いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 福島 はらこ飯

2024-05-03 07:10:42 | 郷土料理

 「はらこ飯」

 主な伝承地域 相馬市、南相馬市、浪江町

 主な使用食材 はらこ、ご飯

 歴史・由来・関連行事
 松川浦や浜通りの河川では、秋になると新鮮な鮭を獲ることができる。中でも請戸川は、福島で最初に鮭の人工ふ化を取り入れた場所としても有名で、以前は毎年鮭の捕獲を行う時期に鮭祭りを開催していたほど。最盛期には1日1,000尾から3,000尾の水揚げがあった(浪江町ホームページより)と言われ、鮭漁の名所として知られている。
 鮭が多く獲れる時期には鮭料理が多く振る舞われ、郷土料理にも鮭が使われている。鮭の卵であるいくらを「はらこ」と呼び、はらこをたっぷりとご飯にのせて食べるのが、「はらこ飯」。新鮮な鮭から袋ごとはらこを取り出し、薄皮を丁寧に取り除いたあとに鮭と醤油に漬けて作る。

 食習の機会や時季
 9月の下旬から11月まで、鮭は産卵のために遡上し、鮭の捕獲が始まる。かつて実施されていた川幅ほどの大きな網による地曳網漁は圧巻で、これを見るために遠方から観光客も訪れていたほど。漁を行っている間は、近隣の食堂で獲れたての鮭を使った料理が振る舞われ、はらこ飯を食べることができた。

 飲食方法
 鮭からはらこを取り出し、下ごしらえをして酒と醤油に漬けておく。これを炊き上がったご飯にたっぷりとのせて食べる。家庭で作る際は多めに作って冷蔵庫に保管しておき、何度かに分けて食べることもあるという。また、福島では、鮭の切り身やこんにゃく、里芋、ねぎをだし汁で煮込み、味噌で味付けた「紅葉汁」と一緒に食べることが一般的。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 各家庭で作られるほか、県内の飲食店や宿泊施設で振る舞われている。また、旬となる9~11月頃には特設の食堂が設けられ、提供されることも。そのほか、小学校や中学校でふるさと学習を行い、はらこ飯を実際に作って振る舞うなど、保存・継承の取り組みを行っている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_12_fukushima.html より

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<伝統野菜> 熊本 鶴の子いも -追記あり-

2024-05-03 07:06:42 | 伝統野菜

 「鶴の子いも」

 熊本県
 鶴の子いも (つるのこいも)
 分類:野菜
 【見た目】
 肉質は、粘質で煮ても形くずれしない。
 【食味】
 粘りが強く、硬くて煮くずれしにくいため、高森田楽で使用されている。
 【由来】
 石川早生長の系統の在来種。”阿蘇郡高森町色見地区には、郷土料理として古くより「高森田楽」がある。数百年前、肥後国地方領主、阿蘇大宮司候が諸処巡察の折、鍋の平をを宿場としておられた。この時、地元住民が手作りのイモをの串焼きを献じ、大変喜ばれたのが栽培の始まりともいわれている。”と「地方野菜大全」(タキイ種苗出版部)で著者の元熊本県農業試験場長の河野清氏は記述している。
 【調理法・加工品等】
 子芋を利用する里芋、田楽の串に刺して焼く田楽用いもとして利用される。
 【生産の見通し】
 現状維持
 【種子の入手先】
 自家採種

*http://g-foods.info/zukan/product/product_907.html より

 

 「鶴の子いも」

 【生産地】高森町色見地区

 【特徴】子芋を利用する里芋。肉質は、粘りが強く、硬くて煮くずれしにくい。

 【食味】

 【料理】郷土料理の田楽の串に刺して焼く「高森田楽」用

 【来歴】石川早生長の系統の在来種。「地方野菜大全」(タキイ種苗出版部)著者:元熊本県農業試験場長の河野清氏の記述によると、「数百年前、肥後国地方領主、阿蘇大宮司候が諸処巡察の折、鍋の平を宿場としていた。この時、地元住民が手作りの芋の串焼きを献じ、大変喜ばれたのが栽培の始まりとされる」と記されている。

