ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

日は暮れて

2022-03-10 | わたしの思い

anglicancompass.com

 

 

かなり更新の間が長かったが、その間に世界の情勢は途方もなく変わってしまった。時折自分がテニスンの「イノック・アーデン」やワシントン・アーヴィングの「リップ・ヴァン・ウィンクル」の世界に足を踏み入れたかのようにさえ感じる。

それもたったのひと月、ふた月という短いうちに。それはブログの更新が長引き、長いといえば長く、短いといえば短いことなのだが。

Covid-19に関していえば、夫も私もここまで無事にやり過ごしてきて、今更マスクをかけなくとも良い、と言われても、人前に出るたびに、つい装着するのが癖になっている。加州知事の、マスク装着は義務ではない、という声明をかなり以前に聞いても、自分の健康は自分で守りたいものだ、というスタンスであり、第一州立大学の職場でも、学生、教授陣、スタッフはみな義務付けられている。(それも今週末には緩和される。ただし、感染事態は決して好転はしていない。)

ブログを更新しなかったのは、少なくとも健康に関してではなく、ブログを書くことに使う時間を本来使っていた別のこと、それは系図探究・調査や、じっくりと家事をしたい、という単純な理由からである。いつのまにかブログを始めて5年目に入り、いささか驚き、5年という節目を迎えて、続けるべきかはたまた辞めるべきか、ハムレットのごとく悩んでみたが、結局ブログは日記のようなものかもしれない、とあまりきっぱりとした結論を出さないことにした。

閑話休題、かつて我が家の隣人にウクライナからのウクライナ人一家がいた。父親は大陸横断をするトラック運転手で、母親は母親をフルタイムでしていた。何人かの子供たちは上が中学生ほどで、下の子供は乳児だったと思う。きちんと英語を読み書きし、子供たちはしつけが行き届いていた。クリスマスの挨拶にご近所に配るクッキーを季節にあわせたプレイトに盛って届けたらとても喜んでくれたのを覚えている。何故ならすぐ翌日家族の釣果のマスを自宅で薫製にしたものを何匹かお裾分けしてくれたのだ。ウクライナから移ってきたのだから、いつかゆっくりお話してみたいものだと思っていたが、間も無く一家は、近くの別の戸建てに移った。それまでの家は貸家で、持ち主が売却することにしたのでウクライナ人家族は越したのだった。

ウクライナの刻々と変化する状況を目の当たりにして、夫と私は、あのご家族はいったいどうなさっているだろうか、と話す。すでにこちらへ一家で移住していたとは言え、両親や祖父母や親戚や友人たちのことに気持ちもそぞろになり、やるせなさをお持ちではなかろうかと、ふとそんなことまで気を馳せる。普通に暮らしていたのに、ある日隣の大国が、この国とて以前は「うちのもの」だった、と侵攻してくるなど、この21世紀のご時世に本当に起こるなんて、と世界中が驚き呆れるばかりだ。

ふと思えば、まだ幼い学び舎にあった私でも1968年のチェコ侵攻、1979年のアフガニスタン侵攻、8年前のクリミア侵攻、と思い出されるロシアの無理やりが4件も脳裏に浮かぶ。第一、いまだ日本の北方領土は、”Backward”(後進、逆戻りなどの意味)と1600年代からヨーロッパに呼ばれる国によって侵攻略奪されたままである。

両親の世代は、世界大戦を超えてきたが、末娘である私がパンデミックを経験し、テロリストによる世界貿易センター二つのタワーへの攻撃・破壊、ペンタゴンへ攻撃・破壊、二回のアメリカ大統領への暗殺行為(レーガン氏は危うく命を取り留めたが、ケネディ氏は帰らぬ人となった)、輝かしかったスペースシャトルの2度の大事故による悲劇、さらにソ連崩壊後のロシアの他国への侵攻戦争を目にしてきている。両親よりもひどい時代を経験しているわけである。

一切の憂える世界情勢に蓋をするかのように、家の中では現実逃避をしたい私である。1日の仕事を終えて夫とふたりカウチに座って、ジェロー(ゼラチン)デザートを楽しみながら、古い古い映画チャンネルを楽しむ。そして私は、毎晩寝付く前のリチュアル(儀式)のようなことがある。それはAbide With Me!をある大学の男子学生合唱が歌うのを聞くことである。その歌詞のごとく、私は今の誰もが願う安寧が「導き手」にあるのを知っている。

この讃美歌はスコットランド人の英国教会(聖公会)の信徒ヘンリー・フランシス・ライトが作った詞を、ウィリアム・ヘンリー・モンクの『Eventide』(夕暮れ) という曲にあわせて歌われる。結核で死の床にあったライトはこれを1847年詩作した。彼の亡くなる3週間前にメロディーが完成し、この曲は、1847年11月20日に亡くなったライトの葬儀にて最初に歌われた。

この詩の冒頭は、ルカによる福音書第24章29節"Abide with us: for it is toward evening, and the day is far spent"(日は暮れ,闇は深く 慰さめも助けなきその時に主よ,神よ われと共に居りたまえ)から引用されている。

 

 

Abide with me! fast falls the eventide, The darkness deepens. Lord, with me abide! When other helpers fail and comforts flee, Help of the helpless, oh, abide with me!

Swift to its close ebbs out life’s little day. Earth’s joys grow dim; its glories pass away. Change and decay in all around I see; O thou who changest not, abide with me!

I need thy presence ev’ry passing hour. What but thy grace can foil the tempter’s pow’r? Who, like thyself, my guide and stay can be? Thru cloud and sunshine, Lord, abide with me!”

日は暮れ,闇は深く めも助けなき

その時に主よ,神よ われと共にりたまえ

 

暗き迫り来て   喜びも消えきぬ

物,みな移り変わる 夕べも共にりたまえ

 

常にわが求むるは  力強きみ神よ

主のみわが導き手  われと共にりたまえ

 

コメント (8)
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