真っ赤な 実をたくさんつけたドライフラワーの蔓が、花屋の店頭に並んでいます。これは、クリスマス・リースなどに使う、サンキライの名で呼ばれているもの。じつは、サルトリイバラのことです。
蔓性だけれど、ユリ科シオデ属!
茎には刺があり、茎も節ごとに曲がっていて、サルもこんなヤブに引っかかったら、捕まってしまう―ーということからの名前だそうです。
子どもの頃、田舎でも、見たような・・・。
ただし、実が真っ赤だったかどうかは、記憶にないのです。
けれど、「シオデ」の仲間と聞けば、覚えがあります。シオデは、新芽を味噌汁の具にして食べました。「どんな味?」と訊かれても説明できないのですが、ただ、「おいしかった」ことだけは言えるのです。
トトキなどと同じように、ちょっと山道に入ればあったので、仕事の帰りがけに父などがよく採ってきたのを覚えています。
聞く所によると、「アスパラガスに似た味」だとか。そうかもしれない。
髭のついた新芽の姿も、細いアスパラガスの感じでしたもの。今だったら、てんぷらやマヨネーズで食べたでしょうね。
さて、サンキライです。雌雄異株なので、実がなるのは雌株だけ。私が見たのは雄株だったのか。また、黒い実の熟する、シオデだったのでしょうか。今も謎です。
仕事が一段落して、やっと、母の所に行ってきました。
朝の、西武線の事故で、ひとつ手前の駅で時間調整のため、待たされ、お昼ギリギリになってしまいました。が、なんとか間に合い、上の階にある食堂で、ランチをすることができました。
食事の後、「はい、おみやげ」といって、11月3日付の、軽井沢彫りの記事のコピーを渡すと、
写真で”お盆”に再会した母は、
「とにかく、なつかしいよ」
その後で、本文を読み上げると、
目をしばたたかせながら、ゆっくりと、たぐりだすような言葉で続けました。
―ー私はひとりだと思っていたけれど、この記事を見たら、
「私は一人じゃない」って思った。
娘の知り合いも読んでくれていて、書いてくれて、
とても元気づけられたよ。
なつかしくって、うれしかった。
名前も知らない皆さんだけど、何よりうれしかったよ―ーと。
ブログというふとしたご縁につながれ、それこそ見ず知らずの母にまで、あたたかい思いを寄せてくださったみなさま、ありがとうございます。
何かと沈みがちな92歳の心に、ほっかりと明かりがひとつ点りました。
―ー毎日ね、病院の中(同フロア)を、車を押して午前に一回と午後に一回、ひとまわりするのを日課にしているの。それから、立って20、座って15数えて、それを20回繰り返しているの。少しでも自分の力で動いていられるようにね。負けるものかと、毎日たたかっている。
喜びも、哀しみも、つらさも、ミックスされた複雑な感情が、お互いの間を流れる。
それでも、一日一日、その時々をせいいっぱい生きていかなければね。
大伴旅人の歌ではないが、せめて、”生きてある間は楽しく~”―ー私もそうするから。
ワタの「桃」がはじけて、ぎっしりと、固太りのワタが顔を出しました。
Oさんの花畑で実ったワタを、撮らせていただきました。
今年は初めて、 つぼみ(写真右:お人形の睫毛のようなグリーンのガクがユニークです。)
↓
花 (園芸種の白花でした。しぼむと淡いピンク色になります。)
↓
実 (とんがり頭の緑の桃のよう)
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実が、はじけて、コットンボールが現れるまでのプロセスを見ることができて、ラッキーでした。
コットンボールの中には、黒いタネがひそんでいます。来年はぜひ、種をもらって育ててみたいと思います。
ワタの花は、一日花で、翌日には、白から、淡いピンクとなってしぼみますが、
”ピンクに変わる”というところは、同じアオイ科の、スイフヨウ(酔芙蓉)に少し似ています。けれど、酔芙蓉の艶やかさはなく、やはり、さらり、ふわりと、木綿の風合いでしょうか。
綿の花音といふものなき所 細見綾子
ところで、棉 と、綿、 どう違うのでしょう?
棉 は、まだ繊維に加工される前の植物全体を指し、
綿は、繊維に加工した商品をいうのですって。
ところどころでこぼこだったり、彫がはみ出していびつな線だったり、けっして上出来とはいえない軽井沢彫り のお盆を愛用している。
裏を返すと、H9.UY の刻印(?)。
<平成9年ume > 今から、9年前、umeさん82歳の作。
まだ軽井沢で一人暮らしをしていた母が、老人会か何かの催しで、みんなと一緒に彫ったものだ。
少し古びてはいるが、毎日、重宝している。
疎開して、軽井沢で苦しい生活を送っていた若い日々、母はこう思っていたそうだ。
「自分たちは今、この池の淀みに沈んで朽ちかけている落ち葉だ。今は日も射さなければ、泥にも埋もれていようけれど、風が吹いたり、わずかでも水が流れてきたり、なにかの変化で、きっと浮かび上がることもあるはずだ」 と。
軽井沢彫りのお盆は、人生の端っこに訪れた、その小春日和のような日々の産物だろう。ヘタな彫りであるところが、いっそういとおしく思えてくる。
母は今、老人病院のベッドで暮らし、車椅子で、自力で移動している。
受け入れなければならないことの多い日々だ。
都合がつかず、二度も、妹が行くのを代わってくれた。せめて今度こそは行って、明るい話題で、笑いあってきたい。