 10月に霜に合ってから収穫し、圃場の中に掘った穴に埋め、3月に掘り出して使う。

 現在は掘り出したものを契約してある田楽屋に出荷、残ったものを自家用として利用。

 「くまもとふるさと野菜」に選定。

 【時期】3月 高森田楽を出す飲食店との契約栽培のため、一般には出回らず青果としての入手は困難。高森町内の田楽を出す飲食店で田楽として食べることは周年可能。

*https://tradveggie.or.jp/43-kumamoto/#i-27 より

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<B級ご当地グルメ> 岩手 山形村短角牛バーガー

2024-05-03 07:01:31 | B級ご当地グルメ

 「山形村短角牛バーガー」

 都道府県 岩手県
 地域 岩手県久慈市
 推進団体 まめぶの家
 概要 「山形村短角牛バーガー」は、岩手県久慈市の新ご当地B級グルメ。
 岩手県内のパンコンクールにて優勝経験のある久慈市山形町に唯一のパン工場のバンズを使用し、「幻のお肉」と言われる山形のブランド牛『山形村短角牛』をハンバーグに使用している。

 全国商工会連合会主催の「地域力(ぢから)宣言」に出展、「まめぶ汁」に続きB1グランプリの出場を目指す。

 夏山冬里方式で育てられている純国産エサを食べて育った『山形村短角牛』のお肉を使ったご当地バーガー。
 東日本大震災直前に誕生し、震災後は、1,000個販売し、500円のうち100円は、義援金として、久慈市に100,000円寄付しました。小さい援助ですが、今後も支援していきます。From あにきのずんどこ様

 ご紹介ありがとうございます。
 震災支援炊き出しの記事、心が熱くなりました。微力ながら知名度アップ応援します!(管理人)

*https://b9navi.com/%e5%b1%b1%e5%bd%a2%e6%9d%91%e7%9f%ad%e8%a7%92%e7%89%9b%e3%83%90%e3%83%bc%e3%82%ac%e3%83%bc/ より

 「山形村短角牛」

 いわて山形牛短角牛ってどんな牛?

 南部牛がルーツです。
 南部牛は、旧南部藩時代に岩手の沿岸と内陸を結ぶ「塩の道」の物資輸送で 活躍していました。この牛に明治以降輸入されたショートホーンを交配・品種改良の末に誕生したのが、日本短角種(短角牛)です。昭和32年には日本固有の肉専用種として認定されました。現在は岩手を中心に飼育されていますが、その飼育頭数は、肉用牛全体からするとわずか1%に過ぎない貴重な存在です。

 「夏山冬里」で飼育されています。

 山形村短角牛は北上高地の厳しい自然環境に適応してきました。その飼育方法は、雪に閉ざされる冬は牛舎の中で育ち、春になると広大な放牧地に母子で放牧され、秋には里に再び降りてくる「夏山冬里」方式がとられています。放牧期間中には自然交配も行われ、厳寒期に出産するというサイクルを繰り返します。人工授精、屋内飼育が一般的な黒毛和牛とは異なり、牛本来が持つ生命力と風土の特徴を活かした飼育方式が短角牛の大きな特徴です。

 良質な赤身肉。ヘルシーさが魅力です。

 自然の中で育つ山形村短角牛の肉質は、低脂肪で味の良い赤身が特徴。霜降り重視の黒毛和牛の肉質評価とは異なる価値基準で、健康的な牛に育てています。しなやかにひきしまった短角牛の赤身には、旨味の源となるグルタミン酸やイノシン酸などもたっぷり含まれており、噛むほどに味わいが増す滋味の豊かさが自慢。健康志向から注目が高まっています。

 調理法を選ばない万能なおいしさです。

 健康的で質の良い短角牛の赤身肉は、黒毛和牛と比べ、牛肉本来の力強い味わいを持っています。そのため、和食・洋食を問わず、様々な調理方法でお楽しみいただけます。とくに、霜降り肉ではなく、赤身肉の滋味深さを好むイタリアンやフレンチのシェフからは高い評価を受けています。

*https://nousya.jp/?page_id=20 より

山形村短角牛バーガー
旧山形町の学校給食でも使われているふかふかの柔らかいバンズを使ったハンバーガー。食べごたえのある短角牛のハンバーグをサンドしていますので豪快にかぶりついて味わってください。

