるために仕方なく食べるものでした。
 京都から、開いてタレをつけて焼く調理法が伝わってからは、
 爆発的人気に。山東京伝が「土用丑の日」というコピーを作ったことから、
 夏場の方が売れるようになり、現在に至ります。
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 上方が腹開き、武士の多い江戸では「切腹」を痛がり、
 背開きになったと言われています。
「うな丼」は、芝居のスポンサーの大久保今(いま)助(すけ)が、
 芝居見物中に出前で取る蒲焼が、冷めないようにおからに埋めて届けられていたのを、
 「これでは味が落ちる」とご飯に埋めたのが始まりです。


「握り寿司」が誕生したのは江戸後期。
  それまでは「なれずし」か上方生まれの「押し寿司」が主流でした。
  けれど作るのに時間がかかるため、酢飯にネタを乗せただけの「握り寿司」が
  現れると全国に広まりました。ネタは下味がつけられているものが多く、
  1カンがおにぎりぐらい大きく、屋台の付け台に並べて売られていました。

江戸前の天ぷらは、
 ごま油で揚げるのが特徴です。
 そのため、「ごま揚」とも呼ばれており、串で刺して食べました。
  具材は海老、鱚、めごちなどで、野菜のてんぷらはは「精進揚げ」と
  呼ばれて区別されていました。

  安価ですぐに食べられる屋台で発展したこれらは、やがて独立した店を持ち、
  高級化して、現在和食を代表するメニューになっています。
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売り方も時代劇で目にするが・・・


最後にサツマイモの甘みと種類を・・
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