「カラマツの下の花畑」・・・・♪

軽井沢での子供時代に作った落葉松の下の花畑ーー心は今も~!「草花」「99歳の軽井沢物語」「葛西スケッチブック」ほか。  

やっぱり知りたい

2007-02-28 | 日常の小さな喜び&こころ便り

♪1 松本大洋描く「鉄コンキンクリート」の少年シロに似たお顔の指揮者。そのお名前。年末恒例の第九で、歓喜の歌さながら、歓びに満ちた笑顔で、歌いながら指揮なさっていたのをTVで見ましたが、印象的で・・・。
♪2 野鳥の生態を描いたコミック。最近テレビで、どなたか女性のかたが、紹介しているのをチラとだけ見ました。詩情があり、気になりました。読んでみたーい。

別にどうと言うこともないのだけれど、できれば知りたい二つのこと。

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軽井沢の道

2007-02-28 | 日常の小さな喜び&こころ便り

急なのぼり坂を中途で、右に折れる。
そこは、グリーンホテルから、さらに進んだ万山望と呼ばれる
町中が一望できるビュー・ポイントに至る道の入口。
浅間の麓に通じるその一本の道の物語ーー。
       
          
疎開してこの地ではじめて迎えた朝。燦燦と輝く朝日のなかで、
ありとあらゆる小鳥たちの鳴き声でめざめた母は。
犀星が書いている。「百鳥の弦いと鳴りわたり」と、ある高校の校歌に。)
         

夏。オニユリの花を掲げて、父親が自転車を押しながら家に帰っ
てきた。あるときはウドやシオデだったり、渓流で獲ったヤマメだったり。
         

夏。大夕立があって、川底のように深くえぐられた道。軽石がのぞ
いたその底に平らかに溜まった、砂の美しさが好きだった。
                        

ある日。オートバイがけたたましい響きを立てて何台も何台も立て続けに
駆け抜けていった。上がる土煙。軽井沢はオートレースの舞台となった。
               

ある日。沓掛(今の中軽井沢)の方から、筵旗を掲げて、峰の茶屋のほう
まで、延々と進むデモの群れ。
軽井沢は、米軍の浅間山麓演習場になろうとしていた。
貴重な自然を守ろうと、県内外の多くの人々を巻き込んだ基地反対運動
のおかげで、軽井沢は演習場にならずにすんだ。
       

大切な思いの込められた自然は、平和のうちに、知らず知らず蝕まれ続けていった。
もうそこに、かつての人はいない。
もう夕立なんぞにえぐられる心配もない。道は、大きく立派になって、
山奥の方まで整備されたから。
フデリンドウも山百合もユウスゲも咲く場所を失った。
       

ある日。熊が、サルが、イノシシが、カモシカが、別荘の近くに現れた。
彼らがいつものように歩いていたら、その先に村ができていた--と
言うかもしれない。
「なぜ追われるのか合点がいかない。つい昨日まで、
そこは我々の領分だったのに」と。

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