*http://www.mamebunoie.com/osinagaki.html より

 

 

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うまいッ! NHK「凝縮したうまみのしずく 玉露~京都・宇治市~」

2024-05-03 06:48:03 | うまいッ!NHK

 うまいッ! 「凝縮したうまみのしずく 玉露~京都・宇治市~」 2015年06月28日

 番組内容
 緑茶の最高級品・玉露は、うま味の元になるアミノ酸「テアニン」が多く、渋みが少ないのが特長。最大の産地である京都・宇治市のお茶農家では、一番茶の新芽が伸び出した頃から、畑全体に大きな覆いをかけて日光を遮り、葉の状態を見ながらベストの味に仕上げます。うま味を極限まで突き詰めた、究極の茶“玉露”の味の秘密とは?さらに、国内のお茶の消費量が減る中、海外の日本茶ファンを拡大しようとする取り組みも紹介します。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201506280615001302100 より

 詳細不明につき、勝手に調べてみました。

 「玉露」

 玉露(ぎょくろ)とは、日本茶の一種。日本茶業中央会「緑茶の表示基準」では「一番茶の新芽が伸び出した頃からよしず棚などにコモ、藁、寒冷紗などの被覆資材で20日程度覆って、ほぼ完全に日光を遮った茶園(「覆下園」)から摘採した茶葉を煎茶と同様に製造したもの」と定義されている。

 一般的に茶において旨味の要因となるテアニンは根で生成され、幹を経由して葉に蓄えられる。テアニンに日光があたると渋みの原因となるカテキンに変化する。すなわち、玉露の原料となる茶葉は、収穫の前(最低二週間程度)日光を遮る被覆を施されることにより、テアニンなどのアミノ酸が増加し、逆にカテキン類(いわゆるタンニン)が減少させる効果がある。

 由来
 「玉露」の名前は、製茶業者山本山の商品名に由来。

 天保6年(1835年)に山本山の六代山本嘉兵衛(徳翁)が18才のとき、宇治郷小倉村の木下吉右衛門の茶製造場に行ったとき、自ら手をくだして蒸葉をかき混ぜてみた。乾燥するにつれて手につき小団形の茶が出来上がった。職人たちと数度再現し、試飲するに気品ある風味と鮮麗な色沢ある甘露のような茶が得られたので、嘉兵衛は「玉露」と命名。江戸に帰って諸侯、旗本、茶人、識者等に贈った。すると忽ち絶賛の声が集まり、最上品として広く愛用。江戸名物の1つとなって拡がった。当時は茶葉を露のように丸く焙っていた。その後、明治初期に製茶業者の辻利右衛門(辻利)が現在行われる棒状に焙る形を完成した。

 なお、京都府宇治市の巨椋神社境内には山本嘉兵衛の逸話に因み「玉露製茶発祥の碑」が建立されている。

 特徴・品種
  玉露は日本の煎茶として高級のものと考えて良いが、品評会等では一般的な煎茶とは別のものとして扱われる(煎茶の狭義と広義の説明を参照)。飲用に際して、玉露の滋味と香気の特徴を活かすには、60℃程度の低温(茶葉によっては40℃前後まで温度を下げる場合もある)の湯で浸出することが重要である。玉露はその甘みが特徴であり、高温の湯で淹れると苦味成分まで抽出してしまう。

 煎茶道ではこれらの性質を踏まえ、玉露の点前において、最初に湯冷ましに注ぐなどして冷ました低温の湯を用いて甘みを出し、その後に高温の湯を用いて苦味を味わう「二煎出し」を行う流派が多い。二煎目に中間程度の湯で渋みを出す手順を加えた「三煎出し」の点前を持つ流派も存在するが、1回の点前に必要な時間が延びる・茶葉によっては二煎目までに成分がほぼ浸出しきってしまう等の問題があるため、大規模な茶会では「二煎出し」が主流となっている。用いる急須は小ぶりな後手や宝瓶(泡瓶)が用いられることが多く、茶碗も煎茶用に比して小さい。

