マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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1年半ぶりの近況報告に盛り上がる

2020年06月07日 07時46分09秒 | むびょうそくさい
前月の10月2日は最悪状態中の診察。

頻脈の原因はそもそもの内痔核うっ血性失血。

心拍数は最大75拍までに上昇。

身体も重たい症状は失血によるもの。

ヘモグロビン値はなんと、8.8に下がっていた。

3カ月前検診の値は12.6。

基準値よりもやや下であるが、なんの問題もなかったヘモグロビン値である。

ヘモグロビン値の基準値範囲は13.7-16.8g/dl。

到底、足らない8.8。

腰は怠いどころか足は持ち上がらない、歩行困難な状態に陥った。

治療は処方箋の服用であるが、即効性はない。

貧血状態の血液欠乏症を処置する薬は毎日に1回は服用する鉄分補給剤のフェロ・グラデュメット105mgがある。

毎日は1錠の服用であるが、血液補充にもう1錠を追加。

7日分を服用した10月9日の採血結果は9.2。

まだまだ不足気味に向こう1カ月と10日間先までの毎日は2錠服用で経過を診てもらう。

次の診察日までの経過を診るには心拍数もあるが、腰の怠さなど体調でわかる。

10月2日の朝は66拍。昼は71拍の晩が72拍。

10月3日の朝は54拍。昼は67拍の晩が70拍。

10月4日の朝は51拍。昼は52拍の晩が51拍。

10月5日の朝は52拍。昼は63拍の晩が52拍。やや落ち着いた心拍数になったものの体長は思わしくない。腰も足も思い動きでわかる。

10月9日の朝は63拍。昼は65拍の晩が63拍。私の場合は心拍数が63拍以上になれば人様より動悸が激しく感じる身体。どっと疲れたような気分に陥る。

以降は63拍以上になった日だけを抽出してみる。

10月10日の朝は66拍。昼が67拍の晩が69拍。

10月11日の朝は67拍。昼が65拍の晩が63拍。

10月12日の朝は54拍。昼が65拍の晩が73拍。

10月13日の朝は61拍。昼が69拍の晩が66拍。

10月14日の朝は69拍。昼が61拍の晩が69拍。

10月15日の朝は55拍。昼が69拍の晩が79拍。

10月16日の朝は66拍。昼が70拍の晩が74拍。

10月17日の朝は60拍。昼が73拍の晩が65拍。

10月18日の朝は48拍。昼が69拍の晩が62拍。

10月19日の朝は52拍。昼が52拍の晩が58拍。

10月20日の朝は51拍。昼が60拍の晩が61拍。以降は62拍以下が続く。

起床時の心拍数が顕著になった。

私の場合は心拍数が40台であれば身体も精神的にも落ち着く。

もちろん呼吸も・・。

10月22日以降の起床時心拍数は47拍、49拍、43拍、50拍、46拍、48拍、47拍、60拍、46拍、50拍、44拍、49拍、46拍、66拍、47拍、43拍、49拍、46拍、48拍、47拍、56拍、46拍、46拍、49拍、46拍、44拍、46拍、43拍、46拍。

