小田原周辺のマイナースポットや些細な出来事を少しずつ
小田原の端々



ブログを始める前に撮りだめた風景写真の中から、前回に引き続き2009年12月の風景を紹介します。2009年12月分のアーカイブはこの記事で最終回。年も押し迫った29日と31日にポタリングに出かけた際に撮影した風景です。 2009年12月29日は昼過ぎからポタリングに出かけました。写真を辿っていくと国道1号沿いから国府津経由で曽我周辺を散策した記録が残っています。国道1号を移動中に解体工事が行われていた西酒匂の湯快爽快さかわ跡とパチンコ店跡へ。湯快爽快さかわは2006年に閉店、跡地はマンションの建設計画がありましたが頓挫して、しばらくは更地のままでした。御殿場線は踏切を渡らずに寺横跨線橋を通り曽我梅林方面へ。以前の寺横跨線橋は落書きが酷かったですが8年くらい前に塗りつぶされました。長閑な曽我丘陵の風景と殺伐とした落書きの対比が、なかなか印象的な眺めでした。曽我丘陵中腹の路地を縫うように散策しながら目に付くものを撮影。その中には、現在は無くなってしまっている雄山荘の門を撮影したものが何カットかありました。雄山荘は太宰治の小説「斜陽」の舞台になった建物でしたが、3日前の2009年12月26日に火災によって母屋が消失してしまいました。曽我の路地には古い納屋や蔵があって情緒を感じる街並みが点在していますが、この木造の納屋のある路地の風景は結構好きでした。残念ながら木造の納屋は取り壊されて、現在では住宅が立ち並んでいます。 2009年の大晦日もポタリングに出かけていました。この日は酒匂川沿いを軽めにポタリング。西酒匂の快爽快さかわ跡の解体工事現場を酒匂IC側から撮影。現在はヨークマート酒匂店になっています。西酒匂から左岸沿いの道路を飯泉方面へ。途中で飯泉取水堰の風景を何枚か撮影していました。飯泉取水堰横の道路は2012年から通行止めとなり、現在は写真を撮った場所に立ちることが出来なくなってしまいました。飯泉のガスホルダーも間近で何カットか撮影。奥のガスホルダーは2018年の秋に解体されてしまい、現在は手前に写っている1基だけになっています。大晦日の夕方は相模沼田のさくらい食堂に行くために緑町駅から大雄山線に乗車。緑町駅周辺は2度の火災で住宅や店舗が少なくなってしまいましたが、2009年暮れの時点ではまだ住宅や店舗に囲まれていて、路地裏に駅があるような佇まいでした。

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