 茶木の品種についても、煎茶をはじめとする日本茶ではヤブキタを使用するものが多いが、玉露には、アサヒ、ヤマカイ、オクミドリ、サエミドリなど、個性の強い品種が使われることが多い。玉露の呼び名自体に特に規定があるわけではなく、特に茶飲料の「玉露入り」に配合されている茶葉は、棚を作らず化学繊維で茶の木に直接カバーを掛け、かつ被覆日数の浅いかぶせ茶に近い物である場合も多い。

 そのため、最大の玉露産地である福岡県八女地域では特に、以下の条件を満たす茶葉について「伝統本玉露」と呼んで区別している。

 ・茶樹の枝を剪定をせず、芽を自然に伸ばし、
 ・稲藁で、茶の木と距離を取った棚から被覆し、
 ・しごき摘みで一心二葉を手摘みした
 全国茶品評会に出品されている高品質の玉露は、全て伝統本玉露である。

 生産
 玉露とかぶせ茶
 日本茶業中央会「緑茶の表示基準」(2019年版)では「緑茶」と「かぶせ茶」を区別している。

 緑茶:「一番茶の新芽が伸び出した頃からよしず棚などにコモ、藁、寒冷紗などの被覆資材で20日程度覆って、ほぼ完全に日光を遮った茶園(「覆下園」)から摘採した茶葉を煎茶と同様に製造したもの」
 かぶせ茶:「摘採前7日程度藁や寒冷紗などの被覆資材で覆った茶園から摘採した茶葉を煎茶と同様に製造したもの」
 2008年、三重県の玉露の生産量が前年に比べ40倍以上になった(2008年132t、2007年3t) 。

 2008年 茶種別荒茶生産量(主産県別)
-   おおい茶 玉露(t) (前年比%) おおい茶 かぶせ茶(t) (前年比%) おおい茶 てん茶(t) (前年比%)
 静岡     12    109        132    103       211    105
 三重      132    4400        1660     119        x     x
 京都      140    95         170       89       791    102
 福岡     99    103        476      99          4     67
 熊本     16    200        40     93        -      -
 これは従来の玉露が「一番茶の新芽が伸び出した頃からよしず棚などに藁や寒冷紗などで茶園を20日前後覆い、ほぼ完全に日光を遮った茶園(「覆下園」)から摘採」とするのに対し、三重県は直接シートかけて20日程度遮光した茶葉のうち品質の高いものも玉露と認定し、従来かぶせ茶に当っていた茶が玉露とされたことによる。これに対し福岡県、京都府、静岡県の生産団体が、消費者の混乱を招きかねず従来基準通り玉露と「直接掛け」のかぶせ茶と区別するべきと反対した。玉露とかぶせ茶の販売価格差は大きく玉露は100g1,500〜3,000円で販売され、かぶせ茶の3倍ほどという。

 農水省の2009年以降の統計では玉露、かぶせ茶、てん茶を一括でおおい茶とし、「おおい茶については、近年増加している20日前後の直接被覆による栽培方法の扱いが明確化するまでの間、暫定的に玉露、かぶせ茶及びてん茶を一括しておおい茶として表章する」としている。

 その後、日本茶業中央会が定めた「緑茶の表示基準」では「緑茶」と「かぶせ茶」を先述のように区別している。

 副産物
 玉露荒茶から玉露を作る過程で取り除かれる部位をあつめた茶がある。雁ヶ音、白折は、茎や葉軸の部分を集めた茎茶の一種である。葉に比べて光合成反応が少ない部位のためテアニン濃度が高いと考えられ、香・味の成分も玉露に劣らず含まれる。玉露芽茶は、芽や葉の先端がちぎれて丸まった断片などを集めたものである。玉露とは色、味の濃さや抽出時間などに違いが出るが、これも茶葉そのものの品質や味が劣るものではない。いずれも副産物のため一級品ではないとされ、また認知度も低いことから玉露に比べ安価である。

 備考
 良く似た商品名として佐賀県、長崎県、鹿児島県等で作られる「玉緑茶(たまりょくちゃ。グリ茶とも)」という物があるが、これは製造工程に「精揉(形をまっすぐに整える)」が存在しない、茶葉が丸みを帯び、淹れた煎茶の味に渋みが少ない茶葉の事であり、玉露とは関係ない。

