中さん

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日記(4.5)

2024-04-05 10:55:37 | 日常
2024  4月5日    (金曜日)     曇り  小雨
天気がまたよくない。

前線が通過中だ。雨の日だ!
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上毛新聞のコラムに
懐かしい岩宿遺跡のことが・・

★もう随分前になるが、桐生・足尾を抜けて日光に行く途中、
 岩宿という場所が あって何も知らず立ち寄ってあっちこっち見ていたら、
 一人だったこともあって
 しばらくビデオをのんびり見せてもらった。
 もっともっとアピールしても良いのに何故かひっそりしていたなあ~。
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 ▼考古学者の相沢忠洋さんは1946年
  人類の遺物は出土しないとされていた関東ローム層から打製石器を発見した。
  49年に明治大の研究者を案内して調査を行い、
  定説をくつがえして旧石器時代の遺跡と確認された。

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 ▼だが発見を伝える新聞に名前はなかった。
  権威主義がはびこる考古学の世界では
  「学歴がない」と認められず、不当な評価に甘んじた。
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  明治大所蔵の石器は重要文化財になったが、
  相沢さんが発見した石器は指定されなかった。

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 ▼相沢さん亡き後、正当な評価を求めてきたのが妻の千恵子さんである。
  「二番煎じが重要文化財なら、日本で最初に発見された石器は国宝だと思う
 」と訴えた
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 ▼聞けば心の痛むようなことばかりだ。
  笠懸野岩宿文化資料館(現岩宿博物館)の開館に当たっては、
  業績が俯瞰(ふかん)できるよう複数の遺跡から見つかった石器の展示をお願いした。
  しかし館長に就任した教授からは
  「必要なのは槍先形尖頭器(せんとうき)と岩宿遺跡の石器だけ」
  断られてしまった。

写真はWEB上のものを借用。
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 ▼発掘50周年を記念して発行された切手の説明文に名前はなく、
  明治大の成果のように記されていた。
  誤解を招くとして郵政相に訂正を求めたこともある
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 ▼相沢さんの収集資料がこのほど国の登録有形文化財になることが決まった。
  千恵子さんは「私もうれしいですが、相沢もうれしく思っているはず」と話す。
  あの黒曜石の石器が再評価されたことをともに喜びたい。
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〇ここの裏手の山をかけ上がった時。後ろから来る人に行き会って
気温を調べているんだと頂上の木の枝に吊るされた温度を測っていた・・何かの調査員?
話しているうちに元教員らしい。熊谷から来たことを言うと、xx先生を知ってるか?と言われて
!ああY先生”なら知ってますよ!というと”今、青森で卓球の指導をしているといっていた!”
 この先生は当時、熱血指導で当時はビンタなんて当たり前であった。
 今ではとっくにパワハラでクビだが・・。
その代わり国体連続出場を続けていたなあ・・”愛ちゃんの指導もしているよ”とか!言っていたなあ。
そんなことのあった岩宿である。
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コメント
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