前日の19日までの経緯をみれば大丈夫、といえるほどに体調が戻った。

毎日の記録は診療受診する病院内のリハビリ室受付でもらっている『わたしの生活習慣手帳』に記している。

測る項目は起床時の体重と血圧/心拍数。

それから朝、昼、晩の3食後ごとに測る血圧/心拍数。

計測したデータをみれば一目瞭然。

数字ばかりでは後々にピンとこなくなるので、特異な状態のときはピンンク色のマーカーペンで塗っている。

また、特異な状態に非常時の薬剤を服用した場合は文字記入で記録しておく。

主治医の循環器内科医師に泌尿器科の医師の了解を得て、ご自身でコントロールして服用処置をしている薬剤がある。

循環器内科系は頻脈症状を解消するワソラン錠。

泌尿器科はレボフロキサシン錠500mg「DSEP」所持を認めてくださっている。

さてさて本日の循環器内科診察である。

院内に到着した時間帯は午前9時。

採血は順番待ちに30分間。

整理番号シートには採血結果がわかるのは11時6分とある。

で、あれば循環器内科医師の診察はたぶんに11時半になるだろうな。

事実、その通りの状況で採血呼び出しは午前9時30分。

終わった時間は9時38分。

次の心電図検査は9時48分に終わった。

それから長い時間を待つわけだが、長時間の楽しみは普段、滅多に読めない本を読む。

老眼鏡をかけて読む本はきちんとした温泉の歴史本であるが、この日は読み始めると同時に目が塞ぐ。

疲れているのか、それとも・・・。

たっぷりの睡眠をとらせてくれた待ち時間。

たまにはこういう日もあってほしいと願っていたから、そうなっただけのようだ。

循環器内科の呼び出し時間は午前11時半。

予想通りであった。

心拍数も心拍の波も特に問題はないという。

院内で計っておいた心拍数は60拍。

身体がほどよく動いている場合は60拍くらいになる。

動悸パクパクにならない心拍数である。

p波も綺麗な線を描いているから申し分ないという主治医のI循環器内科医師。

で、気になるヘモグロビン値は・・・10.8。

前回の9.2からは改善になっているが、基準値にはほど遠い値である。

適用していたフェロ・グラデュメット105mgは継続服用。

毎日の朝と晩に1錠を服用する。

そういう状況であるが、ワーファリン錠など、他に減薬はないでしょうか、と聞いたが、回答は現状維持である。

記録している『わたしの生活習慣手帳』のデータを診られた医師の判断である。

次の診断は3カ月後の2月12日。

その間に何事か起こったときには、また緊急連絡でということである。

3カ月後が楽しみなヘモグロビン値。

せめて、今年の7月測定値のような12.6になっていたいものだが・・。

失血のないように気をつけなければいけない排便。

今のところ快便が続いている日々。

今夏より常用している小林製薬のナイシトールGの効果である。

ここ1カ月前くらいからは夕刻になればガスがぶすぶす排出される。

腸内の動きも活発。

お腹が減る回数も戻りつつあるのが嬉しい。

ちなみに本日の採血結果のPT-INRは1.88H。

前回が2.47だったが落ち着いて基準値に近づいている。

また、BNPは37.2H。

前回は34.4H。

基準値より高いが問題のない範囲の結果であった。

さて、次回が来年となれば毎日を記録している『わたしの生活習慣手帳』が期限切れ、いや記帳切れになる。

そうとわかれば来たついでに立ち寄るリハビリ室。

前年の3月末までひたすら毎週のリハビリ訓練をしていた部屋である。

受付に申し出たら、あれま・・。

半年に一度はもらいにくる受付の職員は顔なじみ。

もうすぐリハビリが終わるのでちょっと待ってという。

そう、指導しているリハビリ療法士の先生方は午前12時までの午前の部の指導にあたっていた。

もうすぐ終わるから待っていてね、ということだ。

受付に立っていた私を察知したリハビリ療法士のIさんは手を振って、もうちょっとねと言いたげな表情をみせる。

運動していたリハビリ患者さんはみなが階下に降りられてから、久しぶりのご対面。

そういえばすっかりスマートになられて・・・。

距離が離れていてもわかるよといえばにやにや。

出産から1年3カ月。

そろそろリバウンドにやってきそうだと・・。

話題はやはりの卒業後の1年と半年。

通院、ならびに普段の身体状況を伝える。

この日も入手した『わたしの生活習慣手帳』に卒業後もずっと記録していると伝えたら、こんだけきちんと整備しているのは貴方だけよ、という。

脈拍状態によっては主治医の許可を得てワソラン錠を飲んで対応している、と話したら驚いていた。

セルフコントロールができる貴方だから医師も許可されたって凄いと・・。

もう一人のリハビリ療法士はGさん。

にこにこ顔で近づいてきた。

話題はⅠさんと同様に近況報告であるが、リハビリ室も新しく導入した取り組みがあるという。

私と同じように卒業していった患者さんと現在治療中の患者さんと交友をはかるイベントを設けたそうだ。



リハビリ中の患者さんは先が見えない。

いつまで続けるリハビリ運動。

不安な気持ちが募る。

卒業した人は何人もいる。

卒業してから先が見えるようになったという元患者さん。

その後の体験談リハビリ運動中の患者さんに少しでもお役に立ちたいと申し出て始まった「サロンポラリス」。

卒業した患者さんは体験を“語り、訓練中の患者さんが体験を”聴く“。

先が見える元患者さんの体験談よって、不安を取り除いた運動中の患者さんはより一層のリハビリ運動に”進む“ことができることを目的に始まった心臓リハビリ患者さんと家族のサロンである。

1回目が好評だったことから2回目もしますという案内である。

卒業されて取材活動にも復帰された貴方ならではのお話しを、とお願いされた。

まんざらでもないが、喋り過ぎる可能性が高いなぁ、とGさんがいう。

たぶん、その通りになってしまうからと云ったら笑っていた。

また、来ますと云って場を離れて廊下に出たら、これまたなんと、院内患者さんの処置をして戻ってきたリハビリ療法士のSさんとばったり出会う。

懐かしい顔にまた同じような近況を・・。

手帳の交付だったつもりが近況報告の場になった。

精算支払いに1階に戻った時間帯は正午の45分だった。

(H30.11.20 SB932SH撮影)