*Wikipedia より

 宇治市の玉露がなぜいいのか?「宇治市」というだけでは難しい。各農園・製茶業者などが独立しているため、統一した根拠は見いだせない。単に「生産地」というだけである。

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<料理用語-和食> 鍬焼き

2024-05-03 06:28:54 | 料理用語

 「鍬焼き」

 肉(主に鳥の肉)や野菜を、みりん醤油で味付けして鉄板やフライパンなどで焼く間接焼きの一つ。たれを添える場合もある。

 仏教の影響があり昔は鳥獣肉を表立って家の中で食べるのを避け、納屋の中で農具の鍬とか鋤を焼き鍋代わりにして鳥肉等を焼いて食べていた。これが「くわ焼き」「すき焼き」の語源となっている。

*https://temaeita.net/top/t2/kj/7_E/030.html より

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<異名-人物> サメの脳みそ

2024-05-03 06:24:54 | 異名

 「サメの脳みそ 森喜朗」

 森 喜朗(もり よしろう、1937年〈昭和12年〉7月14日 - )は、日本の政治家。

 内閣総理大臣(第85・86代)、建設大臣(第62代)、通商産業大臣(第54代)、文部大臣(第105代)、内閣官房副長官(福田赳夫改造内閣)、総理府総務副長官(第14代)、衆議院議院運営委員長、同大蔵委員長、衆議院議員(14期)、自由民主党総裁(第19代)、自由民主党幹事長(第34・37代)、自由民主党総務会長(第38代)、自由民主党政務調査会長(第37代)、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長(初代)を歴任した。

*Wikipedia より

 「サメの脳みそ」などといわれたことも。その後いろいろあるらしいが(笑

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<難読漢字-動物> 海豚

2024-05-03 06:13:00 | 難読漢字

 「海豚 いるか」

 イルカ(海豚、鯆)は、哺乳類偶蹄目(鯨偶蹄目)に属する鯨類の内、小型の種の総称である。なお、イルカとクジラは分類学的には明確に区別されない。

*Wikipedia より

 イルカの語源

 諸説ありますが、イルカの「イル」は「イヲ(魚という意味)」で、「カ」は食用獣を意味し、「イヲカ(魚のような食用獣)」から転じたという説が有力なようです。
 他にも、よく入り江に入って来ることから、「イルエ(入江)」が転じたという説など、その他複数あるようです。
 ちなみに漢字では「海豚」と書きますが、これはもうご存じの通り、中国で顔が豚に似ているとされたことから、海に棲む豚ということで海豚です。

*https://www.enosui.com/diaryentry.php?eid=02306 より

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<慣用句・諺> 蝶よ花よ など

2024-05-03 06:07:31 | 慣用句・諺

 「蝶よ花よ」

 子供を非常にかわいがり大切にするたとえ。多く女児にいう。

 

 「礼昂じて尼になる-ちょうらいこうじてあまになる」

 信心が厚すぎて、とうとう仏門に入って尼になる。

 

 「ちょっかいを出す」

 1 よけいな手出しや干渉をする。

 2 女性にたわむれに言い寄る。

 

 「緒に就く-ちょにつく」

 物事に着手する。物事が始まって軌道にのり、見通しがつく。しょにつく。

 

 「ちょんになる 」

 1 《芝居で幕切れに拍子木を打つところから》物事が終わる。多く、あっけなく終わる意に用いる。

 2 首を切られる。免職になる。

 

*goo辞書 より

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<日本酒メーカー> 秋田 八重寿銘醸

2024-05-03 06:01:02 | 日本酒

 「八重寿銘醸」

 八重寿の前身は、昭和25年東京市場へ秋田県産酒を販売するため、日酒販の提唱で県下の酒造家10社の統一銘柄として発足しました。その後酒質の均一化を目的に、昭和39年9月、県内酒造家8社と日酒販が共同出資し、共同瓶詰工場として、八重寿銘醸株式会社が大仙市大曲に設立されました。

銘柄の由来について
日酒販で社内公募の結果、本社が東京八重洲にあることから、八重洲の「州」をめでたい「寿」にかえて「八重寿」と命名された。白神山地の世界自然遺産登録をきっかけに生まれた特定名称酒のシリーズ「白神山地の四季」も好評です。

