まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

豊後高田商工会議所まちづくり株式会社企画担当・金谷俊樹さん激しく語る

2006年10月17日 | その他
 商工労働企業委員会の全国視察が17日から始まりました。ところが、宿泊の湯布院「七色の虹」という公共の宿泊施設にインターネット設備がなく報告をかけませんでした。遅れてのアップです。

 静岡から羽田、大分空港を経て豊後高田市の「昭和の町」に乗り込みました。この「人のいなかった」商店街になんと今は年間に25万人が訪れる観光のメッカになっています。何故かを知ることが今回のテーマでした。

 案内していただいたのが「豊後高田商工会会議所まちづくり株式会社企画担当」の金谷俊樹さんでした。1軒目の呉服屋さん、「店のお宝」はおばあちゃん、そしてそのお母さんが2代に渡ってはき続けた足袋でした。

 そして、呉服を販売するために使った荷車。視察団一行は、最初はお付き合いで昔ながらのタオルを買い込んだり。しかし、金谷さんがどうしてこんなに熱弁をふるうのか、最初はわかりませんでした。

 ところが、この後に37件の昭和の店を紹介してもらう過程で、このまちづくりにかけた豊後高田市の意気込みがだんだんに伝わってきて、最後は視察団全員が彼のパワーの源泉を理解したのでした。

 この「昭和の町」にいたる経過が、ある有名な広告会社が作ってくれたまちづくりプラン、1千万円の委託費の答えが「スポーツ施設と文化センター」、委員となった60名全員が「馬鹿馬鹿しい」。

 これでこのまちづくりも「お蔵入り」となるのが普通ですが、ここで奮起。市職員、商工会議所、商店街の何人か、20名がこのままであきらめられない、結局、自分たちで考えるしかない、の結論。

 商店街が元気だったのは「昭和30年代」、これがみんなのコンセプト。よし、それならと全国で昭和と名のつく施設や企画の100箇所を自前で調査。ほとんどが学ぶべきものはなかった、が豊後高田に必要なものは何か。

 ハードな拠点施設、そしてソフトなノウハウ商店街。昭和30年代に記憶する絵本作家・黒崎義介さんの一枚の童話絵。この息子さんがテレビ朝日のプロデュウーサー、日参で黒崎さんのすべての遺作を美術館として立ち上げ。
 
 経費は1500万円だけ。福岡に住んでいた昭和のおもちゃコレクター小宮裕宣さん、ここに1年間これまた日参、「駄菓子屋の夢博物館」が完成。これも1500万。その二つの拠点は、地元の大富豪・野沢氏の米蔵。

 多い時に1日20台からの観光バス。大成功のまちづくり観光、25万人。しかし、金指さんはは満足していません。「昭和の町」は確かに成功しましたが、観光客だけでは持たない、結局、町の住民が商店に舞い戻るか。

 観光客が来続けるということは、住民がこのまつづくりのコンセプトを理解し、昭和のまちのあの時代のモノの大切さの感覚を取り戻し、商店街に戻って来ること、それが又観光客をひきつける、それが本当の力だ、と。

 サポートは、何でも使えるまちづくりのための県の補助金制度を作った元大分県商工部長、現市長。そして、大分県は全国に比してまちづくり先進県、その巨匠・湯布院溝口薫平さんの存在、と金指さんは強調しました。

 いろん視察に参加しましたが、こんなに熱弁をふるった職員の方を見たことがありませんでした。お金も大切ですが、結局、ひとの力、マンパワーこそが時代を作り出す根源、という当たり前のことがわかった1日目でした。