 八重寿銘醸 秋田県大仙市若竹町26番19号

*https://www.osake.or.jp/kuramoto/iframe/s301.html より

 代表銘柄

八重寿 美山錦 純米酒 白神山地の四季

「美山錦」を純米吟醸並みの60%まで磨き醸した味わい豊かな純米酒。

ふくよかで素朴な心地よい米の旨みと香りをもった辛口酒です。

アルコール分 15.0~15.9%
原材料 米 米麹
原料米 美山錦
精米歩合 60%
日本酒度 +5.0
酸度 アミノ酸度 1.4 / –
使用酵母 協会901号

*https://moesake.com/taru/product/yaesu_miyama_j720/ より

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<四国八十八箇所> 第33番札所 雪蹊寺

2024-05-03 05:50:40 | B級ご当地グルメ

 「雪蹊寺」

 雪蹊寺(せっけいじ)は、高知県高知市長浜にある臨済宗妙心寺派の寺院。高福山(こうふくざん)、幸福院(こうふくいん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第三十三番札所。

 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
 ご詠歌:旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明(ありあけ)の月
 納経印:当寺本尊、奥の院中谷堂
 歴史
 寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという。

 寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。

 なお、『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。

 その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 – 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。

 江戸時代初期には「南学発祥の道場」といわれ天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍、野中兼山などの儒学者を生み出した。

 明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870年)廃寺となり、翌年、本堂跡に当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立された。明治12年(1879年)大玄和尚により維新館[5]の跡地に再興、明治44年(1911年)までに寺域を拡張して本格的な復興を遂げた]。なお、明治12年に再興されるまで納経は、31番竹林寺で「高福寺」の名でされていたという。

 境内

 本堂:平成16年改築
 霊宝殿:本堂の背後に建ち昭和32年建立、本尊・薬師如来を含む重要文化財の全16躰が保存されている。平成26年11月12〜16日一般公開された。
 大師堂:明治43年建立
 馬頭観音堂:昭和6年改築、馬頭観音は旅の安全を守るとされ、遍路の信仰が厚い。天井には松洞庵・横井五仙の天女絵が描かれている。
 安産子安地蔵堂:平成16年改築
 正一位稲荷大明神(祠)
 太玄塔・玄峰塔:17代山本太玄住職、第18代山本玄峰住職の供養塔。
 長宗我部信親(元親の長男)の墓
 句碑:芭蕉「閑さや岩に沁ミ入る蝉能聲」が大師堂の右前にある。
 鐘楼:昭和52年改築
 石柱門から境内に入ると右に鐘楼、左に手水場がある。正面に本堂が建ち、その右横に大師堂がある。本堂左手に客殿・納経所があり、その左に馬頭観音堂がある。

 宿坊:なし。
 駐車場:10台、大型5台(要志納金 参考までに普通車で100円)

 文化財
 重要文化財
 木造薬師如来および両脇侍像 3躯 - 檜材寄木造、漆箔、玉眼、像高:中尊140.0cm、左脇侍(日光菩薩)173.3cm、右脇侍(月光菩薩)172.4 cm、鎌倉時代。明治44年4月17日指定
 附:木造十二神将立像10躯 - 檜材寄木造、彩色、玉眼、像高:1号像87.2 cm・2号像84.6 cm・3号像85.5 cm・4号像88.9 cm・5号像89.8 cm・6号像84.5 cm・7号像82.8 cm・8号像86.2 cm・9号像88.0 cm・10号像83.5 cm、鎌倉時代・海覚作[8]
木造毘沙門天および脇侍吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ)立像 3躯 - 檜材寄木造、彩色、玉眼、像高:毘沙門天166.5 cm・吉祥天79.7 cm・善膩師童子71.7 cm、鎌倉時代、湛慶作。毘沙門天像の足枘の墨書銘に「法印大和尚位湛慶」とあり、湛慶の数少ない真作の一つとわかる。明治44年4月17日指定。毘沙門天像の右腕と左手首などが失われている。

 雪蹊寺 高知県高知市長浜857番地3

*Wikipedia より

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